ロマンス開始の密約書



 正直、万次郎は手早い方だと思っていた。
 だって、東京卍會の総長という肩書きにあの風貌に。ドラケンのお家にお邪魔したとカラカラ笑っていたことに。幼い頃からそういうことに興味がありますと公言するが如く「四十八手が」とかなんとか言っていたのを覚えている。
 だから、万次郎はそういうことに慣れていて、彼女なんかができたら手が早いだろうと。昔から万次郎のことが好きだった私からすると、複雑なことこの上ないのだけれど、それはもうしょうがないと割り切るしかない。
 かくいう私は、高校生になっても、男女のあれそれというイベントは一向に発生しなかった。中学生の頃は万次郎と同じ中学だったこともあり、無敵のマイキーの幼馴染という名が売れすぎて、男友達なんて圭介やドラケン、三ツ谷くんといった昔馴染みくらいしかいなかった。
 一学年上の私の方が早く高校に上がるのは当たり前のことなので、万次郎たちと離れ高校生になった私には初めての男友達ができた。けれど、それだけ。
 初恋をずーっと引き摺ってここまできた私に、昔馴染み以外の男友達を作ることが初心者の私に。それ以上を求めるのは酷というものだ。
 友達ができて、その子たちと遊びにいけるだけでも成長したなあと実感する。(誇らしくなって幼馴染たちに報告をしたら可哀想なものを見る目で見られたのが、ここ最近の不服な出来事だ)
 そんな折、いつも通り万次郎の家でゲームをやっていた際に、それは急襲した。今までだって何度もやってきたスマブラで、どちらがアイスを奢るかを決める大事な勝負の開戦間際。

、好きだ」

 まるで、日常の中に溶け出したみたいに、さらっと流れるような言葉で万次郎は言った。コントローラーを取り落として、その勝負で私は敗北を喫した。
 高校生になって、一ヶ月ほど経った時のことだった。


「な、何も変化がない……」

 万次郎と付き合い始めて、二月経った。高校生になり彼氏もでき、友達だってたくさんできて順風満帆の、はずだ。
 けれど、私の心には、ひっかかりがある。万次郎との距離感のことだ。
 そもそも手が早いと思っていた万次郎との間に、恋人同士ならあってもおかしくない出来事が、全く存在しないこと。この二ヶ月の間で起こったことといえば、万次郎の家で過ごしたりバイクで海に行ったり、ドラケンとエマと四人で遊びに行ったり。
 そう、付き合う前と何ひとつ変わりのない、健やかな生活なのだ。

「贅沢言うなー! 私だってケンちゃんと付き合いたいのに。はいいじゃん、念願叶ったんだし」

 ちょこっとこぼした不安を拾って、エマは頬を膨らませていた。エマの言うことは最もで、片想いを長いことしていた私たちにしてみれば、関係性の名前が幼馴染から恋人に変わっただけでも喜ぶべきことだった。
 でも、やっぱり満たされれば次へ次へと欲が出てくるのは当たり前のことで。好きな人に触れてみたいと思うのは、おかしなことじゃないって恋愛初心者の私だってわかる。万次郎はそういうこと、ないのかな。
 しょんと耳が垂れた犬が私の胸の内に居座っている。

「マイキーがなに考えてるかはわかんないけど、のこと好きなのはエマでもわかるし。の方からちゅーでもしてみれば?」

 見かねたエマが意地悪く笑う。年上の威厳なんて、小さい頃に捨ててしまっているけれど、ここまで言われてしまって何もしないのは格好がつかない。
 たしかに、待っているだけ、っていうのもよくないかもしれない。ならばやることはひとつ、攻めの姿勢あるのみ、だ!


 攻める、といっても私は恋愛初心者。街中で大胆な行動に出れるわけがなかった。進展がないと呻いているのは事実だけれど、実際に万次郎に触れるイメージをすると緊張と羞恥で頭が湯だちそうだった。
 そんな私になにができるのか、候補を考えよう。行き当たりばったりだと失敗して余計に恥ずかしさに負けてしまう可能性大だ。
 できそうなこと。手を繋いでみる、抱き付く、くらいならバイクに乗るときにもやっているしクリアできるかもしれない。でも、それって進展って言える? もうワンランク上を目指すなら、キスをする、とか……だけど。
 脳裏を流れためくるめく映像に、胸の奥がむず痒く湧き立ったので一度ぐっとくちびるを噛んで堪えた。で、できても頬っぺたかな。うん、そうかも、まずはそこから。
 そうしよう、と自分を納得させたその時だった。携帯にメールの着信。万次郎専用の着メロが鳴ったから、あまりのジャストタイミングに驚いて携帯を取り落としかけた。慌ててメールを開けば、

「今から俺んち。迎え行く」

 いいタイミングではあるけれど、唐突すぎて、まだ心の準備が追いついていない。万次郎はこうと決めたら勝手に動き出すから、待ってくれない。攻められるはずの万次郎に攻め立てられている気分で、急いで私は勝負服を着込むのだ。


 ……やっぱり、なにも変わりないんだよなあ。
 攫われるみたいにバイクに乗せられやってきたのは万次郎の部屋。バイクに乗るとき、腰に手を回すことがいつもより緊張した。
 でも、今日はエマにも言われた通り頑張りたいと思うから、意識してほしいなと思うから、いつもよりぎゅっと腕に力を込めた。万次郎は素知らぬ顔で風を切って、やわらかい髪を靡かせていた。
 部屋に来てもやっぱり。いつも通り話しながらジュースとお菓子でお腹を満たして、ゲームをして。今は二人並んで漫画を読んでいる。変わりない、日常風景。を脱却したい。
 だって、あまりにも変化がなくて不安になる。万次郎は手が早いだろうと思っていたけれど、実際にはそんなことはなくて。
 その理由について、私が考える選択肢は三つある。大事にされているか、付き合ってみたらなんか違うと思ったか、もしくは、罰ゲームかなにかで私と付き合わなきゃいけなくなっただけでそもそも好きじゃない、とか。
 万次郎に限って、最後の選択肢はないとは思っている。万次郎は、大事にすると決めたらそうする人だ。誰かのために、自分のことを我慢できる人だって知ってる。でも、だからこそ、二つ目の選択肢はあり得てしまう。
 幼馴染から恋人に関係性を変えるキッカケを作ってしまったのは自分なのに「やっぱなし」なんて言ったら私が傷付くのを万次郎はわかっているから、言い出せないんじゃないかって。
 ——今日、そこのところをはっきりさせてやる! そう強く決意して、取れる手札を選択する。
 手を繋ぐ、には万次郎の手は漫画でふさがっている。抱き付くのも、バイクに乗っている時に効果がないとわかってしまった。じゃあ……やっぱり、キスくらいしかないって、こと?

「ま、万次郎」
「んー?」

 ちらりと万次郎の方を伺いつつ声をかけるけれど、視線は漫画を優先している。く、悔しい。漫画にすら負けているような気がして。
 この悔しさを燃やして、動力とするしかない。野となれ山となれ!という気持ちで、私は万次郎の頬に口付けた。時間にしたらほんの数秒なのに、口付ける前もその最中も、永遠みたいに感じた。
 万次郎のまつ毛長いな、とか、女の子より頬白いじゃん、と思えたのは、くちびるを離した後だった。けれどそんな思いも、万次郎のびっくり顔を見たらすんと消えてしまった。

「……
「な、なに」

 万次郎から名前を呼ばれることに、こんなにも緊張感を覚えるのは生まれて初めてだった。驚きを湛えていた顔は、なんだか不満そうな、不機嫌さを滲ませた表情に移り変わっていった。
 彼女にキスされてする顔じゃなくない? やっぱり、選択肢はふたつめが正解で。イヤだったって、こと?

「オマエ、何してんの」
「なにって、」
「もしかして他の男にも、こういうことしたことあんの?」

 俺、知らねェんだけど。万次郎の瞳が、背負う雰囲気がぐっと重たくなったのがわかった。
 なんでそんな話に繋がるのかがわからなくて、思いっきりたじろいだ。
 どろどろとした重苦しい感情を押し付けられるみたいに迫られると、経験値の少ない私はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

「ない、けど」

 あるわけがない。ずっと万次郎でしか心を満たしてこなかった私に、そんな余裕はない。あるならもう少しスムーズに事を運べているはずだ。
 万次郎は目元をほんの少し緩めたけれど、まだ納得はしていないとその瞳が語っていた。

「じゃあ、なんでだよ」
「なんでって、なにが?」
「いきなりちゅーするとか。がこういうのに慣れてんのかと思って焦ったじゃん」

 あの重苦しい雰囲気って、焦ったってことだったんだ!? そんな言葉じゃ片付けられないような。もっと、今までに感じたことのない粘度を持った感情だった気がしたのに。

「慣れてるわけないでしょ! 付き合うのだって、万次郎が初めてだし。むしろ、万次郎の方が慣れてるはずなのに、なにもないから、不安になったというか、なんというか」

 勢いで胸に溜め込んでいた感情を吐露していた。いらないことまで言ってしまったと気付いた時にはすでに遅く、全てを言い終えた後だった。尻すぼみになった言葉が私たちの間に落ちている。
 こんな直球勝負をする気はなかったのに、万次郎があんまりにも不機嫌そうにするから。口が滑るってこういうことだ、と頭の裏側に追いやられた冷静な自分が呆れたようにいう。

「もしかしたら、付き合ってみたらやっぱり恋人とは違うなって、思われたのかなって」

 弁解するみたいに言葉を並べても、なんだかどんどん墓穴を掘っているような。ダメな方向に進んでいると自覚すればするほど、焦りが募って自らを追い詰めた。
 万次郎の顔を見れない。気まずかったり恥ずかしかったりで視線はどんどん下へ向かって、今となっては万次郎の胸元あたりを彷徨った。羞恥が視界を潤していくのを奥歯を噛んで耐えている。

「ンなワケねぇだろ」

 ちょっと怒ったような声だった。さっきまでとは違う、怒っているけれどちょっとだけ嬉しそうでもある、そんな声で。
 私の話している内容に嬉しくさせる要素あった?
 「」と万次郎が辿るように言って私の頬を手のひらが掬った。必然的に万次郎と視線がかち合って、私の思っていることなんて丸裸にされるみたいに。

「オマエ、俺がそんなダセェことするヤツに見えんの」
「見えないし、違うのも知ってるけど……好きな人のことになると不安になったりするものでしょ」

 ただの幼馴染っていうカテゴリから抜け出した時から、ずっと揺さぶられ続けている。
 そう言うと、突然、万次郎がぐっと眉間の距離を詰めた。顰めっ面で、なにかを堪えるようにするからびっくりして名前を呼ぶ。

、もっかい」
「え? なにを?」
「俺のことが、なに?」

 顰めっ面から一転して、悪戯っ子みたいにねだる万次郎に、今度は私の方が顰めっ面をする番だった。だって、胸がぎゅっと軋んで、たまらない心地になったから。
 ずっと、いつでも、想ってきたことなのに、私の外側に出してあげるようとすると、とびきり恥ずかしくなるのはなんでなんだろう。まぶたを伏せる。

「ま、万次郎が、すき」

 だから、不安にもなる。長湯したみたいに、首からどんどん熱が迫り上がる。万次郎は一通りの私の様子を眺めていたようだったけれど、歯止めが効かなくなったみたいに性急に動いた。

「俺も、が好き」

 最初に言われた時から数えて二回目、ずっと欲しかった言葉は何度聞いても嬉しい。
 けれど、私にはそれを噛み締めるような時間は与えられなかった。だって、言葉と一緒に触れた、くちびるが。ちゅ、と軽いリップ音を残して、私のファーストキスは万次郎にあっさり奪われてしまったのだ。

「え、え? 万次郎、いまなにしたの?」
「なにって、キス」

 そうだ、キスだ。そんなことは私にだってわかっている。さらっと奪われすぎて、意識する隙間もないくらいだった。
 わかったのは、唇がやわらかかったなってことくらい。ぽかんとしている私を置いて、万次郎は床に投げ出された私の太ももを跨ぐようにした。

がさ、不安になるんだったらいくらでもするよ、俺」

 万次郎の親指が、私の耳たぶをゆっくりとなぞる。喉が震えそうになるのを咄嗟に我慢した。
 万次郎に触れられたことは、今までだって何度もあるのに。こんな風に肌が震えるような、無理やりなにかを引っ張り上げられる感覚は——はじめてで。

「それにさ、俺の方が、もっととこういうことしたかった」

 いつもの万次郎もかっこいいなって思ってる。でも今は、今まで見たこともない、なんだか知覚してはいけないような艶かしさがあって息を呑んだ。

、ごめんな」

 それはなにに対する謝罪なんだと聞く前に、今度こそ万次郎に、私のくちびるは食べられていた。
 ほら、やっぱり。手慣れてる、じゃん。
 襟足あたりに添えられた手のひらがやわらかくて、それでも有無を言わせず万次郎を受け入れさせる力があった。触れられているところがびりびりと戦慄く。
 温度が伝って、どんどん自分が違う生き物に変えられていくみたいで。食むみたいに、角度を変えて万次郎は何度も私のくちびるを確かめた。

「ま、って……ん、っふ」
、口開けて。鼻で息吸って」
「や、……っまんじろ」

 呼吸がうまくできなくて、助けを求めたくて万次郎を呼んだのに。溺れるよう感覚の中、助けは来ず、どんどん万次郎でいっぱいにされる。どうしようもなくて縋るように腕を掴めば、ぬるりと、唇を割って入るものがあった。
 これ、し、舌だ!? はじめての感覚が、くちゅりと響く音が、その一つ一つが羞恥を煽る。あたたかい、って形容できるものに付随するのは基本的には安心できるものだと思っていた私に、新たな価値観を植え付ける。
 だめ、こわい。やわらかくてあたたかい、私を乱してやろうという意思がみえて、だめにされるって本能でわかるから、こわい。
 無意識に閉じようとしたくちびるを、阻止するみたいに後頭部を後ろに倒された。抱え込まれるようにして、万次郎が私に覆いかぶさる。
 視界も、口内も、香りも、音ですら全部万次郎で塞がれてしまって。オマエの世界には俺だけだろって言われているみたいで、必死に万次郎に縋った。

「ぁっ……ま、ってぇ……っ」
「だめ、止めんな」

 息が苦しくて開いたくちびるを、逃さずにもっと口づけが深くなる。じゅ、とわざと音を立てて舌を吸われる。どっちの唾液かわからないくらい、もうぐちゃぐちゃで、それが毒みたいに効いてきて心臓が縁から溶かされるみたいだった。
 もう、もう、もうやめて! 叫び出したいのに、すべてが万次郎に収束されてしまう。逃げ出せない、熱を持ってぼんやりと痺れた頭の芯。腹部の奥に溜まってどこにも逃せない大きな熱の塊が、私を攻め立てる。
 熱は私の全身を巡って、出ていく場所がここしかないと定めたのか、涙になってふちから落ちる。

「っは、……もう、ちょい」
「ふっ……ん、んぅ」

 そんな様子に構うことはなく、とどめのように口蓋をくすぐる舌に腰が跳ねる。
 頬に口付けたのなんか、まるで児戯だった。あんなのは永遠でもなんでもない。やっと離れた私のくちびると万次郎とを、唾液が繋いでいた。ぷつりと切れた様子すら恥ずかしいのに、万次郎はとても満足な食事を終えたように口角をひと舐めした。

「俺はこういうこととしたい」

 やっと解放されて大きく肩で息をする。頭も視界もぼんやりとしていて、万次郎に応えられない。ぼろりと落ちた涙を拭いながら万次郎が言う。

「けど、しちゃったら止めてやれる自信なかったし。だから、しなかった」
「うん、や、やばかった」
「はは、が思ってんのと、オレが思ってんのは違うだろうなって思ってた」

 それは、そう。私はこんなキスの仕方なんて知らなくて。万次郎は手は早くなかったけれど、手慣れていた。どこかで経験はあるってこと。ずっと一緒にいたのに知らない万次郎がいることは、私の胸をぐっと握りつぶす。
 しょうがないって、割り切るしかない。過去のことは戻らない。でも、それなら、これからのことは全部知っていたいと思う。

「あのね……たしかに、私はなんにも考えられてなかったけどね。知らない万次郎がいるのは、いや」

 知らないことを知らないままにしたくない。今日は頑張るって決めた日なんだからと心を決めて、今度は私から万次郎の薄い唇に触れる。頬に添えた手はちょっと震えた。舌はどうやって入れたらいいのかわからなくて辿々しかった。
 唇を離すと、万次郎はびっくりと戸惑いを混ぜて固めたみたいな顔をして、それから大きくため息をついた。頑張ったのにその顔は、ちょっと、ううんかなり傷付くからやめてほしい!

「あのさぁ、言っとくけど、知らないがいるの嫌なのは俺の方だかんな」
「どういうこと?」
「……オマエ、高校行ってから、男が周りにいるじゃん」
「そんなこと? 全員友達だし、中学の時だって圭介やドラケンがいたじゃん」
「場地とかケンチンはなんか、ちげーじゃん。俺も知ってるし。アイツらといるは俺のだし。でも高校の男は俺の知らねぇヤツじゃん」

 なんだそれ、と思ったのは内緒だ。いつどこにいても私には「万次郎の私」というラベルをつけてほしい。でも、万次郎がそんなふうに燻っているなんて思わなくて、嬉しいと思っているのも、内緒だ。

「オマエは俺のなのに」

 ああ、だからか、と納得がいった。私が高校に上がって、万次郎が告白してきたタイミング。もしかしたら、街で私が友人たちと一緒にいるのをみたのかもしれないし、私が話した高校生活に思うところがあったのかもしれない。
 それってさ、私のこと大好きじゃん。言葉でも行動でも、そう示してくれるのが嬉しくて目の前でむくれる万次郎の首に抱きついた。私の気持ちも、万次郎にちゃんと伝わってほしいと思う。

さぁ……あー……はぁ、もう無理」

 今日イチバンのため息だった。それは熱を帯びて、私の耳たぶを揺らした。湿った息がくすぐったいと思う間も無く、私の体はソファの傾斜に沿って倒された。無理って、なにが、

「……万次郎?」

 いろんなことに心が満たされて、度外視していたことがある。恋人にはここから先が、キスからまだ先があるっていうことを、私は失念していた。部屋の蛍光灯を背景にした万次郎は、顔は影になっているのに目だけがぎらぎら光って見えた。
 ——まるで狩りをする獣みたいな。
 こうなったら逃げの一手しか手札がないのに、私の背後にはソファがあるし、両脇は万次郎に囲い込まれてしまっている。逃げ場は、ない。
 立場がすっかり逆転した、戦いの火蓋が切って落とされてしまった。開戦を踏み止まってくれていた万次郎へ合図を出してしまったのは私で、つまり、

のせいだから、責任とって」

 万次郎は、誰かのために自分のことを我慢ができる人。けれど、私の思っていた方向性とは全くベクトルの違うものだったのだ。
 今までほとんど見たことのない、余裕のない万次郎の表情に。そんな風にされてしまっては流されてもいいのではないかと、覚悟を決めて私は万次郎の汗ばんだシャツにぎゅっと皺をつけた。


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ogaへ。毎日元気に健やかに過ごしてね。