ヨコシマな男の方が可愛いよ



「おねだりの仕方は知ってンだろ」

 そう言いながらにやにやと笑みを浮かべる蘭が恨めしい。そんな表情ひとつとっても、完成された美しい作品のように思えてしまうなんて、悔しいことこの上ない。私は、この幼馴染の崩れた表情なんて見たことがなかった。
 私の弱みと好みを熟知した手口。このやりとりも何回繰り返したことかと思うけれど、結局引っかかってしまうから頭が痛い。ついでに言うと、財布が寒い。

「でも、今ちょーっとお金なくて……」
「は? オレがオマエに金せびると思ってんのかよ。万年金欠女」

 とても不服なレッテルなのにぐうの音も出ない。蘭みたいに出所のわからないお金なんて持っていない高校生なんだからしょうがないじゃん! そう思うけれど、言ったら機嫌が急降下なのでダンマリを決め込む。

「で? どーすんの?」

 オレは未来予知ができるとでも言うような余裕な態度。私が次に口にする言葉を、蘭はすでに知っている。

「くっ……! うう、一日、蘭の気が済むまで付き合うから、ケーキ食べさせてください……」

 私がそう言うと、蘭は眩しいくらいの笑顔を浮かべた。街ゆく女の子が見たら悲鳴をあげそうな、昔馴染みが見ても悲鳴をあげそうな。どちらも別の意味の悲鳴だけれども。
 悔しくても、屈するしかない。蘭がいつも「もらいモンだけど?」と言って見せつけてくるケーキは、友達と美味しそうだねと眺めるグルメ雑誌でしか見たことのないようなものたちで。さらには私の好きなものばかりなのだから白旗は早々に振られる。
 ひとつのエンゼルパイや一枚のカントリーマアムを美味しく楽しんでいる私からすると、手が出せないものだ。更には、いつもバイト代の支給日前の、いちばん金欠で甘いものに飢えている時を狙ったかのようにそれが差し出されるものだから。即陥落してしまうのも仕方ないというもので。
 今回はつやつやのオペラ、クリームがふわふわのいちごショート、フルーツがぎっしりと層になったミルフィーユ。休日一日を犠牲にしたケーキたちはさぞ美味しいことだろう。

「しょうがねェなぁ。金無くてケーキひとつ買えねぇカワイソーなちゃんにオレが譲ってやるよ」
「シンプルに嬉しい」
「ハ、だろ? やさしいオレに感謝しろよ。オマエのなんも予定のないサビシー休日と交換してやるんだから」
「本当にやさしい人は脅すような形を取らないはずなんですけどね」
「生意気言ってると食えなくすっけど?」
「いただきます!」

 蘭はシマの奴からの貢物だ、というこのケーキに手をつけない。だから、どれも選び放題でどれから手を付けるか迷ってしまう。毎回同じお店のものなら慣れも出てくるのに、いつも違うお店の初めて口にするケーキだから困ってしまう。嬉しい困惑ではあるけれど。
 蘭は休日の付き人を手に入れたからか、ご機嫌で。頬杖をついて私がケーキを口にする様を見ている。ひとつめはいちごショートにした。

「うまい?」
「うん、美味しい……めちゃめちゃ美味しい……」
「そ」

 それだけ言うと、蘭はくちびるの端っこを持ち上げた。毎回、そうやって感想を聞かれるので、このケーキ、実は何か仕込まれていて毒味させられているのでは?と勘繰ってしまう。(過去、何度もひどい悪戯に遭っているので、疑うのは許してほしい)
 一通り私の反応を見た後で、蘭は自室に引っ込んだ。これも毎度のことで、蘭の行きたいところリストを見せられてどこに行くか決めるのだ。
 この前は蘭行きつけの原宿の美容院に連れ込まれて髪をいじられた。髪が見たことないくらいつやつやになった。
 その前は六本木のお店で蘭のファッションショーを見た。一着ごとにポーズを取るので腹立たしいけれど、だいたい蘭に似合わない服がない。褒めると当たり前のような顔をしていたけれど、結局最後は満足そうにして褒めた服を買っていた。金持ちめ。
 だいたい私に行き先の決定権はないけれど、蘭は楽しそうにそのリストを見せてくる。そのリストを取りに部屋に引っ込んだのだ。
 今回はどこだろうかと思っていると外出していた竜胆が帰ってきて、ひとりでケーキに舌鼓を打っている私を見て呆れた声を出した。

「また食ってんのかよ、飽きねぇの?」
「あ、おかえり。飽きないよ、いつも蘭がもらってくるケーキって食べたことないようなやつばっかりだもん」
「ただいま。つーか……は? もらってくる?」

 竜胆が不思議そうに首を傾げるから、私も同じくそうする。

「え? 毎月、蘭がシマの人?から貰うっていう……違うの?」
「あ、あー……いや、あるわ、あるある。六本木のシマにケーキ屋があって、えーと、その店のパティシエが兄貴のファンで」

 竜胆は、なんだか取り繕うみたいに言葉を連ねる。なんだパティシエのファンって。不良とパティシエの繋がりがどこでできるっていうんだ。それ本当にファン? 脅してない?
 幼馴染の悪行が身に染みているこちらからすると、不良界隈以外にもその魔の手が伸びていないか不安になる。

「ねえ、パティシエの人脅したりしてないよね? なにしたらそんな繋がりできんの」
「してねぇわ! まあ、……オレら顔広いから」

 強い否定からの、ふいと逸らされ宙を漂う視線。なんだか、私が知っていることと事実が一致していないような気がしてきた。
 目を細め、探るようにひとつずつ竜胆を追い詰める。竜胆は、割と隠しごとが苦手なたちなのを私は知っていた。すぐに顔に出るのだ。

「ふーん、そうなんだ。でもさ、蘭のファンなら、モンブランを入れないのは悪手じゃない?」
「あーー……それは……」

 竜胆が苦虫を噛んだみたいにぎゅっと表情を詰める。
 そうなのだ。今まで蘭が持って帰ってきたケーキの中にモンブランは入っていたことがない。先に食べてしまったのだと言われても、違和感が残る。
 だって、箱の中はいつも私の好みのものでぎっちりで、モンブランが入る隙間なんかない。蘭のファンだというのなら、好物くらい入れるだろう。むしろ、入っていなければ「それくらい入れろよ、ファンならさぁ」と蘭は蹴飛ばすだろう。私の中の灰谷蘭はそういう男で。
 それに、そもそも。証拠品と竜胆の証言が一致しないのではないだろうか。このケーキはいつも同じ店舗で購入された訳ではないのだ。六本木にお店を構えるパティシエのファンからの差し入れなら、毎回同じお店のものになるだろう。

「やっぱり、これってパティシエのファンから貰ったものじゃないんだよね? そこのところどうなのかな、竜胆くん!」
「なんなんだよ、その言い方。鬱陶しいな。つーか、ンな近付くなよ、離れろ!」

 なんだか探偵のような気持ちになって楽しんでいる節もある。ずいずい事実と共に迫る私に、ヤベェから離れろ!と必死になる竜胆。何がやばいのかは分からないけれど、竜胆の焦りようから、真実に近付いているということだけはわかる。

「竜胆が答えてくれたら離れるよ!」

 竜胆がちらり、と蘭の部屋の方へ目配せをする。焦った表情に舌打ちが重なる。

「いや、……だから! ああもう、これは貰ったんじゃなくて兄貴が買って、」
 
言質が取れる、その時だった。蘭の部屋のドアがゆっくりと開いて、その部屋の主もまた、ゆっくりと顔を覗かせた。ちらっと見ただけでも目が据わっているのがわかる。さながらホラーなその状況。
 別に悪いことをひとつもしていないのに、私の喉は引き絞るような悲鳴を出した。あまりにも顔が怖かったので、しょうがないことだ。まるで寝起きみたい。

「ひぃ」
「竜胆ォ、オマエさあ」
「ご、ごめん! 兄ちゃん!」

 竜胆はすっかり萎縮して、飛び跳ねるように立ち上がった。ありもしない用事を口にして、自室に引っ込む。蘭は止めはしなかった。
 音を無くした部屋を蘭は歩き、そのままどかっと、誤魔化すように大振りな仕草でソファに座った。沈黙が広がる。ひっそりと蘭を見遣る。
 下ろされた髪が蘭の輪郭を包んで、表情は読みづらい。こちらから見えるむっつりと結ばれたくちびるを見るに、本来は黙ってケーキを食べ、刺激しないのが最善策なんだろう。さっきの楽しそうな様子とは雲泥の差。
 さて。けれども、私は先ほどの探偵気分を少し引き摺っていて。真実を探求する気持ちは、やっぱり捨てきれない。恐ろしげな空気にさっくりと刃を入れる。

「これ、今までも蘭が買ってくれてたの?」
「……オマエこの空気でよく聞こうと思えンな」
「だって、気になるじゃん」
「……自惚れてんじゃねェよ」
「ええ……」

 低く突っぱねられる言葉。視線は交わらない。けれど、そこにはほんのり、飲み込みきれない恥ずかしさのようなものがあった。
 蘭がケーキを買ったことはきっと事実なんだろう。けれど自惚れるなという言葉をまるっとそのまま受け取るとするならば。

「えっと、じゃあこれは、蘭が他の誰かのために買ったけど、余っちゃったから私にくれたってことであってる?」

 蘭が「誰かのために、何かをする」なんて、そんなことがあるのだろうかと半信半疑。もしそうなら、蘭も大人しくなったものだなと感慨深くなるし、少し寂しくもなった。
 そんな奇跡みたいなことを蘭にさせる人は、誰なんだろうなと、ほんの少しだけ。

「は?」

 蘭は本当にびっくりしたというように一音だけ落とした。それは否定の一文字だったような気もするが、なにに対してなのかがわからなくて「違うの?」と言うと、蘭は素直に頭を抱えた。

「オマエまじかよ、ふざけんな」
「いや、だって蘭が自惚れるなって言うから、」
「オマエの好みドンピシャのモンが適当に買って出てくるワケねェだろ。少しは考えろ、バァカ」

 一息にそう言い切る。つまり、奇跡の起源は私だと、蘭は言っている。え?

「このケーキ、私のために蘭が買ったってこと!? なんで!?」
「……は生き急いでんなァ」

 ひくりとくちびるの端を引き攣らせた蘭は、ままならないとでもいうように私の頬を両側から挟んだ。戯れみたいなものでも、力が込められるとだいぶ痛い。
 地雷を自ら踏み抜きにいった自覚はある。でも、蘭は否定はしなかった。「は、はなして」と助けを求めても蘭には華麗にスルーされた。

「オレが誰にでもモノ買ってやったり、行きつけの店に連れてくと思ってるワケ?」

 質問しているくせに、頑なに私に答えさせる気がないような。私の口は蘭のせいで開けない。顔が歪んでいるのがわかる。
 それでも負けじと眉を顰め、不服なのだということをアピールすると、蘭はふと息を落とした。
 視線の居所を探しているように見えた。視線は交わらない。

「……つか、そうでもしないと出かけねェだろ」

 小さな言葉だったのに、静かな部屋にはひどく沁み入った。私の察しの悪さを馬鹿にするようでもあったし、なにかを祈るようでもあった。
 結局、全ての事実が蘭の口から語られたので探偵は不要になってしまった。話すつもりがなかったのに話してしまったこと、不本意ながら蘭も気付いたのだと思う。蘭が羞恥にくつくつと煮詰められている。
 蘭は誤魔化すみたいに、私の顔を見て「ブッサイクになってんなぁ」と言う。蘭のせいなんだけど、と普段であれば腹が立つのに、そんなことが今は目に入らなくて。
 蘭がむず痒そうに唇を歪めて、羞恥に耐えている。こんなに表情を崩すのを初めて見た。蘭は私の弱みを熟知しているけれど、私も蘭の弱みがわかってしまったかもしれない。

「らん、あのさ、」

 拘束を振り切って声を出す。
 蘭って、ケーキで私を買収してまで一緒に出掛けたかったんだ。あの灰谷蘭が。
 いろんなお店で毎回、私の好きなものを探して、選んで、私が喜ぶかを考える蘭を想像して。なんだかかわいいと思ってしまって。ぎゅっと胸を突くものの正体は、まだちゃんとはわからないけれど。
 ちょっとだけ気恥ずかしさが移ってしまって、くちびるを尖らせて言う。

「今度からはさ、ケーキがなくても誘ってもらっていいですよ」
「ハー生意気」

 なんて言いながらも、あとから「オマエからも誘えよ……くそ、ダセェ」と小さな声で零すから。蘭の白い頬がどんどん色付いて侵食されていくのを眺めていた。こんな表情を見れるのは、一緒に出かけたい、なんていう理由でケーキを買う幻みたいな蘭が見れるのは。
 これからも私の特権であればいいなって祈りながら。

「でも、ケーキはたまに奢ってくれると嬉しい!」
「台無しなんだよ、万年金欠女」

 なんて言いつつも、声にじんわりと嬉しさが滲んでることは、私たちの平和のために指摘しないでおこうと思うのだ。