掌の上で転がす熱



 いつも、いつだって隣にいてくれる堀川国広は私の近侍であり、恋人という関係にあたる。けれど、私たちが恋人同士ということは本丸のみんなには秘密ということになっている。わざわざ大っぴらにすることでもないよね、と思ってのことだった。恥ずかしいしね。
 みんながいる前では、お互い触れ合うことなんてないし、近侍と主という立ち位置を守っている。恋人同士になる前と変わらない距離感を保っているつもりである。でも堀川は器用だからいいけど、私はといえば、隠すのも割といっぱいいっぱいだ。嘘は下手である。
 けれど、そんな風に頑張って引いている境界線をぐにゃぐにゃとふやかしてしまうものがある。それは、酒である! そう、今日は本丸の月一の飲み会だった。いつもだったら、きちんとセーブしているけれど今回ばかりは羽目を外してしまった。

「ほらほら、主。今月は政府から表彰されたんだろう?お祝いだし、一緒に飲もう」

 髭切からそんな言葉が掛かって、お酒がグラスに注がれていく。彼の言葉の通り、みんなの頑張りのおかげで今月は戦績が群を抜いて良かったため表彰されたのだ。羽目が外れてしまうのもしょうがない、私だけだなく、みんながそんな様子だった。
 ほらほら、と誘う言葉につられてグラスのお酒はするすると喉の奥に消えていく。頑張った後のお酒っておいしいよね! みんな本当ありがとう! 髭切にも感謝を述べれば「君が喜んでくれたなら、なによりだね」とふんわり笑ってくれた。その間もお酒を注ぐ手は止まらないから、その笑顔が侮れない。
 侮れない!と思いつつ、注いで注がれてお酒は進む。いつもよりかなり飲んでしまったなぁと思った時には、気分もだいぶよくなっていた。侮れないのは髭切だけではなく、このお酒というアイテムもである。
 ふわふわとお酒に浮かされていく意識。その中で無意識に堀川を探してしまう。キョロキョロと安定しない視線で彼を見つければ、和泉守と清光と話をしているところだった。二人はお酒も入ってほろ酔いのようだったけれど、堀川は平然と話して、お酒やつまみがなくなったら補充してを繰り返している。お酒飲んでるのか?というくらい普通にいつもの堀川。お世話係堀川。でも、楽しそうに頬を緩めている。
 私はもう完璧に酔いが回っているため、そんないつも通りな姿だってかっこいいと思ってしまう。いいなぁ、私もお世話されたい。いつもしてもらってるけど。忙しなく動く姿だって、みんなに笑いかける表情だって、いつもより更に素敵に見えてくる。お酒の力ってこわい、バレちゃいけないと思いつつ、視線はずっと堀川を追ってしまっていて、ダメだ。かっこいい。
 そんなことを考えながらぼーっとしていれば、隣の髭切が私の両頬を指で挟んで物理的な抗議をしてきた。話を聞いていなかった腹いせのようだった。ごめん。

「んえ」
「んんー、君はそんなとろんとした目をして何を探してるんだい?」
「んぐー」
「あはは、酔っ払いだ」

 酔っ払いにはこうだよ、なんて言いながら私の頬をむにむにとやる彼の方が酔っ払ってきているのではと思ってしまう。目元をほんのり染めた髭切は楽しそうに、はちみつ色を細めた。その手を外そうと抵抗してみるけれど、なかなか外れない! 力つよ!
 そんなことをしている中でふと、視線を堀川に戻せば、さっきはこっちを見ていなかったのに彼がこちらを見ている。あ、目が合った。お酒でぐずぐずにふやかされている思考を持った私にとって、それは嬉しいことで、口元も目元も緩んでいくのがわかった。
 お酒というのは楽しく、そして面倒だ。普段は奥底の方に沈めてある願望や欲望みたいなものを拾って広げて大きくしてから外に出そうとしてくるのだ。堀川と目が合ったことが嬉しかった。それだけだったのに、更に彼に触れたいかもしれない、なんて気持ちが頭を擡げる。お酒はこわい。でも触れたらきっとすごく嬉しい。
 すると堀川は何を思ったのか、すっと立ち上がり、確かな足取りでこちらに向かってくる。めちゃめちゃ笑顔だ、かっこいい。立ち上がった時と同じようにすっと私と髭切の後ろに膝を立てた。

「主さん」
「んぐ、はい」
「ほら、今日は飲み過ぎですよ。水を取りに行くので一緒に来てください」
「みず……」
「みんな今日はかなり飲んでるので」

 私も大概深酒してしまったけれど、彼の言葉にまわりを見れば確かに、みんなぐでんぐでんだった。畳の上に転がっているやつ、机に頭を完全に預けているやつ、高笑いしているやつ。うん、これは至急水が必要! みんなにも私にも! 
 そう思って一つ頷けば、堀川安心したように笑って「行きますか」と言った。そして私の頬に伸びたままの腕に緩やかに触れて、髭切に笑いかける。

「髭切さんも、はい、離して」
「はいはい」

 さっき私が言ってもまったく離してくれなかったのに、彼はすんなりとその手を離した。そして、面白いものを見ているかのように私と堀川を見る。その視線に、背中がひやりとする。なんか、もしかして、バレてないよね? バレてる? いや、こんな感じのことは近侍としてよくやってくれてたし。バレてない、よね?
 働かない頭でそんなことに焦っていれば、私の腕をとった堀川が少し強めの力でその腕を引っ張り上げた。勢いに乗せて立ち上がったは良いものの、長らく座っていたこととお酒のおかげで、私の足はぐにゃりと曲がった。

「あっ……と、主さん大丈夫?」

 しまった、転ぶ! そう思ったのも束の間、私の耳元でぽすん、と緩い音が聞こえた。すっ転んでもいない、私が今いる場所は堀川の胸元で、しっかりと彼の腕の間に収まっていた。ナイスキャッチ、堀川、やっぱりかっこいいよ! でも、今のは引っ張り上げたのが原因のような? そんなことを思いもしたが、私を受け止めた彼がにこやかに笑っているから、そんな思考は屑籠にポイっと入れられた。
 「ほら、やっぱり飲み過ぎですよ」と言いながら堀川は私の背中にわざとらしく手を回す。まるで、抱き締めるみたいに。堀川の腕の中はあたたかくて、聞こえてくる少し早足な鼓動が心地よく聞こえる。触れたかった人に触れられた満足感で、私はゆっくりと目を閉じる。心地いい、眠い、ふわふわとする。自分の意識も一緒に沈んでいくのではないかと思った時、

「ふふふ、仲良しだなぁ」

 そんな髭切の声が聞こえて、そこで私はふと、酔いの沼から我に帰る。支えるのではなくて、抱き締める? それは、それってマズイのでは?!
 マズイだろ!という気持ちで、勢いよく顔をあげれば、堀川は何も知りませんみたいな清々しい顔で笑って腕に力を込めた。おい何やってんだ。ぎゅうぎゅうと私の頭を胸に押し付けて、彼はいくらか動かないでいた。押し付けられた鼻が痛い。どうしようどうしよ、言葉が頭の中で回る。堀川が何を考えているのかわからない。

「主さん、歩けます?」
「ある、あるけ、ますね、はい」
「うん、じゃあ行こうか」

 そう言い、彼は混乱している私の腕を引いた。されるがままに、私は半分くらい引きずられる様な形で部屋を退場した。恥ずかしいな。
 それから、堀川は騒がしい室内に視線を戻し、一点を見つめている様だった。それに釣られる様に、私も同じく視線を戻せば髭切がゆるゆると手を振っていた。振り返せば、逆側の手がものすごい勢いで引っ張られてまたつんのめった! 今日扱い雑じゃない? そんな疑問を残しながら私たちは飲み会会場から離脱した。
 私たちがその場を去った後、髭切は掴まれていた腕をさすってケラケラ笑っていたと、彼の弟が後に話してくれた。

「ありゃあ、あれは鬼が出たかな?」
「……兄者のそういう煽り属性は見ていてハラハラするぞ」


 彼は私の足取りに合わせてゆっくりと廊下を進んだ。握られている腕が熱くて、そこだけ別の生き物みたいな温度を感じる。はあ、と息を吐けばお酒の香りがする。
 その音に反応するように、静かに歩みを進めていた堀川が立ち止まり、こちらをちらりと見た。ぼんやりと灯る廊下の明かりが彼を照らす。目を伏せた姿がなんとも色っぽいというか、頬っぺたが滑らかそうだというか、唇が柔らかそうでおいしそうというか。やっぱり触りたいなぁなんて気持ちがふつふつと湧いてくる。……いやいや、何考えてんだ私。ここ部屋じゃないし! やっぱり飲みすぎたんだと思い、邪念を払うように頭を振る。すると、黙っていた堀川がゆっくりとした動きで唇を上下に開く。

「楽しかったですか?」

 そう言って、私の方を向かずに庭を見る瞳はゆらゆら揺れているように見える。飲み会の時の堀川とは様子が違うようで、私は探るように彼を見返す。酔っ払っているから、正直何も探れる気がしないけど。

「う、うん、たのしかった」
「そう」

 その一言だけ呟いて彼は閉口してしまった。やっぱりさっきの飲み会の時とは全然違う。テンションも表情も、なんだか、怒ってる? 確かめてみるように名前を呼べば、その音はずいぶん舌ったらずに聞こえて恥ずかしかった。
 怒っているかも、と思ったけれど彼は呼ばれた名前に「うん?」とちゃんと答えてくれた。でも視線だけがこちらを向かないから、焦れてもう一度名前を呼んでみる。堀川、ほりかわ。すると、掴んでいる手をゆっくりと辿るように彼は距離を縮めてきた。それから、堀川も私も何も言わなくて、視線を絡めてくるから、心臓が勢いよく走り出したみたいだった。堀川が掴んでいる手首が熱くて、どくどくと脈動が耳元で聞こえるようだった。
 ふ、と彼がまた視線を逸らしたのが合図になった。私の後頭部に手を回し、柔らかい力加減で自分の方に引き寄せた。ぼやけた頭でもわかる、スローモーションのように近付く堀川の瞳に、私は目を閉じる。触れたかったものに触れられる予感に、私の心臓はぎゅうっと縮まってそして大きく跳ね上がった。ちゅ、と触れるだけ。リップ音が私の耳元で響く。

「っ、ほり……!」
「ふふ、しぃ」

 人差し指を口元に当てて、イタズラが成功した子供のように彼は笑った。怒った様子を見せていた堀川は、まるで最初からいませんでしたというように笑う。彼は「主さんが悪いんだよ、あほみたいな顔して髭切さんに触られてるから。それを楽しいっていうし」なんて言いながら、こちらを見る。言うに事欠いて、あほみたいな顔って、おい。でも、多分今の私もあほみたいな顔をしているだろう。
 彼の唇が触れた場所は、ちょうど私の唇と頬の間で、残念、いや違う、なにやってんだこんな廊下で! ダメでしょ、でも、キスしたかったなぁ、なんて脳内が大混乱である。そんな思考が顔に出ていたのか、いや、もしかしたらキスする前から、あの飲み会で目があった時から彼は私の熱に浮かされた気持ちに気付いていたのかもしれない。堀川は甘く瞳を細めて言う。

「おあずけです」

 「ここではね」なんて言う堀川、そしてオレンジ色の明かりや、私をふやかすようなお酒の量。全部が相まって、私の煩悩を刺激する。やめてほしい、切実に! 私はキャパシティを超えた心臓の脈動に耐えきれず崩れ落ちた。廊下の床が冷たい。ホント無理。


「ありゃ、主はバレてないと思ってたのかい?もう最初からみんな知っていたよ。なんていったって堀川が牽制していたからね、虫が寄らないように。でも、あの時の飲み会では僕もやりすぎたかなぁと反省した、一番こわぁい鬼を出してしまったと思ったよ」

 僕が一番大きい虫になっちゃったかな?なんて楽しそうに笑って話す髭切。私だけが気付かず、二人の関係を頑張って隠し続けようとしていたこと。みんな知ってたんかい! それを考えると、一人空回っていたようで恥ずかしかった。けれど、堀川も意地が悪い、教えてくれればよかったのに。
 そんなことを独り言ちれば、髭切はきょとんとしてから更に笑みを深くした。

「ふふ、君のそういうあほっぽいところ、僕も好きだよ?……主が頑張って隠そうとするところがかわいいから、堀川はそれが見たかったんだよ。君は嘘が下手だからバレバレだけどね」

 そんな事実を私が知るのは、まだまだ先のことである。それまでは、いや事実を知ったその後だって堀川の思うまま、心臓を揺らされる日々が続いてゆくのだった。