むりなはなし
ぼんやりと薄明かりを灯す端末に指先を翳し、発光に驚いてそろりと指先を離した。
自分の行動であるのに、制御できない感覚をは持て余していた。端末の画面に映し出されたのはたった一人、彼女の心にぴたりと寄り添う人だった。
護衛として派遣された先は、金持ちの男の元だった。手元にいくつもの貴重な品を集めたらしいが、オークションまでの間よからぬ輩にそれらと命を狙われ、失ってしまうのは惜しく恐ろしいことだ。
なので護衛をしろとの依頼がノストラードへ舞い込んだ。期間は三日、かつ、礼は弾むという。
短期の依頼ならばとは頷いた。今はこのファミリーを立て直す必要があるし、四の五の言っている暇はないだろうと。
……だが、事は想定を大きく外れ、オークションは延期に延期を重ねた。既にこの場所を訪れてから二週間が過ぎようとしていた。一度も帰還を許されないまま、拘束されるような重苦しい時間が過ぎた。
いつ、帰れるのだろうか。用意された部屋はその懐具合に応じて上等なものであったが、肌を撫でる季節の温度は、室外と変わらずひどく無機質だった。
疲れた身体を引きずって部屋に戻り、暖をとるように端末の灯りに縋った。声を聞ければと、夜半に、薄氷のごとく僅かな願いを抱いた。
--端末が震えたのは、の行動のためではなかった。
「……クラピカ?」
ひっそりと、宝物をやわらかに抱き上げるように口にした。
「っ、……夜分にすまない。寝ているかと思ったが……起きていたのだな」
「うん、起きてた。寝てると思ったのにかけてきたってことは、急用?」
「いや、……」
いつものメリハリのある声ではなく、引き摺るような声をは訝しく思った。それに、話出しもなんだか切羽詰まっていたような気がして。
ぼんやりとそんなことを考えるとは逆に、クラピカは落とした沈黙をどうやって拾い上げようか頭を悩ませた。起きているとは思っていなかったのだ。
普段の彼ならば、こんな真夜中に急用でも無いのに連絡を入れるなどモラルに欠ける、寝ていると思うならば明日にすれば良いだろう、と考えられていたはずだ。
けれど、彼の思考はそんな当たり前のことよりも他のことに占領されていた。彼女の状況を知ることは仲間として必要なことだと思っていたし……それに、カケラでもいいから声を聞きたかったのだ。
その想いを奥歯で噛みしめ、言いかけた言葉を拾い上げた。
「いや、急用があったわけではない」
「えっ、なにも用がないのにこんな時間に掛けてくるなんて、変なクラピカ 」
はふっと喉を震わし笑みを溢した。逆に、電話口から息を呑む音がはっきりと彼女の耳に届いた。
「それはお前もだ。この時間にすぐ電話を取れるということは、微睡んでいたわけでもないだろう。体調に問題はないのか?それに、食事は摂っているのか。オークションの開催の目処は立ちそうか、あとは、」
「ちょっとそんな一気に聞かないでよ、別に逃げないってば」
「の言うことは信用できないな。この二週間、報告はあれど全て情報に欠けるメールばかり。普段から言っているだろう。多忙だとしても、報告は要点を押さえろと」
「あーいや……それは……、」
歯切れ悪くが口を噤むので、クラピカもむっつりとくちびるを結んだ。普段から口を酸っぱくして言い、からすれば耳にタコが出来るほど聞かされていることだ。どんな言い訳が飛び出すのか、クラピカはだいたい想像がついていた。
「……忙しくて」
「言うに事欠いて、またそれか。切る」
「あーー!!待って待って、ごめん!」
クラピカの性格上、これを言ったら怒られるということはも分かっていた。けれど、彼女はそう言うしかなかった。
はあ、と大きく息を零したクラピカは逡巡した。「忙しくて」彼女の言葉の切れ端が震えていたことなど、聡い彼はすぐに気付くことができた。けれど、だからこそ、彼女が頑なに隠そうとしていることを、暴いていいものかどうか戸惑った。
「ごめんってば。明日からはちゃんと報告するように心掛けるから」
「どうだかな。お前はまた思慮を欠いた報告をするだろう、賭けてもいい」
「えっ、じゃあ美味しいって有名なお店のランチを賭けよう。そうしたら、私は書くよ、しっかり書く。きっとね」
「お前というやつは……だが、いいだろう」
お互いの声がひどく耳に馴染む。何年も連絡の取れなかった気すらする。声が聞けるだけで、こんなにも胸の内をなめらかにしてくれる。胸を、締め付けてくる。
「が帰ってきたら、」
せめても、とぐっと端末を耳に押し当てた。物理的に縮まることのない距離を、せめて、少しでも、縮められた気分になれたなら。
センリツみたいに耳が良かったらいいのに。不躾な願いだ。けれど、互いに胸の内に秘め灯したことでもあった。
そうすれば、彼の、彼女の、寂しさを聞き漏らさずに済むかもしれない。そうすれば、逢いたいという彼女の、彼の、願いを笠に着て、部屋を飛び出し、腕を引けるかもしれない。
……なんて、到底無理な話が頭の中を過ぎった。
時計の針の音だけが聞こえる、深い夜のことだった。