ねぼすけは不治の病



 私の就職先はどこだ? マフィアだ。
 マフィアってやつは、私の中のイメージでは体当たりな仕事の方が多いイメージだったのに、今私がやっている仕事はなんだ? 書類整理だ。
 それでもやらねば終わらぬ、終わらなければ帰れない。つまりは、四の五の言わずに必死に働いていくしかない。
 そうやって、いくつもの夜を越えた。何度も心折れそうになったけれど、クラピカの視線をばっちり受け止める方が体に悪いので頑張ったのだ。
 やっと終わりを掴んだ。机の上、自らの腕の囲いの中にぶっ倒れ、言葉にもならぬ声を上げる。そんな私にクラピカが言う。

「年頃の女性のものとは思えない声だな」

 身を粉にした仲間への台詞とは思えない、なんて奴だ! この冷血漢!
 胸中は罵詈雑言の嵐だが、相手に放つ余力すらない。眠気と空腹、どちらも私を虐め倒そうとしている。身を縮めて、耐えるように目を瞑る。

「……?」

 うんともすんとも言わない私に、探るような声が掛かる。そんなことをしても無駄だ。私は答える元気すらないぞ。
 眠ったのか?と独り言ち、それでも私が何も言わないでいると、なんだか気配が近付いてきた。
 もしかして、偶の優しさで上着とか毛布とか掛けてくれちゃうやつか? これだけ働いたんだから、そういう優しさを求めてもバチは当たるまい。もう寝かせてくれ。
 私の騒がしい脳内とは裏腹に、外面だけはしんと静まっている。視線で背中から頭まで辿られたようだった。息を呑む音が聴こえて、そして、

 --するりと、なめらかな感触があったのだ。

 私の頭に。触れるか触れないか、躊躇うように流れたそれは、もしかしたら幻かもしれないと思うほど。けれど、近くでふっと息の落ちる音。もう一度流れたその感触に私は確信を得た。

「いつも、すまない」

 あたためたものを懐から慎重に取り出すように発せられた。「働かない者にやる休息はない」など口にする男の声色とは到底思えず、腕の中でそっと瞬く。夢なら醒めておいてくれ。
 ちらりと、バレないように、腕の隙間からクラピカを垣間見る。
 すると、どうだろう。こちらを見やったクラピカの、ふっと綻んだ口元とやわらかに歪む目のふち。

 「…………ぇ」

 その表情は今まで、ハンター試験から共にいた中で、どのタイミングでも見たことがない。ひだまりを抱え込んだような表情と、まだ手にしたことのないものに触れるような手つき。
 ど、どゆこと? この瞬間、彼に何が起きたのか? 先ほどまで私に毒づいていた彼は、どこに行ったのか。いつもと雰囲気の違うクラピカに動揺する。
 眠気で最底辺まで鈍くなった脳内に動揺が注がれてしまえば、大混乱を起こすのは道理だと思う。
 こ、これは、なんだか知ってはいけないクラピカの一面を見てしまった気がする。選択肢は、いくつあるだろう。何も見なかったことにして、これは夢だと唱えるか。でも、こんなクラピカもう見れるタイミング無いかもしれない!
 どうしよう。これ我が人生の中でもベストオブオモシロシーンなのでは? 写真撮ってキルアに送りたい。いや、声を掛けてあげるべき? 私は寝てなんかいないよ、大丈夫か?って。いや、いやいや。でもそれは。

「あの、寝てないんですけど」

 くるくると開催されていた脳内会議に、私は惜しくも失敗した。そうしっかりと邪魔をしてきた眠気により、見事、私は失言した。判断を間違えた。口にしてからはた、と我に返ったって口から飛び出た言葉は帰ってこない。マジで黙ってて私。
 ピタリと止まった動作。私がゆっくりとそちらを見遣れば、解けないようしっかりと視線が絡んだ。

「ッ……?!?」

 数秒見つめ合った結果、今度はクラピカが言葉にならない声を上げ、首から一気に赤を纏った。
 はくりと震える唇は音を成さず、耐え切れないように歯を食いしばりクラピカは脱兎の如くその場から去ったのだ。

「えっ、クラピカ?!」

 呼べども、彼は今は遠く、返事はない。
 やってしまった。少しでもフォローを、という思いはある。けれど、眠気を残した身では追いかけっこは無理そうで、私は後日謝罪することを心で誓い睡魔に身を任せた。


 結果、この後何日もの間、顔を合わせれば視線を逸らされ会話にならなくなったので、私はあの日の対応を後悔した。不躾にも程があった。
 ……けれど。
 あの日、睡魔に負けた私の肩に、眠る前はなかったジャケットが掛けられていたこと。
 ここ数日、視線を逸らされるけれど、耳だけがしっかり赤いこと。くちびるが落ちつかなさそうに震えていること。
 それを知ってしまったので、私の後悔はほんの少しに留め、ほんのりと胸に滲む想いの名前を探してしまうのだ。