色違いの夢を見て



 月次の定例報告はいつもと変わらず、緩やかに穏やかに終了した。普段ならそれで終わるのに今回はそうではなくて、私の担当の男性は部屋に沈黙を降らせた。何があったのかと眉を寄せた私に伝えられた話はこうだ。

「時間遡行軍討伐の際、刀剣男士が元の主人に出会い、歴史を改変しようとした。審神者は各々厳重に注意せよ」

 簡潔に言えばそんな話で、けれど私は酷く動揺した。その事象が発生したのが知り合いの審神者の元だったからか、渦中の刀剣男士が彼だったからか。頭をガツンと殴られたような衝撃と胸に支えるような息苦しさ。担当者への挨拶もそこそこに部屋から出た私は、控え室まで足をフル稼働させて急いだ。


 私にとって、彼は。審神者になりたての頃からの仲で、ずっと近侍だってしてくれている信頼できる刀剣男士。最近、彼は修行に旅立って、そして戻って来てくれた。
 先ほど聞いた話とは違う、と思いながら私の本丸にいる彼の姿を思い浮かべる。みんなを見て柔らかく笑う顔、兼さんの隣で誇らしげに笑う顔、私のサボりを知って怒ったり少し呆れながらも笑う顔、誉を取ってすごいと言えば桜を散らしてはにかむ顔。思い返せばいつも彼は私の側で笑っていてくれて、辛いとかそういう気持ちを見せてくれたことがない。いや、むしろ私が気付かなかっただけなのかもしれない。
 修行に行った時も、お土産だよ、なんて言いながらお団子を大量に手渡して笑って。手紙に書いた内容を詳しく話してくれたけれど、その様子は楽しそうだった。胸中にどれだけ苦しく辛い思いを詰め込んでいても、そんな素振りは見せずに笑ってくれたのかもしれない。私は、そんなことを全く知らずにいたんだろうか!
 勢いのままに扉を開け放てば、扉が悲鳴をあげる。普段なら他の人に迷惑が、とか考えるけれど今はそんな余裕もない。音につられて顔を上げた彼はそんな私を目を丸くしながら見たけれど、それもすぐに溶かして安心したように笑う。

「おかえりなさい、今日は長かったね」
「ほり、かわく、」
「……なにか、あったんですか?」

 肩で息をする私を見て今度は眉をきゅっと寄せ、彼はすぐに立ち上がってこちらへ歩み寄る。すぐに言葉が出てこなくて、何から話していいか分からず俯く。頭の中では言葉が濁流のようにぐるぐる回っているくせに、こういう時にすぐに要点を伝えられる冷静な人間であれたらよかった。
 そんな私を、彼は慣れたようにあやす。大丈夫ですよ、落ち着いたら話してくれれば。いつもと変わらない、私が慌てた時用サポート体制万全の堀川くん。こういう風に私の世話を焼く時の彼の瞳は柔らかい形に歪む。それを見るととても安心する。
 呼吸を落ち着けてから、担当の彼から聞いた話を掻い摘んで説明すれば「ああ……だからか」と堀川くんが小さく零す。横目で扉を見つめる姿に不安がよぎる。だからか? 私がいない間にやっぱり何かあったんだろうか、そう問えば返答はそこまで悪いものではなかった。

「審神者の方たちが、僕の方を見てから帰って行ったから。心配そうな視線だったし、なんだろうと思って」
「そ、そうなんだ、とりあえず無事でよかった」
「あはは、うん、大丈夫です。他の本丸の近侍と話していたので、特に大事はなかったよ」

 カラカラと笑う堀川くんを見て、杞憂だったことに安心する。でも、そんな視線に晒されていて、思うところを彼は内側に押し留めているのではないかと心配になる。一度考え始めると、不安要素というのは後を絶たずに沸いては増える。本人に聞いてしまえば解決する話なのに、すぐには決心がつかない。困った存在だ、本当に。
 私が曖昧に笑ったことに気付いたのだろう、彼は少し困ったように口元を緩める。それから、私の背中に手を添えた。触れられた部分がほんのりあたたかくなる。

「とりあえず、帰りましょうか。ね?」
「……うん」


 政府の建物を出て家路につく。堀川くんに、さっきの話を聞いてみたい。でも、聞いてしまって、もし返答が望んでいない言葉だったらどうしよう。これからも一緒にいて、戦ってもらえることが当たり前だと思っていた。そんな自分が思い上がっているみたいで恥ずかしいし申し訳なくなりながら、前を歩く堀川くんの背中を追い掛ける。普段は隣に並ぶ彼の背中を見ることは珍しい。
 ふと、辿る道が普段のそれとは違うことに気付いて私は声を上げた。迷うことなく堀川くんはそちらの道を進んで行くから。

「え、堀川くん、こっち遠回りだよ」
「今日は定例報告以外はお仕事ないですよね?」
「うん、一通り片付けてきたから、夜ご飯の準備手伝おうかなーって思ってたくらいで」
「それなら、ちょっとくらい寄り道してもいいよね。主さんの時間、ちょっと僕にくれませんか?行きたいところがあって」

 堀川くんが行きたいところなんて、珍しい。基本的には私や他の人たちを優先して、付いてきてくれるスタンスなのに。珍しく、そして嬉しい彼の言葉に首を縦に振る以外の選択肢はない。
 するすると迷いなく歩みを進める先はどんどん自然味溢れた場所になっていく。そして到着した場所は大きく開けている池で、私は瞬いた。池自体は普通の池、特筆すべきは色付いた紅。木々が黄色やら紅やらに染まり、水面にも咲いて視界を燃やす。

「う、っわぁ……!」
「……どうですか?」
「すごい、っすごい綺麗!すごいしか言えないけどすっごい!」
「それならよかった。さっき、待っている間に他の本丸の堀川国広に聞いたんです。紅葉の季節には少し早いのに、ここはとても色付いてるよって」

 “他の本丸の堀川国広”、その単語で私の時間がはたと止まる。一瞬思考を燃える紅葉に奪われたけれど、元の立ち位置に着地した。急速に変化する私の表情を見つめながら堀川くんは続ける。

「ほら、そんな顔の主さんを本丸に帰すわけにはいきませんから」
「……そっか、ありがとう。気を遣わせちゃったなぁ、ごめんね」
「いえ、近侍としてもそんなことできないよ。それに、男としてもね」

 するっとさらっと、彼はびっくりするような言葉を含む。そんなのはいつものことだけれど、いつも通りぎょっとしてしまう私。いやいや、ドキッとしている場合じゃないんだ、堀川くんのこういうところは心臓に悪い。先ほどに続き、目まぐるしく変化していく私の様子を見て堀川くんは一段と笑みを深くした。
 いつも通り、優しい堀川くん。少しの冗談を含めて、彼は私の本音を引き出そうとしてくれている。受け止めようとしてくれている。話しやすい空気を作って、私の気持ちの吐き出し口を作ってくれた。それなら、私も怖がってなんかいられない。ちゃんと彼の言葉を聞いてみたい。
 と、決意したはいい。けど、切り出し方がわからなくて、ずるいやり方だなと思いながら私の一言目はこの言葉になった。

「……ごめん」
「……それは、何に対して?」
「さっき、刀剣男士が歴史の改変を、っていう話したよね。それを聞いて、不安になったんだ。みんなには元の主がいて、その人たちがとても、とても大切だと思う」
「うん」
「私が言うと安い言葉にしかならないかもしれないけど、たくさん我慢させたんじゃないかなって、今回の件で思った。大切な人が目の前にいて、今度は話ができて幸せな道を作ってあげられるかもしれない。目の当たりにしちゃったら助けたくない訳がないのに、私はみんなに正しい歴史を守って、なんて」

 私は、私たち審神者は、なんて酷いことを彼らに強いているんだろうと思った。ありがとうを伝えたことは何度もあるし、今だってすごく感謝してる。でも、一緒にいてくれることが普通だと思っていたのも事実で、今回の件は、私の中の“当たり前”が突き崩された瞬間だった。
 今まで見えていなかったものが、突き崩されたものの外側にあった。

「堀川くんの辛いとか苦しいとか、そういう気持ちを汲めていなかったんじゃないかって。みんなのそういう気持ちを、私は何も知らないままかもしれないと、思って。だから、」

 強いて、気付けなくてごめんなさい。そう続くはずだった言葉は「っ主さん、待って!」という声に遮られた。彼は私の言葉の中に鋭く刃を入れた。少し怒ったようにも聞こえる勢いに、私は体を強張らせる。謝ることから入るなんて、ズルをしすぎただろうか。
 言葉を繋いでいく中で、気持ちと一緒に力が篭っていたらしい。きつく握りこんでいた手のひらに今更気付く。血が巡らずに冷えた指先を、堀川くんが遠慮がちに、でもゆっくりと解いていく。あたたかい指先でとかしながら、私の目を真っ直ぐに見る青はやっぱり柔らかい形に歪んでいた。ゆっくりと言葉が形になる。

「あのね、主さん。それはあなたが謝らなくていいことですよ。というか、謝らないでほしい」
「う、ごめ、いや違う、うん」
「うん。じゃあ、今度は僕が話してもいい?今から話すのは“堀川国広”の思いではなくて、あなたの堀川国広が思っていることです」

 私の反応を取り零さないように、彼は視線を逸らさない。ゆっくり頷けば、長い息を一つ吐いてから堀川くんは話し出す。

「……その堀川国広がした選択は、僕も考えたことがない訳じゃないです。函館に出陣した時、兼さんとも少し話したんだ」

 もしかしたら、土方さんを助けられるかも。多分兼さんと僕なら一回は、ううん、何回だって夢を見ると思う。だって、大切なんだ、忘れられる訳がない。何度も何度も思い描いて、何度も何度も諦める。それが正しいことだとは思ってないから、過ぎてしまったことは形を変えられない。変えちゃいけない。
 堀川くんの口から、ぽろぽろと気持ちが零れ落ちる。言葉だけ聞けば、とても苦しいのに、指先から伝わるあたたかさがすぐにそれを溶かしていく。力の篭る指先は堀川くんの気持ちと比例している。

「今回の件の堀川国広の気持ち、わかります。でも、あれは彼の選択で、僕のじゃない。それは分かっていてほしい」
「……うん、それは分かってるよ」
「土方さんがとても大切で、幸せに生きて欲しかった。でも僕は、その堀川国広と同じ選択ができない」

 なんでだか、わかりますか?と問われて、出てきた答えは少し頼りないものだった。「同じように大切な仲間ができた……から?」その中に兼さんやみんなと、私も入っていたらいい。そんな願いも含めて返したものを堀川くんはちゃんと受け止めてくれて、頷いた。

「……僕はもう一度、兼さんの相棒として、ここで生きていられる。僕は、兼さんを、みんなを、あの場所を……あなたを切り捨てられません」

 あの選択は僕のものじゃない。元は同じ刀でも、彼は僕じゃないし、僕は彼じゃない。彼には彼の、僕には僕の譲れない忠義がある。

「それに僕は、あの人が必死に生きた歴史も大切だと思ってるんです。あの人が選んだ道を否定したくない。それにもし、歴史が変わってしまったら、その先の歴史にある堀川国広は僕じゃない。僕は今の歴史の中に存在する堀川国広だから」

 だから、大丈夫。僕はあなたが顕現した堀川国広ですよ。他の堀川国広じゃなく、僕を見てください。
 そう言葉を締めた堀川くんに、今度は違う意味で胸が軋んだ。せり上がってくるものの正体は分かっているけど、ぐっと飲み込む。ふつふつと追い立てるように湧き出す気持ちは不安じゃない。
 瞳に薄く張っていく水の膜を知られるのが気恥ずかしくて俯きながら、何度も頷いた。「我慢をさせてごめん」の代わりに「大切に思ってくれてありがとう」を、「辛い思いをさせてごめん」の代わりに「一緒にいてくれてありがとう」を伝えていきたい。これからは、何度でも。
 そんな状態で「あっ、りが、と……っふぐぅ」と嗚咽を抑えながら言った私に、とうとう堀川くんは我慢ならず吹き出した。そして、私の後頭部は彼の肩に押し付けられ、背中に手が回った。ぎゅうぎゅうと締め付けられる体が少し痛いけど、私の耳のあたりに頬を寄せる堀川くんの仕草が嬉しいから我慢することにした。

 どのくらいそうしていたか、徐々に落ち着いてきた私は現状に少しの恥ずかしさを覚えた。目先で揺れる白いマフラーはやっと季節に受け入れられてきた気がする。堀川くんの耳元で揺れるピアスは兼さんとお揃いでシャラシャラ音を立てる。肩先からはお日さまの匂いがする。全部が、堀川くんを構成しているもので、彼が近くにいるよということをありありと示しているので今更緊張してきた。
 紛らわすために「……は、鼻水出そう!」と言えば、また堀川くんが吹き出した。「やめてよ、主さん」と肩を震わせる彼は私を腕の中から解放した。うん、肩に鼻水つくの嫌だよね、そりゃそうだ。いやでも、この感じは照れ隠しがバレているような気もするよね。それもそれで恥ずかしい。
 堀川くんの笑いと、私の恥ずかしさが落ち着いたタイミングで「例えば、」と彼は切り出した。視線はゆっくり揺蕩う水面を辿っている。

「僕、紅葉と同じなんです」
「紅葉と?」
「そう、紅葉って形は一緒ですよね。でも、最初は緑だった葉が、どんどん陽の光を浴びて色が変化します。黄色とか、紅とか、一つ一つ色とか模様とかが違ったりして」

 足元に散る、葉を一枚拾って彼は私に手渡す。根元から葉先にかけて黄色から紅へグラデーションになっているそれは、季節の移り変わりを表しているようだった。
 確かに元は緑色だった葉がどんどん色付いていって今の色になったんだろう。いくつか落ちている葉っぱを見てもグラデーションの具合が違ったり、しっかり色付いていたり、まだ緑色だったり様々だ。堀川くんはその中の緑色のものを拾い、太陽の光に透かす。

「最初は僕も緑だったんだと思う。でも、主さんたちに色を付けてもらった」

 またみんなに会えて嬉しい、怪我をすれば痛い。みんなでご飯を食べたら楽しくて、美味しいって言ってもらえたら安心する。太陽の光は眩しいし、土の匂いは少し湿っぽい。隣に並んで歩きたいと思ったし、人を好きになる気持ちも知った。
 そんな風にして、どんどん彼を構成する要素が増えていったのだ。それはどの刀剣男士にも、もちろん私にも当てはまる。素敵な経験値。

「堀川くんは紅葉かぁ……うん、しっかり色付いてるよね。みんなも、同じかな。ふふふ、じゃあ私は何かなー」
「主さんはたんぽぽとかどう?」
「その心は?」
「蹴られても踏まれても強く生きる」
「いやいやいや、踏んでくるの宗三とか堀川くんとかが主だからね!もうちょっとソフトにしてほしいよね!」
「あはは」

 あははじゃないよ!と私が抗議をしても、さらりと交わされた。厳しさと優しさが同居している。いつの間にかいつも通りの空気感に戻った私たちは、そろそろ帰ろうか、と顔を見合わせた。
 その時、堀川くんは思い出したかのように瞬いた。

「……あ、あと、思い返してどうしても苦しくて、辛くなったら主さんのところに行ってもいいですか?」
「うん、そんなこと、全然いいよ、いいに決まってるじゃん。いつでも、待ってる」
「ふふ、そうしたら毎日行っちゃうかも」
「それでもいいよ、待ってるよ!辛くないほうがいいからさ、うん」

 悪戯に成功したみたいな顔で笑った後に、私が待ってる旨を力説したら、今度は本気で呆れられた。「いつも僕が言ってる内容に気付いてないのか、冗談みたいに思ってるのかわかりませんけど……そんな風にしてるといつか痛い目見ますよ!さん」と、にっこり笑う表情は今日初めて見た笑顔だった。こ、こわいぞ。堀川くんが痛い目とかいうと本当に痛そうでこわいぞ。

「それじゃあ、みんなのところに帰りましょうか」

 「うん!」と素直に返事をすれば、堀川くんが隣に並ぶ。うん、やっぱり背中を追い掛けるよりこっちの方が落ち着く。ゆっくり歩き出した私たちは、一度紅葉を振り返る。ここは、思い出の場所になりそうだ。堀川くんから貰った紅葉は栞にでもして持っていよう、今日のことを思い返して忘れないようにするために。
 徐々に姿を消していく太陽の光にほんの少し心細い気持ちが蘇る。それを察してくれたのか、もしかしたら、堀川くんも同じような気持ちなのかもしれない。かわいらしい顔に反して大きな掌で、堀川くんは私の指先を包んで、それからなぞるように手の甲を一つ撫でてから私の指先に絡んだ。繋がれた手から伝わるあたたかさが私に寄り添う。
 今日のこと、起こったこと、感じたことを忘れない。そう思いながら、繋がれた手を強く握り返した。私は彼が、みんながどこか遠いところへ行ってしまわないように、伝わるこのあたたかさを手繰り寄せて大切にしていきたいと思うのだ。