素直になれない



 ほんの少しの好奇心から生まれ出た言葉だった。
 事の始まりは、他の審神者たちとの会話だ。刀剣男士と心を通わせ、関係性を変えた審神者たちは私が思っていたより多い。審神者会議の後、情報交換も兼ねてお茶をしていた時に一人の審神者がこんなことを言い出した。

「この前、"私が浮気したらどうする?"って聞いてみたんだ。そしたら、"もしかして他に想い人が?!"ってすごく慌てて、それは誰だって詰め寄られて。その慌て方がすごくて、変なこと聞いて申し訳ないとも思ったけど、好かれてるんだなあとも思えたんだよね」

 最初は「へえ」くらいの気持ちで相槌を打っていたが、周りの審神者からも「私もそれ聞いてみたことある!」などの声が上がってびっくりした。ワイワイと盛り上がり熱が入っていくお茶会に、普段戦いに身を浸していても、みんな年頃の女性なのだと思った。
 かくいう自分も、年頃の女性である。たしかに、気にならないかと言われたら気になる。聞いてみたいかも。互いの想いを確認し合ってからいくらか月日が流れたけれど、堀川くんはそうなる前から塩対応がデフォルトだからイマイチ掴めない。
 いつもツンとしていて、本心の読めない堀川国広が実際この関係性をどう思っているのか聞いてみたかった。だって、私ばかり好きなようで、少し悔しいのだ。なんて言いつつ、本当のところは完全なる好奇心であった。

「あのさ、堀川くん」
「なんです?ちゃんと手を動かしてくださいね、主さん」

 書類からは視線を上げず、声だけで返事をする。そんな彼とは対照的に、私はもう質問の回答をいただくモードだ。回答が気になり過ぎて全然仕事が手につかない。堀川くんは私のこの気質を理解しているから、最初から釘を刺してきている。これはまずいぞ、迅速に課題解決して仕事に取り組まなければ!
 そんな都合のいいことを思いながら、サラサラと書類を片付けていく堀川くんへ質問を投げつける。

「もっ、もし私が浮気したら、どうする?」

 彼が片付ける書類と同じくらいサラッと聞けると思っていたのに、いざとなるとドキドキしてきて困る。困った結果、勢いのある言葉が飛び出してしまった。だって、「まあ、どうでもいいですね」みたいな回答来たらどうするの? えっ、あれ、そういう方向の回答を予想していなかった。もしそうだったら心が死ぬ。
 しん、と静寂が降りた。私たちの間には今、冷たいものが横たわっている。これは、わかる。怒られる前触れのやつだ。聞くんじゃなかった。好奇心は猫をも殺す。この場合、やられるのは私だが。
 堀川くんの涼しげな青い瞳がこちらを向く。作業の邪魔にならないように耳にかけられていた前髪が、さらりと揺れた。

「浮気、ですか」
「う、うん」
「確認ですけど、主さんが浮気するんですか?」
「あ、いや、浮気するんじゃないけど、したらどうする、って、いう……」

 堀川くんがあまりにも平坦な声で、まっすぐこちらを見つめて話すので私の好奇心はすぐにしなしなと萎んでしまった。声を荒げて怒ってくれたり、悲しげにしてくれたり、慌ててくれた方がいい。嵐の前の静けさのような、そんな様子が一番心にくる。
 私の心情を知ってか知らずか、彼はゆっくりと「……そうですね」と頷いた。

「まず、本当にそんな相手が現れるのか疑問ですが、」
「えっ、辛辣すぎない?」
「もし、万が一、可能性的には奇跡的な確率かもしれないけど、現れたとして」
「待って、待って、一応、堀川くん私のこと好きでいてくれてるんだよね?前提が心配になってきたんですけど!」
「まず、主さんが僕に隠し事なんてできるんですか?」
「で、できませんね……」

 私のことをそんな風に見る奴いないだろ、しかもすぐバレますよ、と言いたいらしい。喧嘩なら買うぞ! いやウソ、買わないけど!
 しかし、本当のことと言われればそうだ。図星を突かれたので、ぐっと黙るしかない。堀川くんの観察眼は鋭い、もしそんなことがあってもすぐバレるだろう。
 でも、さっき言った通りだが、私の胸の内に彼は私のこと本当に好きなの?という気持ちが過っていく。あまりにも辛辣で話を聞いてくれないので、唇を噛む。
 そんな私を追撃するように、堀川くんは形のいい薄い唇からひそやかな声を出す。

「……でも、気をつけて」

 すうっと瞳を三日月と同じ形にしならせて、瞳を逸らさないで言う。私も、その恐ろしいほどやわらかな表情から目が離せなかった。

「僕、結構夜目は効く方なので。夜道に、背後に、気を付けて、と、いるかも分からない相手に伝えて欲しいですね」

 にっこり、という言葉が似合う素敵な笑顔だった。だからこそ、めちゃくちゃ怖いワケだが。気迫が伝わってくるというか、なんというか。まるで、その架空の誰かがいる体で話をしているような。
 でもどうせだったら、普段からこんな表情を見せて欲しい。いつもは「はいはい、興味ないです」みたいな澄ました顔をしているのにこんな時だけ笑顔とは。
 その笑顔を見つめ、ふと思った。いるかも分からない、は余計だけれど、一応これは、そのいるかも分からない誰かへの牽制ととって良いのだろうか。堀川くんは塩対応が基本だし、辛辣なことを言うのが前提みたいなところはあるけれど、照れ隠しだったりすることもある。すごくポジティブになれば、そう取れなくもない。そう取らないとやってられないだけだが。

「そういえば、これ」

 悶々とする私に、堀川くんが思い出したように手渡してきた書類の束。瞬いた私に、変わらずいい笑顔を保ちながら彼は告げた。

「明日必着の、政府への書類です。メール返信不可のものなので、郵送しないと。今から速達で送ればまだ間に合うと思いますから、提出してきてください」
「ひ、ひぇっ」

 それ、先に言って欲しいやつです、堀川さん!


「はあーー……」

 主さんが「ヒエー!」という気の抜けるような声を出しながら廊下を駆けていく。先ほど言った期限は、実は正確ではない。あと一週間ほど猶予がある。期限ギリギリの危機にあるものなら、僕だって先に話題に出している。主さんには申し訳ないが、嘘を吐いてでも彼女をこの場から離れさせたかった。だって、今ものすごく情けない顔をしていると思うんだ、僕。
 主さんを見送り、気配が遠退いたのをしっかりと確認したあと、胸に支えていた空気のかたまりを思い切り吐き出した。言いたいことはいくつもある。なんだ、なんなんだ、あんな質問。
 聞かれるまでもなく、答えるまでもない。彼女が他の誰かを傍において、笑い掛け、あまつさえ触れるなんて。そんなもの、頭の片隅にも置いておきたくない話だ。
 ぐつぐつと煮えるような思いが胸をめぐっていく。これをどう処理していいか、いつもわからずに困ってしまう。頭を抱えたまま、ごろりと後ろに倒れる。そのまま、胸の内から熱を追い出すように右へ左へ体を揺らす。ああ、

「浮気、されたらどうしよう」

 その言葉を聞いた時点で、腹の中を冷たい手でかき乱されたような気持ちになった。彼女にはバレていないことを願いたいが、今回はどうだろう。動揺しすぎて、いつも以上に冷ややかな、思いやりのない言葉を吐き出した気がする。一通りの流れを反芻しながら、自分の情けなさに頭を抱える。
 万が一、可能性的には奇跡的な確率かもしれませんが、なんて、笑ってしまう。僕が、そう願いたいがため、そうであって欲しいがために出た言葉だ。主さんを好む人や刀なんて、わんさかいるだろう。僕がその場所を誰よりも早く、邪道だとわかりつつ、手段を選ばず居座ったからそれが出てこないだけだ。いつか、その"現れるはずのない相手"が主さんの目の前に現れてしまった時、僕は彼女の隣に居続けることができるのか、暗雲が心を満たす。
 居座っているのだから、すべきことだってあるだろう。主さんがあんな質問をしてきた意味が、分からないわけではない。僕が彼女に対してあまりに素っ気ないから、確かめられているんだろう。確かめるまでもなく、僕の根っこからすべて、本当は彼女へ気持ちが向いている。それをうまく伝えられないのが、もどかしくてしょうがない。

「ああ、クソっ」

 もう少し僕が素直にこの気持ちを形にできたのなら、何も怖いものなんてないのに。



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Twitterの「#刀さにでもし浮気したらどうすると相手に聞いた結果」より