わたしの春を青くしたひと



 私は時折思う。彼の中にあるハードルの高さは、ごちゃごちゃに並び替えられているんじゃないかって。彼、三好一成はとても距離感が近く、距離感を図るのが上手く、そして自分の中でハードルをうまく並べ替えられていない人だ。

「一成くん、ほら」
「……えっ、あぁ~……うん」
「かーずなりさーん?」
ちゃん、ちょい待ち!うん、オレも分かってはいるんだけどさ?!」

 例えば、彼の中では肩を組んでしまうより、指先をただ触れ合わせたり、手を繋ぐことの方がハードルが高かった。パリピのくせに何を言ってるんだ。コミュニケーション能力の塊のくせに!と思ってもみたけれど、それもそうかと腑に落ちた。「みんな」で何かするなら肩は組んでも手は繋がないもんね。
 デートをする時に手を繋ぐなんて、みんな当たり前のようにしていることが、今私たちはできないでいた。何が問題って、私の目の前で口元を頼りなくヘニャヘニャ緩ませている男、三好一成である。何回も手を繋ごうとしているのに、なかなか繋いでくれない。見兼ねて手を差し出しても、踏ん切りが付かないのか視線を逸らされた。

「ちょっと今のは酷いぞ、三好一成!女心を分かってないよ!」
「ちょい、ちょい!ちゃん落ち着いて、ちょい、おち、ね!」
「落ち着いてないのは一成くんの方だよ……ちょいちょい言い過ぎ」

 なんだかんだ言っているけれど、私だって手を繋ぎたいのだ。だから、ちょっと恥ずかしいなと思いつつも、手を差し出しているのに! そんな私のなけなしの勇気を無下にする一成くんをちょっと睨んでやる。
 睨まれて「ごめピコ~……」と呟く彼は尻尾と耳が垂れた犬に見えてくる。落ち込んだわんこを責め立てられる程私も鬼じゃないし。しかも、そんな姿もかわいいなぁと思ってしまうから、私も重症かもしれない。
 でも、実は少し、いやかなり、そんな彼に安心している自分がいることも、私は知っている。

「……でも、まあ一成くんが手を繋ぐのも困難っていうのは、そのままでいいかなとも思っちゃう」
「えっ?!」

 ちょっと可愛いしね~、と言えば彼は驚いてパチクリとしてから、今度は目を吊り上げた。私的にはフォローしたつもりだったんだけどな? 何で怒るの?! 解せないぜ。

ちゃん、それはオトコゴコロが分かってないっしょ~っ!」
「男心?」
「そーそー、男は好きな子のことはみんなエスコートしたいもんじゃん?」
「そーいうもん?」
「そーいうもんだって!」

 「手を繋ぐなんて、序の口、っしょ~……!」そう言いながらも、やっぱり一成くんは私の指先を掴むことに必死のようだった。まずは指先に触れる。ゆっくり掴んで一度動きが停止して、それから手の甲を撫でる。貝殻繋ぎをするまでにだいぶ時間が掛かった。手がゆるゆると温まっていくから、あ、やっと手が繋げたなぁと実感する。体温高いね。
 達成感を得たように息を吐く一成くんに、堪え切れず「ふふふ」と笑いが漏れる。こんな手を繋ぐところで行き詰まってるなんて、私たちは中学生カップルか……と思ってしまう。一成くんの顔を覗いてみれば、滑らかそうな頬には赤い色が乗っている。それがくすぐったい。嫌じゃない。でも、少し不安になるのだ。

「私的には、一成くんには慣れないで欲しいなぁ」

 独り言のように口から飛び出した言葉に、彼はまたギョッとしていた。慣れないで欲しい。慣れて欲しいけど、慣れないで欲しいんだよなぁ。
 一成くんが高校デビューをして頑張ったとか、そんな話は聞いた。だから、友達も多いし、みんなで楽しく過ごすということを彼は得意としている。でも、だからこそ誰かと深く付き合うことがあまりなかったのも知っている。
 もし、彼が女の子に慣れてしまって、手を繋ぐことなんて当たり前になってしまったら? 浮ついた気持ちなんてなくても、彼の高いコミュニケーション能力がそういう状況を作らないとも限らない。それが怖いなぁと思う。ただでさえ交友範囲は広いし、顔もいいのだ。しかも、最近は芝居も始めたものだから、ファンだって……つくんじゃないだろうか。私にとってピンチな状況はもう目前までやってきている。一成くんが他の女の子と手を繋ぐ、そんなことが起きてしまったら私は爆発して塵となるかもしれない。
 そんなことになるなら、手を繋ぐハードルなんてどんどん高くなってしまえばいいとさえ思う。うん、これは立派なヤキモチだ。三好一成という人のコミュニケーション能力の高さへのヤキモチ。一生解決しなさそうでいやだ。そんな私の心情を掻い摘んで説明すれば、いつも笑顔を絶やさずにいる一成くんの表情に影が落ちる。そして溜息を一つ。

「……ちゃんさぁ、それも分かってない」
「え、オトコゴコロ?」
「んーん、カズナリミヨシゴコロ」
「……カズナリミヨシ」
「そ!……え?ちゃん、それ俺のことね?カズナリミヨシ、オッケー?名前忘れちゃったん?!」
「いやわかってるよ!忘れるとかもはやアホでしょ!」

 流石にわかってる、自分の彼氏の名前を忘れるわけがないでしょう。「ならオケ!一安心~」と彼は満足そうに言ってから、繋いだ手に少しだけ力を込める。きゅうっと絡まる指先、合わさる手のひらから少しだけトクトクと音が聞こえるような気がする。
 それから、一成くんは咳払いをして視線をくるっと一度散歩させた。これは彼が真面目な話をしようとする時の癖だなぁと気付いて、私はドキリとする。一成くんが芝居を始めて、人と深く繋がりを持てるようになって、私もちゃんと彼とそういう風に話ができるようになった。
 観劇が終わった後に、走り寄ってきた一成くんも同じ様に視線をぐるりと彷徨わせていた。それから、真っ直ぐに目を合わせる。彼は「多分ね、」という言葉で口火を切った。

「オレ、他の子と手を繋げって言われたら全然繋げちゃうワケ。あ、もち、変な意味じゃないよ!」
「……えーっと、じゃあどういう意味?次の言葉次第ではビンタ飛ぶレベルの発言だよ!」
「変な意味じゃないんだってば!だからさ、特別だから余計に意識しちゃうじゃん、心臓爆発しそうだし、オレ」
「……つまりは?」
「……あ、ちゃんニヤニヤしすぎだかんね?!わかってて聞くとかワルイ子ちゃんじゃん!」

 とくとくと手のひらを通して伝わってくるのは、一成くんの心臓が爆発しかけている音だったらしい。奇遇だね、私も爆発するんじゃないかなって思ってたところだったよ! 違う意味だけど!
 でも、一成くんの言葉の意味がわかるから、私は爆発して塵となる必要はないかもしれない。でも、彼の口から聞きたいなぁと思うから言葉の先を急かす。繋がっている手を揺らせば、一成くんは恥ずかしそうにしながらも口の端っこをゆるゆると溶かしながら話してくれるのだ。

「他の子と手、繋ぐとかって全然緊張しないって、こと~!……ちゃんだからさ、オレもバリ緊張しちゃうんだって」
「んふふ、ふふ、うん」
ちゃん、メチャ嬉しそーじゃん!てか、他の子と手を繋ぐ機会とか別にないし、いらないし」

 言葉がチャラいのに、伝えてくれる気持ちはしっかりとしたものだからギャップに少し笑ってしまう。なんて言うのは建前で、一成くんのそういう言葉がすごく嬉しくて私はにやにやしっぱなしになる。さっきまでざわざわしていた気持ちも何処へやらである。私も現金だなぁと思う。

「だから、安心してって!」

 その言葉だけで、浮かび上がっていたヤキモチは消え去ってしまう。そのとろけた様な笑顔だけで、心臓が駆け足になっていく。きゅうっと握られた手のひらだけで、唇を噛んで嬉しさに耐えなきゃならない。
 一成くんといると、一つ一つの出来事が魔法にかかったように新品に変わっていく気がする。手を繋ぐ、そんな些細なことでもすごく心が騒ついて、どうしようもない気持ちにさせられる。
 この薄く頬を染めて笑うカズナリミヨシのいろんなハードルが、これからも私のためだけに上がればいいなと思う。そう、願うばかりだ。