魔法のひみつ



「き……っ、清光いたー!」
「ん?」

 買い出しから帰った矢先のこと。バタバタと音を立てながら廊下を走ってくる音と、自分の名前を呼ぶ声に清光は後ろを振り返った。綻んでしまいそうな口元をどうにか引き締め「どうしたの?」と問いかける。一緒にいた安定も足を止め「あれ、そんなに急いでどうしたの?」と首を傾げた。その言葉を受けながら二人の前に立ったは手に絆創膏を持ちながらもごもごと口ごもり、清光へ視線をやった。
 そんな調子で眉間をきゅっと寄せこちらを見つめてくる自分の主に、清光は心中穏やかではいられなくなる。想いを寄せている人が自分を出迎え、あまつさえ切なそうな表情で自分を見ている。心臓だけで走っていってしまいそうなほどの内心ではある。けれど、それを表情にはおくびにも出さず、あくまでもクールな加州清光を取り繕ってみせた。彼女にはかっこ悪いところなんて見せたくない、彼のプライドだった。その気持ちは当の本人には伝わっていないが、安定には明け透けに伝わったようで彼は我慢できないように口元を波打たせ体を震わせた。
 そんな二人の状態なんていざ知らず、やっと考えがまとまったとでもいうかのようにが話しだした。

「さ、さっきアニメ見ててね。それで……もしかしたら清光のホクロもそうかもしれないと思ったら、居ても立ってもいられなくて!」
「……えーっと、どういうこと?」
「だ、だからね、英雄達が聖杯を求めて戦うアニメを見てたんだよ。そうしたら、イケメンが!ホクロが!魅了が!」
「アニメでホクロがなんだって?」
「アニメっていうのは、最近、主がハマって見てるやつ。英霊が聖杯戦争するやつ……ていうか、先に見ちゃったの?!僕も一緒に見たかったのに!」
「え、あ、やば、ごめん!休憩中でね?!待ちきれなくてね?!」

 話しに纏まりがないかつ、安定とのやりとりが始まってしまったので話の概要が理解できない。いつも通りのお決まりの二人の軽口に一つ溜息。自分にはできないやりとりが羨ましいような、話についていけないことが悲しいような。そんな想いを抱えつつ、彼らの会話の中から清光が拾い上げた話の概要はこうだ。
 最近と安定が見続けていたアニメに出てきた槍使いの美青年がいるらしい。彼は目元にホクロを持っており、それが女性達を魅了していってしまうらしい。彼が意図しなくとも発動する魔法のようなもので、そして呪いのようなものでもある。
 話を理解して清光は脱力した。それでなんで俺? アニメの中の話だ、しかも自分は槍使いではないし、そんな魔法の力も持っていない。一致する部分なんて、ホクロがある、という部分だけだ。ホクロにそんな力があって、を魅了できるならそれに越したことはないが、そんな力で好きになってもらっても意味がないしなぁと清光は一人思った。
 そう考える傍で、と安定の言い合いも続いていた。アニメを一緒に見る約束をしていたらしいが、それも清光にとっては気に食わない内容だ。前々から一緒に見ていたような口ぶりであるし、清光はそんなこと知らない。別にとはただの主従関係なのだから、知らなくて当然なのかもしれないが。それでも、それが二人だけの約束だと思うと釈然とせず、清光はむっつりと口を噤んだ。

「ごめん、ごめんって。また後で一緒に見よう」
「しょうがないなぁ、それでいいけど……約束だからね。ていうか、元々の話なんだっけ?ホクロ?」
「あ!そう!だからもしかしたら清光のホクロもそうなのかもしれないと思って。だから隠して!他の人も魅了されちゃったらまずいから!」

 だからこれを!と手にした絆創膏を切羽詰まった顔で渡してくるに、清光の頭上を疑問符が飛び交った。この絆創膏でホクロを隠せという、それはわかる。けれど、隠したって隠さなくたって、そんな術を自分は使えないんだけれど、という点が清光の頭を悩ませた。
 慌てているせいか話が突飛な主と、話の根本を理解できていない清光。その二人の橋渡し役は自分か、やれやれと腰を上げたのはもちろん安定であった。当人たちは全く分かっていないらしいが、周りからしたら分かりやすくて仕方ない。ここは一肌脱いでやろう。

「でもさ、主」

 そう最初の言葉を吐き出して、安定はの耳元へ唇を近付けた。「え、なに?」と言う彼女に反して、ギョッと目を剥いたのは清光だ。あたかも親密そうなその仕草は、胸の内にへの想いを秘めている彼からしたら爆弾そのものだった。それを理解しつつも、清光は彼女の前なら下手な行動には出ないだろうと思っているのか、はたまたフォローが面倒だったのか彼はそのまま、へ言葉を一つ。この状況の解答ともいえる言葉を囁いた。
 安定からの耳打ちの後、はパチパチと瞼を上下させた。それから、安定の顔を一度見、そして清光の顔を一度見た。そしてハッと気付いたような表情を見せてからは早かった。細い首元から迫り上がる赤い色、それが顔を覆い尽くす前に彼女は「ご、ご、ごめん!今のなし!なしだから!」と言葉を投げ捨てて脱兎のごとく駆け出した。

「おまっ、お前……なに、今の!」
「あーーーー、待った!清光、お前の勘違いだから怒るなよ!」

 が去った後、石化が解けたように口火を切った清光に安定が待ったをかける。ここで誤解されてはたまらない。彼としては応援と助力のつもりでやったことなのだから、怒られるなんて以ての外だ。
 だから、彼女にしたように、彼にも、この状況を何もわかっていない昔馴染みにも解答への道筋を立ててやろうと安定は思うのだ。自画自賛したくなる優しさだ。

「僕はこう聞いただけだよ。“でもさ、主。ホクロなら僕にもあるんだけど、なんで清光?”って」

 安定からのヒントに、ぽかんと口を開けるしかない。確かに、ホクロがある刀剣男士なんて清光だけではない。それなのに、なぜ彼だけが名指しで心配をされたのか。そこまで分かってしまえば簡単な話だ。
 早く気付けよ、と安定の瞳が湾曲する。追撃のように続く彼の言葉にはほんのすこし羨ましさが溶け込んでいるようではあるけれど、限りなく優しく、そして楽しそうだった。

「しかも、そのアニメに出てくるキャラのホクロの位置って僕の方が近いはずなんだ。そのキャラは口元じゃなくて目元だし。僕とは逆の位置だけど」

 だから、なんでわざわざ清光なのかなぁと思って聞いてみた。そう締め括られた言葉に、清光は何も返さなかった。というよりも、喉の奥、胸の内側で言葉がこんがらがって出てこないと言った方が正しいのかもしれない。言葉なんて出てきそうにもないが、胸の内から出てきてしまいそうな期待を押し込めるために口元を抑える。出てくるなよ、もしそうじゃなかったらどうするんだ。期待をして落ち込むのは嫌だ。
 だって、こんなに都合のいいことがあっていいのだろうか? 安定の言葉から考えると、自分にとって願ったりな状況しか浮かんでこないのだ。他の誰でもなく自分を指し示した言葉、そして清光の顔を見て頬を赤く染めて走り去ったその意味は。

「……ていうか、」

 他の人“も”って何さ? それはまるで、もう魅了にかかった人がいるかの様な、そんな。怒涛の展開についていかけず、体を動かすことがでない清光は頭の中で彼女の言葉を反芻する。
「他の人も魅了掛されちゃったらまずいから!だって。いいなー清光、いいなぁー」なんて楽しそうにトドメを刺す安定の方が断然状況を理解しているに違いない。込み上げてくるむず痒い気持ちが、もうどうにも堪え切れなくて、清光は咳払いをした。どうにか、平静を保ちたい。
 けれど、どんなに気持ちを抑え込もうとしても刀剣男士としては一番わかりやすい反応が見えてしまう。満開になるように背に咲いた桜にとうとう清光も安定も耐えきれず、一方は地に伏し、もう一方は一際大きな声で笑った。