あまいだけの女の子



 あまりにも。これはあまりにも!と声を荒げたかった。いやもう荒げていた。クラピカから回される仕事の多いこと多いこと。
 もちろんその分、お給料も他の日のお休みだってくれる。ホワイティ。マフィアなのに。だがしかし、これなんで私?!という仕事まで全て私に手渡してくる。ほぼ毎日。それが無いのはクラピカが遠出をする時くらいなのだが、割とその遠出要員に選抜されてしまうためやっぱりほぼ毎日だ。
 それに、資料を渡す時になにか物を言いたそうにしていつも言い淀む。資料の出来に不満があるならこっちに回さないでほしい。自分にもともと振り分けられている仕事についてはしっかりきっかり終わらせて、それについては一つも文句を言われたことはないのだ。
 今日こそは!と思って素早くその場から出ようとしても、クラピカの方が早い。なんなの? 小姑なの? いつからそんなに私のことを目の上のタンコブのように扱うようになったんだ。

 そういえばこんなこともあった。ストレスで爆発しそうになっていたので私は夜、センリツを伴ってバーに行ったのだ。程よく食べて程よく飲んで、ほろ酔いになった時分、センリツが席を外したタイミングだったと思う。隣の席の男が「よかったら、今度ディナーにでも行かないかい?」と言った。ナンパにあった。とても綺麗な顔をしたその男を私はどこかで見たことがあるような気がしたので、あまり警戒せずに頷いた。普段なら応じない訳だが、ストレスと酔いは混ぜるな危険ということだなと身に染みた。
 そして、そのディナーの当日。私は定時退社をキメてやろうと意気込んでいたら、いつもの倍以上の仕事が降ってきた。物理的に。資料が舞った。「ひえっ」と声が漏れて、視線を上げればクラピカがこちらを見ている。なんで怒ってんだ? 瞳の色が薄っすら茶色に見えた。
 そんなこんなで、唐突に仕事が降って沸いた旨と謝罪を含めたメールを送信すれば、返信はすぐにきた。

「残念……彼、なかなかヤキモチ妬きなんだね。ボクじゃなくて、彼と食事に行ってあげるといい」

 スペードとハートを伴ったメールになったので、既視感の正体がわかった。このナンパ男、ヒソカだった。髪下ろしたて顔にマーク付いてないだけで別人過ぎない? 行かなくてよかった。彼って誰だ。閑話休題。

「なんなの?悪魔なの?見た目だけは天使のように美しいけど、中身は悪魔なの?堕天使?なんなの!!」
、もう少し静かにしてくれるかしら?」

 横暴だ!と、お昼を一緒に食べていたセンリツに話したら、上品に笑われた。そしてうるさいと窘められた。その反応に納得いかなくて、私は食後に運ばれて来たアイスコーヒーに刺さった白いストローを咥えた。ズズッと啜れば「ダメよ、はしたないわ」と言われた。センリツの嗜めが続くので、隣の男女の会話に集中してみようと思う、いざ現実逃避。
 今日寄ったカフェはオープンカフェなので、まわりにはオシャレなOLやらカップルやらが席についてランチを楽しんでいた。その中でも私たちの隣の席に座ったのはカップル。男性が「許してよ」と言う、理由は聞いていなかったが喧嘩中らしい。「やだ、だめ。……あ、でも、ちゅーしてくれたら許してあげる」女の子は甘ったるく上目遣いを決めた。かわいいかよ、最近の女の子はすごい。あざとい。
 ただここはオープンカフェ、こんなところでキスなんてできる訳もなく男性ははにかんだ後で「後でな」と言った。そこで私はピンときた。
 「あなた、聞いてる?」センリツの声が私の思考にザックリとメスを入れてきた。ハッとして、ごめんごめん聞いてるよ、と言えども嘘はすぐにバレた。けれどそんなことはもうどうでもいい、先ほどのカップルの会話から私は見事にアイディアを得たのだ。


、次の仕事の資料を纏めておいてくれ」

 心を重たくするセリフと共に資料が舞い降りた。悪魔だ。悪魔降臨。グッバイ定時退勤。マフィアが定時退勤とか何言ってんだ。そんなことを思っていれば、またクラピカが何か言い淀んでいる。
 正直毎回何なのか訳が分からないが、たまには早く職場から抜け出したい。そのためなら、私はなんだってする! チャンスは今だ、今日の私は一味違う。お昼に得た知識を存分に振るおう、さすがのクラピカもこんなこと言われたら引き下がるだろう! ていうか、普通に引かれそう。私なら引く。カップルだったらいざ知らず、部下からこんなことを言われたら引くだろう、その手に持った資料をそのままに、引いてくれ。引き返してくれ。

「キスしてくれたらちゃんとやりまーす」

 沈黙、その間十五秒ほど。あの女の子をモデルに上目遣いもつけた。私わかる、これ滑った、完全に。センリツが変な音で吹き出したのだけは聞こえた。

 だがしかし、クラピカは私が思っていた通りの反応はしてくれなかった。たっぷり間を置いて、その間で私をいじめ抜いた後、「そうか、考えておこう」と言って歩き出した。えっ?
 どうした?とこちらが動揺した。「君は頭を打ったのか?」くらいの反応をして欲しいところである。「考えておこう」その言葉は、ジャポンで言えば、断り文句に値するが、クラピカはジャポンの人ではない。私は混乱した。が、それも一瞬で混乱はすぐに解けることになった。
 何故かっていうと、来た道を戻ろうとしたクラピカが透明なガラス戸にもの凄い音を立ててぶつかったからだ。金髪の隙間から覗く耳が赤い。え、あ、動揺してるじゃん! こんな風になっている彼が珍し過ぎて私はしてやったりとガッツポーズ、アンド心の中で高笑い。一矢報いた感、最高!
 センリツはこちらを見て「あなた、そんなことしちゃっていいの?クラピカ、本気にするわよ」と呆れたようにしながらも語尾が笑っている。
 いやいや、ないない。そんなことがあるわけないじゃん、クラピカだし。私は完璧に元々の動機を忘れていた。甘かった。積まれた書類はそこに存在している。私の定時退勤は無くなった。