ただいま、転換中のため



「は?お前と友達とか願い下げなんだけど」
「えっ」

 懐かしきかな、思い出すのは数年前。いつもの生意気な表情はそこから逃げ出して、ハの字を描く眉毛。いつも真っ直ぐ鋭く私を突き刺す視線だって、足元と私のスカートの裾を行き来するばかりだ。

「……なぁ、オレたちって友達、だよな?」

 年相応に不安を満たしたその表情と一緒に浮かび上がった言葉に、私は素直に返す。友達に決まってんじゃん! 友達を作ってこなかったキルアにとって、友達か友達じゃないか、言葉での線引きは意味のあることだったらしい。安心に緩んだ目元は普段より数倍柔らかい。かわいいところもあるじゃん、いつもは生意気だけど。
 こうして、私は名実共に、キルアにとっての初めての女友達になったのだ。回想終了。

 そして、話はそこから数年後になる。ハンターとしてそこそこ仕事をこなしていく日々、依頼でちょうどパドキア共和国のとある情報が必要になることがあったのだ。パドキアといえばククルーマウンテン、ククルーマウンテンといえばゾルディック家、ゾルディック家といえば……キルアじゃーん! 私の安直な思考回路は友人の名前をはじき出した。
 ハンターとして、頼れるものには頼っていかないとね。人脈は情報に繋がるし、情報は金にも命にもなる。電脳ネットを始めとして情報サイトを調べてしまえば早いが、情報を簡単に手に入れるには、相応の報酬を払わなければならない。しかもその情報の真偽のほどは自分で判断しなければならない。偽情報を掴まされることは思ったよりも多いのだ。世知辛い。
 その点、キルアは絶対的に信頼が置ける。情報サイトで転がっているものたちなんかに比べたら、そりゃもう段違いに。それに、キルアと私は友達だし、あわよくば友達価格なんてものを期待していたりする。
 もちろん、無報酬なんてことにしたら後々バカ高い見返りを求められる可能性もある。タダより高いものはない、だから何かしらのお礼はするつもりだ。
 普段はバカだのアホだの、突然家にやって来ては「お前オレが来てやったんだから早く飯作れよな」だの「お前んちの近くの店でチョコロボくん大量に売ってるから、この住所に送っとけよ」だの言ってくるキルアだが、私たちは友情を誓い合った仲である。
 ……あれ、おや? 思い返してみたら、全く友達要素がない。私たちの関係性に名前をつけるならば、パシリ? 嫌な単語が頭を掠めたので、消し去るように頭を振った。と、友達だよね、私たち友達だよね……?
 数年前、そんな話をしたはずなのだ。自問自答するも、答えは曖昧なものしか返って来ない。とても不安になりつつ、私は自分のおぼろげな記憶を信じ、携帯を手に取った。短いコール音の後に響いたのは、無愛想でかわいさもへったくれもないような声だった。

「……なんか用?」
「や、やっほーキルア!元気?」
「元気だけど、お前から電話してくるの珍しくね?」
「あ、いや実は仕事でパドキアに行くことになって、いくつか教えて欲しいことがあるなー……って思って電話したんだよね」
「なに、お前パドキアくんの?」

 食い気味に発せられた声に思わずどきりとする。お前がパドキアに来るのは敷居が高い、とか言われないよね? 前も一回行ったし、仕事だし、大丈夫だよね、ね。と自分に言い聞かせるように胸のあたりで拳を作る。先ほどの回想のせいで、私は思考がネガティヴに寄っていた。完全に逃げ腰である。
 機嫌を損ねるとまたバカだのなんだの言葉が飛んで来るはずだと思い、まずはキルアの問い掛けに肯定の意を示した。すると「ふーん……で、オレから情報が欲しいって?情報サイトじゃなくて?」と再度投げかけられたので先ほど考えていたことを素直に口にする。

「うん、キルアは意味ない嘘吐かないと思うし。情報サイトなんかより、断然信頼できるから」
「……まあ、なら教えてやってもいいけどさあ」

 受話器から聞こえる声は平坦で、是が非かいまいち確定できずにいる。教えてやってもいい「けど」、けどってなんだ! ここでキルアに断られてしまうと少し面倒だ、イエスと言ってもらわねばならない。そのためにも、キチンと最後まで話しておこう。

「もちろんお礼はするよ!あ、でもできれば……友達価格だったら嬉しいな~なんて……」
「今なんて言った?」
「ん、え?と、友達価格……?」
「は?お前と友達とか願い下げなんだけど」
「えっ」

 わざわざ軽めの口調を取り繕ったのに逆効果だった。飛ぶ鳥を落としたような重たい沈黙が降る。え、えっ? 突如、刃物で切り開かれたように空間がスッパリと色を変えた。さっきまではまだ穏やかだったものが、キルアの一言により一転した。
 受話器の向こうから聞こえるものはなく、時間を経るごとに沈黙が私の喉を締めていく。そんな状況に耐えられず、もしかしたらさっきの言葉は聞き間違いかもしれないと思い、「あ、あの、キルア……?」と声を出す。すると、反芻するように受話器の奥の方からも、同じくキルアを呼ぶ声が聞こえた。いや、これは私の声じゃない、聞き慣れた声、ゴンだ、ゴンがキルアを呼んでいる。
 「ゲッ、ゴン……」とキルアが呟いたので、本物のゴンだ。ゴンもいたんだ。ゴン、聞いて、キルアが私と友達とか願い下げとか言い始めたんだよ、酷くない? もはや笑えるよね、ははは。

「ッチ……一週間後、パドキアの飛行場な」

 ぷつり。私がゴンに脳内で助けを求めている間に、キルアの中で何がどう処理されたのかはわからない。けれど、パドキア来いや!というお言葉を残して電話が切られた。舌打ちを添えて。え、嘘でしょ……。
 関係性を否定され、舌打ちまでされて、私はどんな顔をしてキルアに会えば良いのだろう。このどんより重たい気持ちを抱えて一週間、過ごさねばならないのか。そう思うと、地面に体がめり込むんじゃないかレベルで気が重くなった。この気持ちをどうにかしたい、せめてどうにかして立ち直ってからその日を迎えたい。そうでないと、面と向かって攻撃されて心が死んでしまう。そう思い、携帯を手に取る。

 昔馴染みの仲間たちよ、今こそ助けて! クラピカ、レオリオ! 私の愚痴を聞いてくれ!

 ありったけの気持ちを込めてコール音を鳴らした。だがしかし、迎えたのは留守電の機械音だった。だよねー、こういう時って誰も出てくれないんだよねー、そうだよねー、知ってた。ダメだ、もう自分でどうにかするしかない。腹をくくり、とりあえず一度寝てから考えよう、と私は引きこもりを決めたのだった。



 パドキアへ向かう飛行船の中、私の気持ちはブルー一色だった。
 重い気持ちを引き摺りつつ依頼された仕事をゆっくりしたペースでこなしていたら、すぐに一週間が過ぎてしまった。その間ずっと引き摺り続けていたというのに、気持ちは軽減するでもなく、むしろ重たくなっていく一方だ。友達に会うだけのはずなのに、ここまで気が重いなんて、いや、キルアにとって私は友達ですらないようであった。思い出したらまた落ち込んできた。
 私、これから本当にキルアと会うんだよね……? こんな状態のまま会っても大丈夫だろうか。また不機嫌・沈黙・舌打ちの三連コンボが繰り出されたら、流石の私でも心に深手を負うだろう。今、もうリーチみたいなものだし。
 この一週間の間に、傷心を癒そうとクラピカやレオリオにも再度連絡を取ってみた。電話で駄目ならメールでチャレンジ! キルアとの委細を話してみた。しかしびっくりしたことに、返ってきたのは両者ともにこんな言葉だった。

「……お前がそこまで鈍いとは思っていなかった。キルアには同情するよ」
「お前、そりゃあ野暮ってもんだぜ。というか、気付いてなかったのか?」

 二人揃ってなんだっていうんだ。鈍いってなんだ、野暮ってなんだ! どちらかと言えば、私の方が被害者(と言っていいものなのかは微妙だけれど)のはずなのに、なぜか追い詰められた。そして揃って締めの言葉は「まあ、頑張れ」だ。根性論だけで解決できないこともあるんだぞ。傷心に塩を塗られて終わった。

 飛行船から流れる雲や空を見てぼんやりと一週間を思い返していた。そこで私ははた、と気付いた。クラピカでもレオリオでもなく、この前のキルアの電話に、私にとって最大の味方がいたではないか。それに気付き、一抹の希望を感じ携帯を手に取った。メッセージを送信すれば、すぐさまコール音が鳴り響いた。その相手は、

「えーー!?キルア、に会いに行ったの!?ずるい!俺だってに会いたかったのに……キルアのやつ!」

 電話の向こうでゴンが憤慨しているのが、どこか遠くのことのように感じた。会いたいって言ってくれる。その言葉がとても嬉しいのに、イコール、ゴンはキルアと一緒に来ないという事実に頭を殴られた。
 私の最大の味方、ゴン。キルアと一緒にいるのであれば、今日も二人で来るのではないかと踏んでいたのだが、アテが気持ちいいくらいに外れた。くっ、自分の力でどうにかしろということか……。

「そっか……ゴンは一緒に来ないんだね。私もゴンに会いたかったよ」
「……、なんか元気ないね?大丈夫?」
「あー、うん。大丈夫、ちょっと次の仕事が憂鬱なだけだから」
「仕事ってパドキアで?くっそー、だからキルアの機嫌が良かったのか」

 さめざめとする気持ちを抱えつつ、降り立った飛行場。携帯から発せられるゴンの声が唯一自分を保つ糸のように感じながら、待ち合わせ場所へ歩いていく。
 キルア、機嫌がいいのか。友達ではないと切り捨てた女に時間を割く事になるというのに、なんだか辻褄が合わないような気がして首を捻る。でも、機嫌がいいんだ、キルア。

「うん。"ちょっとパドキアまで行って来る。何日かしたら戻る"って言って出て行ったよ。この一週間すごくウキウキした感じだった」
「ウキウキ……私、いびられるのかな……」

 一週間ウキウキしていたなんて、何か恐ろしい画策があるに違いない。勝手に友達だと思っていた私をいびる事に全力を出すのかもしれない。私のメンタル終了のお知らせが鳴り響く。

「え?そんな事ないと思うけど……だってキルア、のこと大好きじゃん」
「…………え?」
「……え?あれ……?もしかして気付いてなかったの?!」

 「うわー!やっベー!やっちゃった!」とゴンの焦りを含んだ悲鳴が響いた。ゴンもクラピカもレオリオも、私が知らない何かを知っているようだ、とは薄々思っていたものの、その正体はこれだろうか。変な納得感と、心臓のふちを撫でられたような落ち着かない感覚に襲われる。ぷつん、と思考が停止した。

、今の忘れて!ナシナシ!今のなし!」
「えっ、……え?待ってゴン、今の、」

 ちょっともう一回お願いします!という言葉がくちびるから離れるその瞬間だった。

「おい」

 電話で聞いた時よりほんの少し高い、というよりなんだか少しうわずったような声が背後から掛けられた。びくりと肩が跳ね、反動で携帯のボタンを思いっきり押していた。そのボタンは、ゴンと私の会話を終了させるもので、私は二重の意味でやってしまったと思った。
 一つ目はそのまま、何も言わずに電話を切ってしまったこと。ゴンには後で謝らねばならない。二つ目は、心の準備を何もせず気配を探ることすらしていなかったことだ。ハンターとしても恥ずかしいこと極まりない。

「び、……っくりしたあ」

 声の出どころを見遣れば、もちろんそこにはキルアが立っていた。ゴンに聞いた”ご機嫌"な様子は鳴りを潜めていて、元気に活動しているのは不機嫌の方のようだ。きゅっと詰まった眉間と引き結ばれたくちびるに、それは顕著に表れていた。
 そしてやはりもちろんのことなのだが、現れたキルアの横にも後ろにもゴンはいなくて心細くなった。そろりと伺うように、分かりきったことを口にする。

「ゴンは一緒じゃないんだね」
「なんだよ、お前ゴンに会いたかったのかよ」
「いやまあ、会いたいかと言われれば会いたいけど」

 だって久々だし、会ってないし。キルアとはちょくちょく会っているけれど、他の三人はタイミングが合わずに会えていない。まあ、キルアと会っていると言っても、彼の暇な時に勝手にやってくるのだ。まるで進行方向のよめない嵐のように突然やってきては、私の周りを荒らして帰っていく。単独犯だ、ゴンを引き連れてやってきたことは今のところない。
 そりゃみんなにも会いたいよなぁ、なんて考えたのが悪かったのか、キルアは凶悪な目つきで私を睨んできた。会いたかったのかって、話を振ったのそっちじゃないか。

「この前の電話でゴンも一緒だったみたいだから、二人で来るのかと思っただけ」
「……オレだけじゃ不満かよ」
「え、も、もちろん、キルアに会えたのは嬉しいよ。うちに来る以外で会うのは久々だもんね」

 不服を形にしたようなくちびるの形と言葉にうっすらと滲む色合いに、内心ドギマギしてしまう。友達だと思われていない、その言葉をそのまま理解するのは危ぶまれるようなそんな温度感があった。どうでもいい人間に対してこんな確認をするほど、キルアは他人に興味を持っていないはずだ。そこから導かれるものって、それって。


 とりあえず、依頼していた情報を貰うということで、飛行場のロビーにあるカフェに入った。どちらとも何だかん落ち着かずに、ふわふわとした状態で会話をしていたけれど、仕事のこととなれば話は別だ。
 やっぱり、さすがキルアだ。私が欲しかった情報は全て、手ずから作成した資料に纏まっていた。ここまで用意してくれているなんて思っていなかった私は、思わず目を剥いた。何度も言うだが、キルアはどうでもいい人間に対してここまで手をかけてくれるような人ではない、はずだ。今まで見てきたものが間違っていなければ、おそらく。
 一通り情報はもらえた。これで次の仕事は恙無く進められそうだという安心感と、キルアからの対応がそこまで違和感のあるものではなかったことに対する安堵感に肩の力が緩んでいく。
 その反対側で、キルアは資料を机の上でトントンと整えながら思い出したかのように話し出した。

「お前、どっか行きたいとこねーの」
「え、行きたいところ?」
「せっかくパドキアまで来たんだし、情報収集がてら見て回ったほうがいいだろ」

 まあオレはあんま興味ねーけど、付き合ってやるよ。こちらをひとつも見ないでぶっきらぼうに言う様子は不機嫌と形容していいように見える。けれど、その内容や喋り方はむしろ、とても繊細で熱を帯びているように聞こえた。
 だって、こんなのまるで、デートの誘いみたいでは、ないだろうか。クラピカの、レオリオの、そしてゴンの一言が音を立てて私の考えの隙間を埋めていく。

「キルア、私のこと好きなの?」

 まるで日常の質問をするような、さながら「今日のご飯何にする?」と聞くような気軽さで口から転がり出た。キルアはうまく飲み込むことができなかったかなのようにきょとんとして、数秒を沈黙に溶かした、その後、じわじわと日常を侵食されたことに気付いたように「……っな、は……ハァ?!」と声を荒げた。
 その声を聞いて、「あ、聞き方を完璧に間違えた」と頭の片隅で思ったけれど、届いてしまったものは戻らない。キルアの手から纏められた資料がバラバラとこぼれ落ちていく。

「っな、なんで、……いや、ちょっと待て、お、お前」

 わなわなと震えるくちびるからは言葉の切れ端だけが落っこちる。瞳がきょろきょろと泳ぎ回っているのを見て、私は確信し、ふわっとした安堵感に包まれた。キルアに、負の感情を抱かれているわけではなかったこと。「友達なんて願い下げ」の本当の意味。

「友達なんて願い下げ、って言われたから、嫌われてるのかと思ったんだからね」
「き、嫌いなワケ、ねーだろ!」

 はっきりとした否定の言葉に、息を吐き出した。よかった、キルアにとって"友達"という枠組みの中には入れてもらえないとしても、それでもよかったと思える。一週間という期間で膨張していた気持ちがなだらかに均されて、思わず笑みが零れる。
 するとキルアは逆に息を詰め、今までに見たことないような色を瞳に浮かべて私を見た。テーブルの上に置かれた拳にぎゅっと力が入った。

「オ、オレは、お前が、……っ」

 そこまで言いかけて言葉は途切れ、カッとキルアの顔に赤みがせり上がった。ぐっと息を詰め、耐えられないように席を立ったキルアの次の行動はまさに電光石火という感じだった。耳の端まで赤い色を身につけて、キルアは飛行場のどこかへと走り去ってしまったのだ。



 ひとり、置いてけぼりをくらった私は、安堵にぼんやりとした頭をゆっくりと動かした。

 考えてみれば、情報なんてパソコンや携帯を通じてやりとりした方が早い。それなのに、キルアがわざわざここまで足を運んでくれた理由。些細なことでもよく送られてきていたいくつものメッセージ。ゴンにも伝えずに私の元を訪れる意味。さっきの言葉の切れ端。
 理由は簡単だった。鈍いと、野暮だと言われたことも飲み込もう。すとん心の真ん中に落っこちてきた蕾は、はじめて触れるものだけれど嫌な気持ちになんて一切ならなかった。むしろ、胸の内をほんのりと締め付けるこれは、”友達”という名前を変換するための一助になるのかもしれない。
 崩れきって机の上に広がった資料の間に見えた、いくつもの観光名所のリスト。たくさんのバツや印やマルが書かれたそれを拾い上げて、私は携帯を取り出した。今度はもう明確な答えが返ってきている。

「もしもし、……キルア?」

 コール音が短く切られて聞こえてきた熱に浮かされた不機嫌な声に、もう私は不安になったりしないのだ。