色違いのアイラブユー



 加州清光は彼女の初期刀で、僕が顕現した時には既にこの本丸で大方の指揮を取っていた。所謂、第一部隊隊長というやつで、あいつは相当力を入れていた。なんていったって、その場所は花形も花形。主から一番期待され信頼されているように思える場所だったから。
 別にそこにいなくたって信頼も期待も変わらないけれど、目に見える形で表されるとやる気になるというものだ。その時の清光は生き生きとして刀を振るい、帰れば主に褒められて寄り添って満足気に笑っていた。主も安心したように笑っていて、僕は少し羨ましくもそんな彼らが好きだったのかもしれない。なんだか、あたたかくて。

「清光と私、ちょっと姉弟に見えない?すごく近くにいる感じ」

 思えば、そんな関係性が歪な形になっていったのはいつからなんだろう。考えてみたが、あまりに緩やかに変わったから明確な部分が思い返せずにいた。けれど、きっかけを作ったのは確実に清光の方だった。
 変化は表情一つから爪の先まで。まずあいつはあまり主に甘やかされに行かなくなった。彼女に触れることは最低限、なんだか余所余所しくも見えて僕の方がヤキモキしてしまった。もちろん出陣や内番なんかはしっかりやるから、余計にその違和感は顕著になった。
 それから、愛されたいから綺麗に着飾る。その気持ちの権化のような爪からもさらりと色を無くしたのだ。少し経ってからさり気なくその理由について聞いてみたけど、あいつは「姉弟になるから」と言ってそれ以上は話さなかった。


「今年のバレンタインは挙手制だから!欲しいって言ってくれた人にだけチョコあげるからね~」

 朝餉の時にそう言った彼女に群がったのは、まずは短刀、次いで兼さんだった。
 主はお菓子が好きな方だから、手作りもするし買いにだって出る。今日は甘い香りを纏っていたから、手作りかなと思ったけれど兼さんが齧りながら戻ってきたのはこの前テレビで見たおいしいと噂のブラウニーだった。あれ、手作りじゃないのか。

「ん?どうした安定、つーか、お前らいかねーの?」
「行くけど、短刀たちが落ち着いてからにするよ」
「僕も。兼さん、特攻隊長みたいだったね。かっこいいよ」
「堀川それ褒めてる?馬鹿にしてる?」
「もちろん、褒めてるよ安定くん」

 ニコニコと笑いながら言う堀川の言葉は少し信じられない。それでも兼さんは嬉しそうにブラウニーを頬張っている。
 これをテレビで見たのは、兼さんと清光が一緒にいた時だった気がする。三人で美味しそうだと話していた記憶はあたらしい。

「清光、お前は?あのブラウニー食べたいって言ってただろ」
「あー、俺はいーや。いらない」
「なんだよ、お前も食べたいって言ってたやつだろ?主がわざわざその話聞いて買いに行ったんだぜ?」

 猫のようにツンとそっぽを向いたと思えば「別に」と澄ました。何が別にだ、本当は食べたいくせに素直じゃない。丸く赤い瞳が少しだけ揺れたのを僕は見逃さないからな!

「俺、別に食べたいとは言ってないし」
「んじゃ、俺がお前の分まで食ったっていいってことだよな?」
「……俺には関係ないし、そりゃあの人のことだから、言えば山程くれるでしょ」
「あの人、ねぇ……」
「こら、兼さん。茶化さない」

 一つ溜息を吐いて「へぇへぇ」と雑に頭を掻いた兼さんは主のところでもう一つ、チョコレート菓子を貰ってから廊下に出た。その時に、清光へ挑戦的な視線をよこすのも忘れずに。
 それを見た堀川からの刺すようなお叱りに背を押されて兼さんは引っ込んだ。その視線を受けて、瞳だけで広間を逡巡してから清光は唇を少し噛んだ。

「俺だって、」

 そう、風に乗りそうなくらいの声色で呟いた声がどこまで届いたのか、隣にいた僕にはわからない。僕は堀川と顔を見合わせる。でも、あいつの言葉は存外小さく軽かったから割と遠くまで飛んだかもしれないし、すぐそこらへんで落っこちたかもしれない。お節介な誰かが運んでやったかもしれないし、そのまま置き去りだったかも、しれない。
 結局、清光はチョコレートが欲しいと、名乗り出ることはなかったのだ。


 夜、眠りにつこうとしている最中、ことり、と暗闇が音を立てた。ふわりと甘い香りを引き連れたその音が誰に気付いて欲しいものなのか、僕にはすぐわかった。

「清光」
「なに」
「外、音したから見てきてよ」
「お前の方が近いじゃん、なんで俺」

 なぜって、僕はもう布団という陣地にすっぽり収まっているからだ。一日の終わりにこの暖かさを体感してしまっては、冷えた外気に体を再度晒す気持ちにはなれない。清光はまだ布団には入ってないしね。
 それにこの訪問者に用があるのは僕ではなくて、清光のはずなのだ。僕が布団から出る気はないと示せば清光はぶつぶつ文句を言いながらも立ち上がって襖を開く。するりと隙間を抜けた風が僕のところに冷たい空気ときらきらした甘い香りを運んでくる。この冷たい空気はあんまり好きじゃないけれど、それに紛れた気持ちは少し羨ましいと思う。

「え、」

 清光は不意の出来事に声を漏らして、その後ピタリと固まった。そのままだいぶ経っても動かないからさすがに気になって、布団の暖かさもポイと捨てて僕はすす、と後ろから覗き込む。どんなものが贈られてきたんだろう?
 清光は僕に気付かず、「馬鹿清光」と書かれた小さな薄い色の用紙が括り付けられたそれは赤いリボンで丁寧に飾られた包みだった。ふるりと揺れる指先が赤色を解く。そこから緊張が伝わってくるようで、僕も静かに息を呑む。
 中から転がったのは昼間とは違う、少し歪なチョコレート。それから、昔と同じ色の爪紅とメッセージ。

“ 塗る必要があるなら、部屋に来て ”

 見えたのは一瞬、そこまでだった。なんでかって、ぶわわっ! ぼふっ!という音が僕の耳元で咲いたからだ。今まで抑え込んできたものの爆発ほど、余波がでかいものもないと思う。僕の頭の中は冷静にそんなことを考えていたけれど、体の方は清光から飛び出た桜の花びらで部屋の方に押し戻された。ちょ、うわ、口に入った!

「う、わ、今までで一番じゃない?こんなたくさん……清光?」
「う、わ、まじかよ」

 震える声を支えるように、清光は手で口元を抑えた。そして、茹で上がったようなその頬や潤みきった瞳で振り返る。これ、向ける相手を間違ってるんだよなぁ。
 そんなことを考えていれば、振り返った清光が桜まみれの部屋と僕、それとさっきの自分の気持ちを重ね合わせたことで現状を把握できたらしい。自分が、どれだけ喜んで、抑え込んできたものがあったのか理解したらしい。
 「あ、えっ、うわああああーーっ!!!!」という叫び声と共に、清光は自分から噴き出した花びらを回収しようと腕をバタバタと動かし始めた。そんなことしたって、ばら撒かれたものは戻らない。それでも清光は今、自分の羞恥心を掻き消そうとしていて、この桜をどうにかしないことにはそれが成り立たないようなのだ。
 あまりに慌てていたから、清光は自分の出した桜に足を取られてすっ転んだ! あの清光が。もう余裕もへったくれもない。それだけ嬉しかったってことだ。
 もうそれを見たら、さすがに我慢できなくて僕はお腹の底から沸いて出た爆発的な笑いをそのまま口から出してやった。そんなに嬉しいなら、その気持ちをちゃんと示してやってほしい。こいつらの事情の端っこを齧っていた僕からのお節介と少しの謝罪を込めて思う。
 「うるさいぞ!お前ら!」やら「な、なに?!清光くん大丈夫?!」という声が本丸のあちらこちらから聞こえる。きっとみんなすぐにここに集まって来てしまうだろう、その前にと思って僕は清光を手で追い払う。

「ほら、さっさと行った行った」
「な、安定お前、」
「まず、主にお礼言いなよ。それに多分謝ったほうがいいし、明日一緒に朝餉食べてなかったらぶっ飛ばすぞ」

 しょうがないから、あとの面倒ごとは全部僕が引き受けてやろう。部屋に満遍なく散らかった花びらも、本丸のみんなからのお叱りも僕が引き受けてやる。清光は、もっとやらなきゃいけないことが今日はあると思うから。
 清光は、主が口にした言葉の続きをちゃんと知っていたのだろうか。姉弟に見えてたまるか、なんて考えた清光が今日まで張ってきた意地は無に帰すような話だ。

「清光と私、ちょっと姉弟に見えない?すごく近くにいる感じ。あ、でも姉弟より彼氏と彼女に見えたら嬉しいんだけど。どうかな?」

 あの日から、だいぶ経ってしまったけれど、やっと捻れた関係性が元の形に戻りそうだ。僕から二人へのハッピーバレンタインっていうやつだ!