たったひとつの日常



 日々が区切りを迎えようとしていた。
 ほんのりと聞こえる、みんなが酒だ飯だと騒ぐ声。年末のお笑い番組の笑い声。後に心に沁み入るだろう取り留めのない日々の写真が重なる音。
 数々の音に重なるように襖が空間を割る音がした。それから、「主さん」と耳に馴染む声が聞こえたので机の上に散らばった写真たちを整理する手を止めた。肌を刺すようなキンと冷えた空気と共に部屋へ訪れたのは堀川国広であった。

「あ、またそんな恰好……ほら、そんな風だと風邪引きますよ」
「大丈夫だよ~ほら、堀川くんもこっちおいでよ。堀川くんのほうが寒いでしょ」

 ほら、とが炬燵布団をめくり上げれば、素足が晒され足の甲が見えた。炬燵があるとは言っても暖かいのはその中だけ、部屋の中は外とあまり変わりない温度感。炬燵の中に滑り込んできた風が足を撫でたので、彼女は「うわ、寒」と体を震わせた。
 堀川はそれを見て一つ息を吐いてから、彼女の隣に体を滑り込ませた。そうしなければ、彼女がそのまま炬燵布団を持ち上げたままであることなんて予想に容易いのだ。この数年、彼女のそばでお世話をしてきたのは堀川、彼自身だから。

「やっぱり寒いんじゃないですか」
「大丈夫大丈夫、堀川くんは気にしすぎ」
「上に半纏くらい羽織ればいいのに」
「それはいやだ」
「強情だなぁ。明日だって、政府の方に顔出さなきゃいけないのに、お祝いのご馳走作り手伝うなんて約束までしちゃって……他には、なんだっけ?」
「今日の新年前哨戦という名の飲み会の後片付けと、他の審神者さんたちとのちょっとした会合ととか……かな?」
「朝からやることがたくさんあるのに、約束まで増やしちゃって……風邪を引いて困るのは主さんだけじゃないんだよ?そんなことだと、僕だってお手伝いしませんよ」

 珍しくぶすっと顔をむくれさせた堀川にが目を剥いた。なんだ珍しい、そして拗ねた顔がかわいい。珍妙な生物を見るように彼女がまじまじと堀川を見るので、彼も対抗するように「何ですか?」と彼女を見返した。

「なんか、堀川くんがお手伝い拒否とか珍しくて」
「……主さんが何もわかってないからだよ」
「ありゃ」
「ありゃ、じゃない」

 一度体を離してから、彼はの肩に自分の肩をぶつけた。あいたっ、と言う声は全然痛くも無さそうで、むしろ笑いを含んでいる。決して広くはない炬燵、その一辺に二人で入っているのだ。威力なんてないも同然、堀川にだってそんなことは分かっている。けれど、どうしても認識させたいことがあったのだ。
 堀川の攻撃をどう捉えたのか、は堀川を見て更にへにゃへにゃと口元を緩めて笑ったので訳が分からない。堀川にとってすれば、ここには今自分と以外に誰もいないのだから少しは意識してもらいたかったのだが。彼女は意に介していないようだったので、堀川はまた溜息を一つ吐いた。

「あ、溜め息禁止条例出すよ!幸せが逃げちゃうよ!」
「誰のせいですか、誰の」
「ふふふ、私かー!」

 ケラケラ笑いながら言う彼女に、心が刺々しくなっていく。彼女の体調が心配なのも本当だ。それに仕事の量も、明日は目が回るように忙しいに違いない。次いで、本丸内のみんなとの約束事は明日の彼女を縛るのだ。
 すべて大切なことだと分かっている。でも、分かっているからこそ首をもたげるのは、もっと個人的な心の奥底の欲求だ。
 そんな気持ちになりながらも、それでもお手伝いを自分がやるのは彼女の隣を誰にも取られたくないからだ。今日だって、新しい日々の一日目を迎えるその時、そのほんの少しの時間を彼女と過ごすために人避けまでして尽力したのだ。少しくらい報われたっていいんじゃないか? 誰に問うでもなく、彼は心の内で思う。
 そんな想いが彼の中で渦巻いているなぞ露知らぬは彼の様子を見てからゆっくり動いた。むっつりと口を結んだ堀川を見る目は、悪戯を思いついた子供のようだ。
 炬燵の中にしまわれていたの手が、するりと同じく炬燵にしまわれていた堀川の手を取った。突然のことにピクリと体を反応させた堀川だったが、あまりにも自然であたたかなその手の仕草がするりと溶け込んできて、さっきまでのささくれた様な気持ちが少し滑らかなものになる。自分で言うのもなんだが、単純なやつだなと思った。

「えっへっへっ、堀川さん、厚着しなくても今あったかいからいいじゃないですか、ね!」
「……なんですか、その笑い方」
「……あのさ、堀川くん、寒い方が口実になるかなって思っちゃうこと、ない?」

 堀川の言葉にかぶせるように早口で捲し立てた彼女は「あれ?ならない?」なんて少し恥ずかしそうに言う。そんな彼女に、堀川はキョトンとしてしまった。握られた指先と寒いという口実、その言葉の意味って、考えずとも。
 ゆるく握られた手で、彼女の手を握り込めばふにゃふにゃと笑った。炬燵の中は変わらず温かいのに、彼女の指先から伝わる温度だけは一等特別なものに感じられて、堀川の胸の内で冷たくなっていた気持ちをじわじわと溶かしていってしまう。

「明日から忙しくてバタバタして迷惑もかけちゃうけど、堀川くんがいると思うと頑張れるから」
「……うん」
「落ち着いたら、内緒でどこかに遊びに行こう」

 テレビからは年末を教えるお笑い番組が笑いを届けるし、本丸の喧騒はまだまだ続いている。ひっそりとした、二人きりの甘やかな時間なんてないのかもしれない。けれど、

「堀川くん、これからもまた一緒にいてね」
「そんなの、今更だよ。主さん、僕がいないと駄目でしょう?」
「それも、今更だよね」

 コツリ、と額を触れ合わせてふたりどちらともなく笑みをこぼした。
 今更だ。審神者としても、としても。刀剣としても、堀川国広としても。隣にお互いがいないのは、落ち着かなくて心許なくて、心の半分をどこかに置いてきてしまったような気になるのだから。
 時計の針が静かに進み、テレビではカウントダウンが終わり年を越したのだと、祝いの声が上がっていた。
 「あけましておめでとう」とお互いが口にした、見つめ合って笑い合った。に握られていた指先をそっと堀川が握り返し、ゆっくりと彼が瞳を細めた、その時だった。

「主ーーっ!もう出会ってから、何年?これから、よりいっそう大事にしてね。俺も主のためにより一層頑張るからさ!」
「主!お裾分けでジュースとかお酒とか、おつまみとか、いろいろ持ってきたよ。あ、これは僕が一番美味しいと思ったやつ、食べよう?」
「チッ」
「え、堀川くんこわ、舌打ちこわ」

 スパン!というキレのいい音で襖を開き飛び込んできたのは加州と大和守であった。両手に持てるだけの食べ物飲み物を抱えて、彼らは陽気にやってきた。
 一瞬にして表情を失くした堀川とは天と地ほど差のあるテンションでに「あけましておめでとう」を伝えた。そして釘を刺すように堀川へ、言葉を放っていくのだ。

「堀川、お前調子乗るなよ。主はお前だけのじゃないから」
「そうそう、日付跨ぐまで二人だけにしてあげただけでも最大限の譲歩だよ」
「…………兼さんは?」
「兼さんは珍しく陽気な歌仙さんの酒にやられたよ」
「……お屠蘇気分もほどほどにって、叱らなきゃいけないみだね」

 は知っていた。堀川が、二人の時間を作るために和泉守に何が何でも加州と大和守を止めろとそれとなく言っていたことを。実際に、それとなく、になっていたのかは甚だ疑問が残るが、この時間まで加州大和守ペアの襲来がなかったということは、そういうことなのだろう。
 それもこの二振が気を遣ったのか、はたまた本当に和泉守が体を張って(そして歌仙の酒に倒れて)いたのかは定かではないけれど。ほんの少しでも確保できたふたりきりの時間に感謝しようと、堀川もも思ったのだ。
 一年の終わりというけれど、一年の始まりでもある。なんだか名残惜しい気持ちを抱えてしまうけれど、連綿と続く日々を指折り数えることなく共に過ごしていきたいと思う。彼と、彼らと。

「この本丸ができて、みんなに出会って、また新しい一年が始まったということで……みんな、これからもよろしくね!」

 三者三様の言葉で、もちろん!と返ってくる声に安心してはにんまり唇の形を崩した。ぎゃはは、わはは、と賑やかな声が響く本丸の喧騒は朝まで続く。
 これから先の一年も、その先も、こんな騒がしく大切なこの刀たちと健やかな日々を過ごせますように、そうは願わずにはいられなかった。