月が満ちたなら



 ぽっかりと、夜空を食べてしまった。そんなまんまるい月の下、防波堤によじ登って海を眺める。そうするのは幾度目か、数えるのはとうにやめていた。両腕を突っ張り体を支えて、脚を組み替え、ひとつふたつ。数えてみれば、するりと隣に気配が落ち着いた。

「や」

 横目に見れば金色の髪が月を受け入れたように煌めいていた。彼がここに現れるのは決まって月が満ちた日で、私が海を眺める日でもある。
 少なくても月に一度、シャルナークはこの場所に現れて、私の隣に腰を下ろす。指先が触れるか触れないか、絶妙な距離を残して。私はこの時、全身に沸騰したような熱が巡っていくのを感じてひとつひとつの仕草にすら力が入ってしまう。

「……ひさしぶり」
「一ヶ月ぶりだね。キミって、いつもこの日はここにいるよね。……もしかして、オレに会いに来てくれてるの?」
「いや、自惚れすぎでしょ。私がここにいるってわかってて、わざわざ来るのはシャルのほうじゃん」
「あはは、間違いない。でも、今回は仕事があったから危なかったんだ、結構ギリギリ」

 シャルの仕事、彼は盗賊をやっているらしい。以前その話を聞いた時に「ふうん」とだけ答えたら、シャルは目をまんまるくして瞬いていた。怖くないかと聞かれたら怖いが、それよりも胸に満ちるもののほうが先にあった。
 そんなシャルが海しか取り柄のない街に何度も現れるということは、手に入れたいものがあるに違いない。私の信頼を得たところで何か盗めるものがあるとは思わないが、頭のいい彼のことだ。私の知らない、価値のあるものをシャルは知っているのかもしれない。

「仕事、忙しいんだ」
「まあまあかな……でも、ちょっと大きい仕事があったりするから、来月はここに来れないかも」

 そうなんだ、と表面上は取り繕ったが唇だけが戦慄いた。月が欠けて満ちるのが当たり前なのと同じように、この日だけはシャルが隣にいてくれることが染み付いてしまったのに。
 私の反応に納得がいかなかったのか「そうなんだ、ってそれだけ?」と、眉をひそめた。不服が顔に満ちている。

「え、あ、うん……?あ、でも、シャルはこの街には何かを盗みに来たんじゃないの?大きな仕事の前にそれを済ますのかと思った」
「あ、よくわかってるね。オレ、そんなに気が長い方でもないから、そろそろいいかなと思ってる」

 すうっと瞳を細めて、嬉しそうに笑う。頃合いかなって思うんだよね、オレ的には結構イイ感じの手応え。なにがそろそろいいのだろうか、訝しんだ私にシャルは言う。

「オレが何を盗りにきたか、わかる?」

 嬉々として聞かれても分かるわけがない。あいにく、私の頭の回りはシャルより断然遅いのだ、誇れることではないけれど。首を振ると「ええっオレ結構分かりやすくしてあげてたつもりだったんだけど」と非難轟々の声を上げた。
 わざとらしく溜息をついたシャルは、これまたわざとらしく、当たり前としていた二人の距離をなきものとした。触れそうで触れなかった指先を、小指からするりと絡めてみせる。

「さすがに、これなら分かった?」

 否定してやりたいが、私のあからさまな熱に乗っかった想いは指先から彼に伝わったらしい。持ち上がった口角が恨めしい。勝利を得たと確信している表情だ。
 オレの盗賊としての矜持は守られたみたいだね、なんて言うシャルの長い脚を蹴っ飛ばしてやりたい気持ちもある。けれど、胸の奥が浮かんだ月のように満ち足りていることに気付く。
 だから、繋がる指先に少しだけ力を込めた。それが答えだ。