ランドマークの待ち人へ



 はあ、と大きく吐き出した息は真白く空に揺蕩って消える。その行為で、私を包み込んでいるキンと冷えた空気を確かめたかったのか、待つことに焦れた胸の内をどうにか保とうとしたのか、自分にも分からなかった。
 待ち人からの連絡はない。そりゃそうだ、携帯の充電が切れたらしい。まわりにも私と同じように誰かを待っている女性やら男性やらがいるけれど、みんなどんどん待ち人と巡り会えて賑やかな明かりの中へ消えていく。

「まだかなぁー……」

 取り残されたような気分になって、少し心細い。手持ち無沙汰で空を見上げれば、枝にくっついた丸々としたヤドリギが頭上で頼りなく揺れていた。


 やってくるクリスマスに向けて、いつも通りの四人組と集まる計画を立てていた。どうせ集まるならば旬のイベントにでも行ってみようということになり、私たちは意気揚々とクリスマスマーケットに繰り出した! のは、いいんだけど……

「あー……クラピカが遅れるっつーから、お前はここで待ってろよ」

 クラピカとの通話を終えて、そう言ったのはレオリオだった。なんでも仕事が立て込んでいたらしく、今からこちらに向かうと。以前メールをした時には、クラピカもこの日を楽しみにしている風であった。普段そこまで大はしゃぎはしない彼もクリスマスという日には、子供のように浮かれたりするのかと、知らぬ一面を見た気がして少し嬉しかった。
 だからこそ、真面目な彼らしい遅刻理由に特に怒るような気も起きず私たちは素直にそうか、大変だなあと頷いた。キルアだけは「またかよ」とブーブー言っていたが。
 けれど、後に続いた言葉に私は呆気に取られてしまった。えっ、なんで私がここで待つ必要があるの?

「ここで待たなくても、クラピカが着いたら連絡貰って合流すればいいんじゃないの?」
「それがな、クラピカのヤツ……ケータイの充電がもう切れそうなんだってよ」
「だから、ここなら分かりやすいから、待っとけってこと?」

 このマーケットのランドマークになっている大きな、大きなモミの木。普段は質素な緑色の葉を蓄えているそれも、クリスマスに近づけば、色とりどりの煌めくネオンや星屑のようなさまざな飾りを身に纏う。たしかに、ここで待っていれば確実に合流はできるのだろう。

「でも、なんで私だけ?みんなで待とうよ」
「こんなとこで四人で固まってても邪魔だろ、それにオレ腹減ったからなんか食いてえし」
「いや、私もお腹空いてるよ!キルアたちだけずるいじゃん!」
「なんか買ってきてやるから待ってろって。いこーぜ、ゴン、レオリオ」
、ごめんね。すぐ戻ってくるよ!」

 結果、私はこの木の下で強制待機となった。なにが「じゃ、、よろしくな!そっから、そのヤドリギの下から絶対に動くなよ!」だ。クリスマスだから"みんなで"集まって騒ごうという話だったのに、私だけおいてけぼりなんて酷い話だと思う。せめて一人くらい残ってくれてもいいのに。クラピカを待つのは別にいいのだが、それならみんなで待てばいいし、もう少しあたたかいところで待っていたってバチは当たらない気がする。
 寒いだろうから、とゴンにはめてもらった手袋、キルアからかぶせられたニット帽、レオリオに巻かれたマフラー。それらのおかげで暖は取れている訳だが、気遣いの方向性を問いただしたい気分だ。体は寒くないけど心が寒い。
 そして、その気分を加速させるものがある。ここは先ほども話題に出た通り、ランドマークであり待ち合わせスポットだ。私のように仲間を待つような人よりも、彼氏や彼女を待つ人たちの方が多いのだ。右を見ても左を見ても、カップルがしあわせを形にするように手を繋いで歩き出す。
 さらに出会い頭から仲睦まじく、待ち人へ口付けを送る人たちすらいる。それは額やら頬やら、はたまた唇へと落とされていくのだ。幸せそうにはにかむ女性や、恥ずかしがって相手の腕を叩く女性など様々ではあるが、私はそんな人たちを見て微笑ましくも、だいぶ気恥ずかしい気持ちになってしまい、くちびるを引き結ぶ。肩身が狭くて、身動きが取れない。
 やっぱり、待ち合わせ場所が間違いだ。あの三人、あとでとっちめてやる! 私はそう心の中で強く決意しながら、クラピカの到着を心待ちにしたのだ。

 ……どれくらい待っただろうか。ゴン、キルア、レオリオが帰ってくる気配はなく、まわりの人たちもどんどん入れ替わっていく。私だけがずっと待ち続けている。なんだか、彼氏を待っているのに全然来ない、約束をすっぽかされた可哀想なヤツになってしまった気分だ。周りにもそう見られているとしたら、ものすごい風評被害だ。そしてとてもショックだ。
 そんなことを考えてぼんやり辺りを窺っていれば、視界の端に見慣れた金色を見つけた。息を弾ませ、露店の灯りをその髪に散りばめ、キョロキョロと何かを探しながら走ってくるのは。

 --クラピカだ!

 ひとりぼっちからの解放、可哀想なヤツからの脱却だ。大きく手を振ってその喜びと自分の居場所をアピールしてやれば、こちらに気付いたようでクラピカの猫目が綻んだのが見えた。私の大げさな身振り手振りにほんのり呆れたような色を見せつつも、その表情はやわらかい。
 知らない場所、知らない大勢の中で、自分の探し物を見つけることができた時の達成感と安心感がそこに見えた。たぶん、私も同じような顔をしていたと思う。けれど、気持ちのまま手を振る私に反して、クラピカははたとやわらかな表情を一変させる。大きく目を見開いた。えっ、な、なに?
 ずんずんと先ほどよりも大股で、しかも足早に駆けてくる彼に、なにかやらかしてしまっただろうかと視線をウロウロさせてみる。けれど私に悪意のカケラはなく、視界に入ってくるのはカップルとクラピカだけだ。さっきまでは恥ずかしさや不安が大部分を占めていたのに、クラピカが視界に入っただけで、なんだか気まずい。心の端がチリチリ焦げ付くような、そんな気持ちに変化した。

「……、」

 訳の分からない気まずさにやられて、身を縮こめていた私のところまで、クラピカはすぐにやってきた。名を呼ばれてそろり、と遠慮がちに彼を見れば視線がかち合った。さ、さらに気まずい。
 けれど、別に私は何か悪いことをした訳でもないし、指定の場所で彼を待っていただけだ。むしろいいことをしている。なにも怖がることはない。そのはずなのに、クラピカの方が様子がおかしい。名前を呼んでから押し黙ったまま、なんだか息苦しそうな顔をするのだ。走ってきたそれとは、少し違う。

「だ、大丈夫?そんなに仕事が切羽詰まってたの?おつかれさま……?」

 私たちのあいだにある空気だけ、一時停止ボタンを押されたように揺るがない。それに耐えきれず、声を掛けてみるが歯切れが悪く動揺が見え隠れしてしまい恥ずかしい。
 私の言葉にクラピカはひとつ肩を揺らし、困ったようにその整った眉をきゅうっと寄せた。何かもの言いたげなのに、言い出すことを戸惑っているような雰囲気を背負っている。

「……いや、仕事は片付けてきたから問題ない。待たせてすまない」
「それは全然いいよ。会えてよかった、見つけてもらえなかったらどうしようかと思ってたから」
「無事に見つけられてよかったよ。……ところで、この場所で待っていたのは、その……いや、なぜここで?」
「レオリオが、"ここで待ってろよ!動くなよ!"って言ったからだけど」
「あの男……っ!」

 苛立ちを抑えるようにクラピカは歯噛みした。何に対してクラピカがそうしているのかはわからないが、レオリオが恨みを買ったということだけはわかる。ついでに言えば、私をここで一人待たせたことについても恨みつらみがあるから覚悟しとけよ! レオリオ!という感じだ。
 ものは違えど、同じ対象への鬱憤があると思うと、へんな仲間意識が生まれてくるから不思議だ。三人が帰ってきたらとっちめてやろうね、クラピカ!と声を掛けようとすれば、先に口を開いたのは彼の方だった。「もう一つ、確認してもいいだろうか」先ほどの剣幕とは打って変わって、神妙な顔つきで、けれど何かを探すように私のまわりに視線で触れていく。落ち着かないクラピカに、一つ頷いてやれば私の方に視線を留めた。

「私がここに到着する前に、近付いてくる男は他にいなかったか」

 赤い色が、クラピカの瞳を縁取ったように見えた。男、お、おとこ? 突然どうしたというのだろうか。というか、こんな声を潜めた聞き方をするということは……しあわせと陽気を束ねたようなこの場を突き崩す変質者の話でも出たのだろうか。彼氏を待つ女性を攫っていってしまう人攫いとか。……そんな奴がいるならば、とっちめてやる必要がある。クリスマスは楽しくあるべきだ!

「近付いてきた人はいないけど……え、何かあったの?ここに来る途中で、マーケットを荒らす変な奴がいるっていう話でも聞いたとか?」
「君はまた突拍子のないことを……そんな話は聞いていない。ただ、一人で待たせてしまった時間が長かっただろう。……万が一、変な輩に絡まれていたら困るからな」
「万が一ってなに、万が一って!まあ、それは全然大丈夫だけど……見ての通りここで待ち合わせしてるのってカップルばっかりだし、声掛けてくれたのはクラピカだけだよ」
「……そうか」

 あからさまに安堵したような顔をする。さっきから表情の上に蔓延っていた暗い色を一掃して、クラピカは目尻を緩めた。それから詰めていた息を抜くように、ふっと息を零し笑った。そんなに私がモテないことを安堵されるとは……失礼極まりない。
 ムッと不満を表情で表した私に、クラピカは本格的に破顔した。そんなに笑われると、悔しいような、でもなんだか、なんだか……。

「そんなに笑われるのは腹立つけど、でも、クラピカが笑ってるの久しぶりに見たかも。なんかうれしい」

 私の言葉に、クラピカはキョトンとした。うっすらくちびるが開かれた、プライドやら警戒やらを全部削ぎ落としたような表情は、最近では見なくなっていたものだ。笑顔も、そんな無防備な表情も久しぶりで、私も笑顔を携えてしまう。三人より前に、いいものを見れてしまってラッキーだ。待っていた甲斐があったなと思う。
 私の笑い声を契機に、クラピカはまた表情を塗り替えた。今日はクラピカの表情筋が大活躍で明日筋肉痛にならないか心配だ。
 そんな私の心配を差し置き、すっと、まっすぐこちらを見る。最初に私の前に立った時と同じような、少し息苦しそうな焦れたような、

、すまない……失礼する」

 なにか決意めいたものを感じる声だった。やわいものに触れるように、クラピカは私の肩に手を置き、もう片方の手で私の前髪をさらう。瞬く間、その刹那に、クラピカの瞳に私が映り込んでいた。赤い色は鳴りを潜めたはずなのに、とても、とても、大きな熱を含んだそれは触れたら溶けそうだなと、思った。

 ひんやりとした、けれどとても熱い。やわらかいけれど、ほんの少し掠れている。そんな相反する性質を持つものが、自分の額に触れたのだ。触れた場所から、今なら火でも起こせそうだ。じんじん、じわじわと痺れるような感覚。ちゅ、というリップ音がやわらかく響く。
 クラピカが、私の額にくちづけた、のだ。ぼんやりと状況は分かっているのに、頭がうまく働いてくれない。彼の方を見れば、しっかりとこちらを見つめていて、私は視線をそらせず固まってしまう。

「え、」
「……ヤドリギの下で待つ女性には、口付けを送る習わしがこの地域にはある」
「……えっ」
「その女性のしあわせを願い、送るものだと言われている。そうしなければ、翌年のしあわせが訪れないと。儀礼的なものであるとも言えるが」
「あ、え……な、るほど……そっか」

 顔を赤くすればいいのか、驚けばいいのか、怒ればいいのか、喜べばいいのか。現状に追いつけない私に対して、クラピカは律儀に説明をしてくれる。つまり、私がこのヤドリギの下で待っていたから、クラピカはわざわざその慣例に従ってくれたのだと。ヤドリギが「今頃気付いたのか」と呆れたように身を揺らしている。
 突然の行動の意味が分かり安心するかと思えば、自分のうちに芽生えた、安心には似ても似つかない感情に動揺する。ほんの少し膨れていたあたたかい蕾が萎んだような心地になった。それは、なんだか……悲しい? そんな、いや、まさか。
 どんな顔をすればいいのかわからず、私は情けない表情を作ってしまう。ハンターである以上、ポーカーフェイスだってできる。普段だったらできる、はずなのに。
 そんな私に対して、クラピカは目を細めて確かめるように言葉を並べる。

「社交辞令だと思うか?」

 、と名前を呼ぶクラピカの声がやわらかく耳を打つ。とてもやさしい声色で、共に胸まで打たれる。星屑を受け止めたモミの木のように、私の名前も、なんだか特別な装飾をされたもののように聞こえた。その声に導かれるように、素直に頷いてみせる。

「私が、社交辞令だから、その地域の習わしだからといって、気軽に女性へ口付けるような男に見えるか?」
「み、見えない、けど……うん、見えない」

 むしろ、そういうの嫌いそう。けれど、そうなってくるとクラピカの行動の意味に、一つの方向性しか見えなくなってしまう。それは自分にとって都合のいいものだから、余計に信じられない。
 今この状況を自分にとって都合のいいものだと、そう思っている自分の胸の内にも驚きを隠せないのだ。私は、クラピカのことを。クラピカは、私のことを。
 何か言葉を、と思ってくちびるを開いては閉じ、はくはくと動かしてしまう。結局、言葉は転がってすらくれない。

「いや、こんな言い方は卑怯かもしれないな……すまない。私は、口実が欲しかっただけのようだ」

 「君に、触れる」伏し目がちにつぶやく言葉が私の心を大きく揺さぶる。クラピカが、誰それ構わず触れるような人ではないと知っている。それに、こんなことをふざけていうような人ではないことも、私はとうの昔に知っている。
 決定打のように「卑怯だと、意気地がないと、笑うか?」クラピカがつぶやく。白い頬が、金色の髪から覗く耳の端っこがじわじわと赤みを帯びていく。
 私も、そうだ。頬が赤いと言われたら、もう、寒さのせいにはできないだろう。先ほど感じていた寒さなんてもう感じることすらできない。じわりじわりと、胸の内から震えるような熱が湧き上がって頬を撫でるのを、自分でもわかってしまっている。
 大胆な行動に出たわりに、不安そうに伏せられたまぶた。私がこの後取る行動のひとつ、言葉のひとつで、クラピカはまたさっきのように笑ってくれるのだろうか。

「クラピカ、わ、私も、」

 ヤドリギが囃し立てるように、風に体を任せて揺れている。言葉の続きとともに、彼がしたように肩に触れ、つま先を伸ばして頬にくちびるをくっつけた。額にするには少し高さが足りない、唇にするには勇気が足りない。私の今の精一杯、だと思う。
 クラピカは頬を手で押さえ、また無防備にぽかんと気の抜けた表情を見せている。年相応のそんな表情に、お腹のあたりがむず痒く口元が緩んでしかたない。私のそんな気持ちが伝染したのか、クラピカもくすぐったそうにはにかんだ。しあわせを形にしたみたいな、そんな表情に胸の奥がぎゅうっと締め付けられてたまらない。
 露店の灯りの向こう側から、三人がこちらに歩いてくるのが見えた。さっきはあんなに早く帰ってきてほしかったのに、今はまだ帰ってきてほしくない。だって、クラピカと私、ふたりとも、どんな顔でみんなの前に立てばいいのか、分からずにいる。
 けれど、私にはそれを気にしている余裕はなく、溶けてしまいそうなやわらかな色の瞳に全てを奪われてしまうのだ。