わたしの恋はひとりでに鳴る


※創作刀剣女士です。とても捏造注意



 いつだって、彼らと並んで遜色ない存在でいたかった。私より先に人の形をとった、兼さんと国広くんと並び立つように前を向いていたいと、そう思う。
 そんな気持ちを自分が胸の内に抱いていると分かったのは、人の身で顕現して少し経ってから。けれどそれは最初、顕現されて自分の瞳でこの世界を見た時から存在していたのだと思う。

「お、女の子……!」
「ここは……え、あれ?」

 真っ暗な世界から、光の溢れる世界へ。急激に変化した景色に私は驚きを隠せずにいた。
 ぶわ、と自分を中心に舞う桜の花びらと、それに巻き込まれるようにして立っている二人の男性が視界に入る。
 一人は和装の青年で、私の姿を見てとても驚いているようだった。わなわなと震えている。何か、変なところでもあるだろうか? 人の形をとったのは初めてのことだから、イマイチよく分からず少し不安になる。もう一人は、片割れの男性よりも少し背が小さくて、洋装。少年と青年の間くらいだろうか。空色の瞳がこちらを見て揺れ、私はなんだか懐かしい気持ちになる。いつでも傍にいてくれたような。
 そんな彼がふと、瞳の縁を緩ませたので私も同じようにする。それから、現状を把握したくて、くるりと周りに視線を回したところで男の子がもう一人にせっついた。

「ほら、主さん。説明してあげないとわからないですよ」
「あっ、あぁ、そうだよな、悪い。俺はこの本丸で審神者をやっている者なんだ。君に協力して欲しくて、顕現した」

 そう言って彼は私を顕現した理由を説明してくれた。歴史を変えていってしまう遡行軍から、本来の歴史を守るために戦ってほしいこと。知らないはずのその情報や知識は、まるで自分にとって当たり前のことかのように、私の身に染み入った。
 それから刀剣男士という存在について。“男士”という言葉の通り、今までの刀剣たちは男の人の姿で顕現されるらしい。
 私の場合が異例のようで、顕現した彼も頭を捻っていた。けれど、顕現されたものはされたのだし、考えていても仕方ない!と、彼は手のひらを私に差し出した。

「これからよろしくお願いします」
「精一杯、尽力させていただきます……審神者さま」
「様とか付けなくていいから、あと敬語も。もっと気軽にして!えーっと……君の名前は?」
「申し遅れました。脇差、名はと申します。えっと……主さん?」

 差し出された手を取りながらそう呼べば、彼は感極まったように「うんうん!」と頷いて笑顔になってくれた。大きな手のひらは、先ほど感じた不安をゆっくり溶かしてくれるような、彼の笑顔と同じ温度だった。
 彼への呼び方も、もう一人の男の子がそうしたように呼んでみたけれど、間違いは無かったらしい。なんだかしっくりくる呼び方に、少し満足な気持ちになって私も口元が緩んでしまう。
 ふと、視線が注がれていることに気付いてそちらを見れば、空色の瞳がよく見えた。彼は薄い唇でゆっくりと文字を音に変えた。

「……?」

 彼にそう呼ばれて、やっぱり懐かしい気持ちに襲われた。私の名前を確かめるようにひとつずつ、なぞる。
 揺れる瞳の色を見返して、少しの間そのあたたかい気持ちに浸ってしまう。呼ばれた名前に頷けば、彼も主さんと同じようにパァっと表情を明るくした。次いで「!」とまた名前を呼び、主さんが「堀川、のこと知ってるのか?」と尋ねる。

 ……堀川? 今、彼は「堀川」と呼ばれた?

「……えっ、え?!国広くん?!」
「そうだよ!僕は堀川国広、わかるよね?」
「わ、わかるも何も……っわかるよ!」
「もしかして、も新撰組の刀なのか?」
「はい、兼さんと僕と同じ、土方さんの刀です。彼の二本目の脇差」

 懐かしそうに嬉しそうに笑んでくれる彼に、私も居場所を見つけたようで嬉しくなる。同じ主の元にいた刀がいるのなら、私がここに馴染んで主さんの役に立てる日も早くなるのではと。
 刀とは元来、人に所有され振るわれてこそ力を発揮できるものだから。ただそこに置かれているだけでは少し足りなくて、もっと自分を。尽力したい、自分の主人のために。

「そうか。じゃあ、慣れるまでの世話なんかは堀川に頼んでもいいか?俺はこれから、いろいろ上に報告しなきゃいけないからさ」
「もちろん、任せて!兼さんにも早く知らせなくちゃ、主さん、行ってもいいですかっ?!」
「あ、ついでに本丸の案内もよろしく、晩御飯までにな~!」
「了解!」

 「、こっちだよ!」と、嬉々として私の手を取った国広くんは、逸るように廊下に踏み出した。足がもつれない様に気を付けながら私も後へ続く。兼さんもこの場所に顕現しているらしい。なら、清光も安定も長曽祢さんもだろうか? 旧知のものに新しく出会う、そんな不思議な心地を体に宿して、私はきゅうっと唇を結んだ。
 繋がれた手のひらから伝わる体温は、主さんのそれより少し低い。逸る気持ちと少しの緊張を落ち着けるかのようなそれは、私にはちょうどよかった。


 私、という刀は土方さんの脇差だった。とは言っても、この本丸に先に顕現していた宗三さんの言葉を借りれば「かごの鳥」というものかもしれない。
 戦場を駆けたことは、数度あるかないか。日がな一日、庭を眺めていることの方が多かった。それでも、土方さんは私のことを丁寧に手入れもしたし、大切に扱ってくれていたと思う。
 兼さんや国広くんよりも、確実に戦場の土を踏んだ経験は少ない。人の形をとるのも遅かったために、この姿での生き方を知らない。
 だからだろうか、新撰組の仲間たちはずいぶん私を心配した。初陣の時はもちろん、遠征や内番、近侍に至るまで彼らはいつも言葉の端に心配の色を滲ませた。特に、国広くんが、いちばん。

、明日は初めての出陣だけど不安なところはない?」
「包丁の持ち方はこう、じゃがいもは皮を剥いて芽を取る。熱した鍋は直接触らない。大丈夫?」
は内番の時に着る服がないよね……、あ、僕と同じジャージを着るのはどう?今日は僕の予備を貸してあげるから」
「長期遠征は初めてだよね。でも、僕も一緒に行くから大丈夫。兼さんの相棒で助手だけど、の兄弟子みたいなものだから」

 知っていることも知らないことも、すべてなぞるように国広くんが私の頭に刷り込んだ。(むしろ国広くんが教えてくれなかったのは、お風呂と厠の使い方くらいだ。教えられても困るけど)
 そのおかげか、ここでの生活も戦場での立ち居振る舞いも随分すんなりと身に付いたように思う。一人前とまではいかないけれど、飲み込みが早いと主さんも兼さんも笑って頷いてくれたものだ。

 けれど前を向けば、兼さんも国広くんももっと先にその歩みを進めている。私がどんなに足をぐるぐると回して走っても、彼らは悠々と先へ行ってしまう。伸ばした指先は背中に掠りもしない。それがひどくもどかしい。
 私は、彼らと同じように誇りをもっていたかった。人の肉を斬り、血潮に塗れ、泥で汚れようとも、誰かを傷つけるのと同じくらい、誰か守れる刀でありたかったのだ。
 主人を二度も同じくした仲間に、並び立ちたいと、思っている。

 そんな想いを胸に抱えていても日々は過ぎていくし、それでも私は少しずつ歩みを前に進めている。
 どんどんできることが増えた。国広くんにひとつひとつ丁寧に教えてもらっていたことも、今では一人でできることの方が多くなったと思う。できないことを数える方が早いくらいには成長したのだ。
 教えてくれる国広くんが誰かに物を教えることを得意とするたちだったのが大きく関係している。なので、私の手柄というより国広くんの大手柄なのだ。

 けれど、最初の頃はひとつを覚えれば笑顔を見せてくれた国広くんが、今ではひとつできると表情に陰を落とすようになってしまった。以前より、共に居られる機会も減ったような気さえする。
 並び立ちたいと、そばにいたいと思っているのに、どんどん距離を置かれているようで胸がぎゅっと詰まる。息苦しくて、もどかしい。
 それらがなぜなのか、私はイマイチわからないでいる。



「堀川が何を考えているかわからない?……うーん、俺も特に話は聞いてないけど」

 近侍の仕事をこなしながら、主さんに少し話を聞いてみることにした。けれど、返答は芳しくないもので、私も眉を下げざるを得ない。
 兼さんに聞いても、他の面々に聞いてみても口を閉ざされてしまうので、八方塞がりだった。

「そうですか……私が何かしてしまったのかなと思って。大切な仲間を傷付けるようなことはしたくないし、していないつもりなんですけど」
「うん、がそんなことしないっていうのは、一緒に過ごしてきてよく分かってるよ。堀川とも顕現した頃から仲良いだろ?」
「はい。国広くんは、最初から全部私に教えてくれたので……昔からの仲だし」

 そうだよなぁ、と少し悩んだ風に主さんは顎をさすって首を傾げた。それから少し間をあけ、彼は良いことを思い付いたぞ!という雰囲気を醸し出しながら「そうだ」と呟いた。

「俺、よろず屋で買いたいものがあったんだ。ちょうど良いし、も堀川に何かプレゼントでもすれば良いんじゃないか?」
「ぷれぜんと、」
「あ、贈り物な。喜ぶと思うぞ~、口実って訳じゃないけど贈り物ついでにちょっと話してみればどうだ」

 ぷれぜんと、を誰かにしたことはなかった。お世話になった国広くんが最初の贈り物の相手というのは、なんだかぴったりな気がして嬉しくなった。
 一も二もなく頷けば、主さんは花が咲いたように笑ってくれたので、それにも心が踊った。
 よろず屋に行くのは初めてのことではないけれど、主さんとふたりで出掛けることは初めてで。嬉しさと、多大な緊張を抱えながら私たちはよろず屋に出発したのだ。
 
 緊張の要因は主さんとふたり、という部分にある訳ではなかった。
 というのも、聞いた話ではあるけれど、審神者という役割は高貴であるがゆえに、命を狙われることも多いという。遡行軍から、また同じ人間からも。だから、主さんは外に出るときは必ず刀剣男士をひとりは連れて歩かなければならない。
 今回はこの方を私が守るのだ、という使命感から心にピンと糸が張った。
 杞憂だった、とそう言いながら帰路につき今日はこんなものを買った、道行きにこんな花が咲いていた、なんてみんなに報告できればと。

 そう、思っていた時だった。

「……っ、主さん!!危ないッ!」

 鈍く光る切っ先を、目の端で見切った。誰かを屠る、その一瞬だけ漏れ出す刺すような気配を、肌の表面で受け止めた。
 隣を歩いていた主さんの腕を乱雑に引っ張り、真横から飛び出してきた苦無を素手で叩き落とす。び、と皮膚が裂けた音が聞こえるが構わず、初動の勢いそのままに主さんの前に身体を踊り出させた。
 苦無の軌道を視線でなぞれば、

 --いる。そこに、まだ。

 刀の柄に手を掛け、主さんを背に庇い尖らせた神経をあたりに散らばす。
 きゅうっと心臓が軋んだ。わからないのだ。異形の気配かどうかを空気の端から知ろうとしても、気配を潜ませこちらを窺っている者が、”なんなのか”。
 ただの人攫いやヒトに関連するものならば然程問題はない。けれど、遡行軍に連なるものだったとしたら。
 姿を見せない敵意のある者に、こちらから仕掛けるのは主さんを危険に晒す可能性があるので避けたかった。けれど、このまま時間を摩耗させるのも得策ではない。
 ならば、と。意識は集中させたまま、投擲され地面に転がっていた苦無を蹴り上げて拾い、鋭く風を切る勢いで標的へ向けて放った。簡単な威嚇だ。
 ドス、と地面へ刺さった重たい音。その後すぐに、じわじわと私たちに纏わりついていた空気が消え去ったことで相手が退いたのだとわかった。
 遠退いていく気配に、息を吐く。主さんに大事がなくて、良かった。

、お前……!大丈夫か?!腕が、」
「もちろん、これくらいは大丈夫です。主さんはお怪我はありませんか?」
「ああ、が身を挺してくれたから問題なし」
「それならば良かったです。それじゃあ、今日はもう帰りましょう。追手が来ないとも限りませんし」

 いいのか?と言いたげな主さんに、もちろんだと首を振る。危険を伴ったまま主さんを連れ歩く訳にはいかない。

「そうだな……今日は帰ろう。手当てしないとな、
「……はい、主さん」

 手のひらがじん、と熱を持つ。痛みはもちろんあるけれど、それ以上にその痛みが誇らしくもあった。主さんを守れたのだと、証のようなそれをぎゅうっと握り込めば、痛みとともに存在を主張した。
 手土産はプレゼントではなくなってしまったけれど、ほんの少しの土産話にはなるかもしれない。それで彼が喜んでくれれば、笑ってくれたら嬉しいと思う。
 彼が笑むだけで、嬉しいのだと言ってくれるだけで、冷えた手のひらが触れるだけで、私の胸の内にあたたかな火が灯るのだ。
 あなたが手を取り導いてくれた私が、少しづつ一振で歩けるようになっているんだよって……国広くんへ。


 帰り着いた本丸の雰囲気は、なんだかひんやりとしている気がした。
 物理的な温度の下降ではなく、きっとこれは出迎えてくれた国広くんのせいだと思う。彼の視線が私の手元をなぞった瞬間、びりびりと不思議な痛みが走った気がした。な、なんだろう、これ。怖い。

「主さん、怪我はないんですよね?」
「ああ、俺は大丈夫!のおかげで。でも、その代わりにの手が、」
「掠り傷なので問題ないです。それに、主さんを守れたなら名誉の負傷……」

 本心を口にした。そのつもりだったのに国広くんの視線が主さんから私に向いた途端、誇らしく膨らんでいた気持ちがしゅんと萎んでしまった。
 だって、見たことの無い表情で、甘いのか辛いのか、しょっぱいのかわからないような顔をしていて。きゅっと詰まった眉間に、想いが刻まれているかもしれないと注意深く見てみたけれど、全然わからなかった。

「あー……堀川、を手入れ部屋まで連れて行ってくれるか?俺はちょっと手伝い札取ってくるから」
「……はい、わかりました」

 なんだか気まずそうにしながら、主さんは私を一瞥して「頑張れ」と声なく口を動かして去っていった。何を頑張ればいいか、皆目見当が付かなかった。
 残された私たちの間にはぽっかりとした空間が横たわっていた。いつもと異なる様子の国広くんへ、私はなんて言葉を掛けていいのか、ゆっくりと探していた。さっきまでは、誇らしい気持ちを彼に手渡してしまおうと考えていたばかりなのだが。


「は、はい」

 びくりと体が反応する。唇から漏れた言葉は揺れに揺れていて情けなかった。自分でも驚いてしまうくらい、はじめて聞くものだ。

「手入れ部屋に行こう。主さんもすぐに来てくれるだろうし」
「あ、あの、国広くん。本当に大丈夫だから、これくらい私だけでも手当できるし、」

 手当てならば自分でできてしまう。これも国広くんが教えてくれたことだ。
 それに、こんな小さな掠り傷、軽傷なのだから手伝い札なんてもったいない。

「……主さんに言われたことだから。怪我はの利き手だし、うまく手当しきれないんじゃない?それに、の今の状態は大丈夫っていう言葉にに当てはまらないよ」

 早口に言葉を並べられて、またもびくりとしてしまう。彼が怒っているのだとはっきり認識した。そして、はっとした。
 それはきっと、発せられた言葉のとおりなのだ。敵意のある相手を追い払えたのは最低限。利き手を負傷していては、もし追撃を受けた時にも主さんを守りきれるのか分からない。それは大丈夫とは言えない。そんな対応をしてしまったことを怒っているのだ。
 暗にそう言われているのだと思った瞬間、自分の未熟を痛感した。なぜあんなに心踊らせていたのだろう。そう思う心に反応して、強く手のひらを握り込んでしまえばぽたりぽたりと血液が地面を汚していく。

「手に力を入れないで、……、行くよ」

 そう口にした国広くんは、後悔や恥ずかしさを隠し固く縛られていた私の指先を無理矢理に解いた。眉間にはさっきと変わらず、皺が刻まれている。
 手を引かれたまま、国広くんの手が血液で汚れてゆくのを止められないまま、廊下を進んでいく。
 指先は前と変わらずひんやりとしていて、熱を持った傷口を冷まし労わるようだった。その温度は、羞恥に沸騰した頭を少しづつ冷静に戻してくれる。

「……く、国広くん、あの……お、怒ってるの……?」

 問えば、「、え」と戸惑うような声が前から聞こえた。振り返らない彼の表情は、見えない。

「……怒ってないよ、あー……うん怒ってないよ」
「その微妙な間が気になるよ」
「別にに怒ってるわけじゃないよ。ただ、」
「ただ?」
「……あー、うん」

 こんなに歯切れ悪く言葉を紡ぐことが珍しくて、だからこそ、その先を聞きたかった。私に怒っているのではないのだとして、彼の心の内を乱すものが何なのか気になった。
 けれど国広くんは押し黙ったまま、手入れ部屋までの距離を進んだ。部屋に入って手入れをし始めてからも、しんと降りた静かな空気を保っていた。
 とくとくと私の胸を叩く音は、言葉を急かすようにしてくるから、もう片方の手のひらを握り息を吐いて無理やり収める。今は急かしていいような場面じゃない、けれど気持ちとは裏腹にその速度は緩やかに早まる。人間の体は不可解だ。

「……はそうやって、どんどん一人でなんでもするようになるの」
「え、」

 包帯が巻かれていく様子をじっと見ていた。慣れた手つきの上に言葉を滑り込ませて来た彼に、思わず顔を上げる。
 真正面に、まるまるとした空の色がふたつ。距離感に驚いたのも束の間、その瞳のなかの空がゆらゆらと戸惑うように揺れているのを見た。

「ど、どういうこと」
「顕現してから、はどんどんいろんなことができるようになったと思うけど、」
「それは、国広くんが全部教えてくれたからで、」

 焦って搦めとるように彼の言葉の端を掴んだ。国広くんはふっと息を落として「ありがとう」と言いながらもちっとも嬉しそうではなかった。「でも」と続く言葉を待っている。

「……僕は、どんどんできることが少なくなった」

 そんなことはない、何でもできるのだ、国広くんは。そう言いたいけれど、揺れる瞳に気圧されて言葉がまとまらない。

が何かひとつできるようになれば、と一緒にいる理由がひとつ減る。嬉しくて、誇らしかったはずなのに、」

 こんなの、格好がつかない。ひどいやつで、情けないや。ごめんね、
 国広くんは眉間をやわらかに均して、力なく笑った。今にも泣き出してしまいそうな様子に、胸が苦しくなって呼吸すら覚束ない。
 顕現してから今まで、私は自分の手で、国広くんの隣にいる理由を減らしてきたのだという。何ということだろうか。

「……国広くんは、理由がないと側にいてくれないの?」
「だって、必要がないじゃないか」

 不貞腐れたように言うので、珍しさに目を丸くしてしまう。いつも自分より先を歩いていたはずの彼が、身近なところに戻ってきてくれたようで、嬉しさが体を撫で満たされる感覚。

「私は、国広くんの隣にちゃんと立ちたい。あの頃はできなかったことでも、今なら、できるから」
「僕がに教えてあげられることが、何もなくっても?」
「それでも、ううん。そんなの関係なくだよ。それとも、理由がないと国広くんの隣にいちゃだめ、かな」

 「そんなことないよ!」弾かれたように首を振る。今度は国広くんの番だった。
 それからふたりして、吹き出して笑ってしまった。さっきから同じやり取りをして、同じことを言い合っている。

「よかった、国広くんに嫌われちゃったかと思ってたから」
「僕がを?そんなこと、あるわけない」
「ずっと一緒にいてくれたのに、最近はそうじゃなかったから」
「それは、」

 一度、国広くんは気まずげに視線を落とした。もう一度こちらを見た瞳は、先ほどとは違う色で濡れていた。ゆらゆらと揺蕩うそれは、なにかを訴えかけるようにしていて、息を呑む。
 巻き終わった包帯の上から、するすると、傷口を避けながら国広くんの手のひらが私の形を辿っていく。
 その感覚が、ひどくもどかしく、自分の根幹を揺るがすような感触を覚えて奥歯を噛み締めた。

がどんどん遠くにいっちゃうような気がして。僕だけじゃなくて、主さんや他の仲間とも絆を深めて行く姿を見て、なんだか、息苦しいなと思ったから」
「息苦しいの?それって、人の、病気というものでは!?」
「病気ではないと思うんだけど……あと、心臓が軋む時がある」
「え!?」

 わ、私のせいで国広くんが病気に? 人の姿をとって、はじめて持った自分の心臓は私たちにとって未知の領域だ。どうしていいか、うまい手が浮かばない。
 深刻な事態に落ち着きを失った私を見て、国広くんはくすりと笑った。ここは笑うところではないと思うのに。

「ごめんごめん、大丈夫。本当は、答えはわかってたんだけど、はじめてだったからうまく処理できなくて」

 ほころんだ目尻で国広くんがそう言う。彼が言うのならば、大丈夫なのだろう。症状的に大丈夫とは思えないけれど、笑顔の国広くんは先ほどよりも心持ちが穏やかになったようなのでよかったとも思う。
 くるくると頭の中に思考を巡らせていれば、「、あのね」と思考を引き戻す声が降る。
 傷に障らないよう、ゆっくりとした動作で、最初の頃より熱を灯した手のひらが私の手を握る。そして、確かめるようにもう片方の指先で国広くんが私の頬を撫でた。
 今までひとつも見たことのない表情、やわらかな手つきと少し硬い指先に、またも私の根幹が揺れる。沸騰しそうな熱が身のうちから沸き出す予感がする。

「聞いて欲しいんだけど」
「な、何を」

 ひとつずつ、たしかな形を持たせた言葉が心臓を揺さぶってゆく。
 動揺は顔の表面に色となって表れているようで、「顔が真っ赤だよ」と国広くんが笑う。いつも見てきた笑顔とは違う、何か甘やかなものが潜んでいる。
 、ともう一度、逃げられないように名前を呼ばれて、体が震えた。

「……ずっと昔から、僕にとっては、」

 そこで、国広くんははっとした様子で言葉を止めた。
 襖の遠く向こうから、足音と「ふたりともー」という主さんの声が聞こえたからだろう。国広くんは瞬いて、ふっと息を落とした。

「参ったな。主さん、タイミングが悪いんだから」

 先ほどの言葉の先を聞きたいような、聞くのが怖いような。ある種、主さんはベストタイミングでこちらに声を掛けたのだ。
 先の言葉は継ぐ気がないのか、国広くんは素知らぬふりで立ち上がり襖を開け「あるじさーん、こっちです」と招いている。

「じゃあ、僕は飲み物でも取ってこようかな。ふたりとも疲れてると思うし」
「あ、それありがたい。手伝い札ですぐに治して、みんなでお茶にしよう」
「了解!」

 ひとふり、呆然と先ほどの余韻に取り残された私を置いて、彼らは話をまとめに入ったようだった。
 思考が追いつかず、先ほどのあれは何だったのか、縋るように国広くんを視線で追う。すると、彼はこちらを振り返って、きれいに笑ってみせた。

「もう逃げないから、話の続きはまた後で。……覚悟、しといてね」

 言い残して、私の胸に多大な動揺を残して、彼は部屋を出ていってしまった。
 どんな覚悟をしておけばいいのかわからない。国広くんが得た答えを私はきっとまだ知らない。それでも、頬に燃えあがる熱だけが残されたこと、気付かないふりをしてしまいたい。
 あの頃、私の熱を収めてくれた手のひらは、私の熱を破裂させてしまう要因になった。

「うまく、話せたみたいだな」
「あ、あるじさん」
「ふふふ、若いなぁ、若いなあ!生まれてからの期間的に、俺が若いっていうのも語弊があるけどさ。心配無用だったな」
「っ主さん、どう、しよう」
「ん?」
「なんだろう、これ。国広くんのあんな顔初めて見た。心臓がどこかに、持っていかれちゃったみたいな、」

 国広くんが言っていた症状と同じだ。息苦しく、心臓が軋む。
 とくとくとく、と音を立てている心臓はまだしっかりとここにある。なのに、どこか落ち着かなくて地に足がつかないような、そんな。私の中に、少しの不安とたくさんの嬉しさをいっぺんに詰め込んでしまったみたいで、パチンと破裂しそうだった。
 胸元を握りしめるようにすれば、主さんは「ああ、言い得て妙だね。たしかに心臓を持ってかれてるんだよ」と言って笑う。

、それをね、人は恋って呼ぶんだよ」

 主さんが嬉しそうに笑った顔を見て、その言葉を私の心臓はすうっと吸い込んだ。それは、はじめて息をした時のような感覚で。

 --恋という名前の、未知のもの。人の感情。

 これは私が貰ってもいい感情なのだろうか、わからず、主さんを見上げれば甘やかすように頷いてくれる。なんだが、孫を見る祖父のような表情だ。主さん、まだ二十代のはずなのに。
 彼が喜んでくれると嬉しい。悲しそうだったり、困っていたら、悲しいと思う。そばにいてもらえないと、さびしさを覚えて苦しくなる。
 私は人ではないけれど、この胸に浮かんだあたたかさや苦しさをその名前で呼んでもいいのだろうか。

 私は、国広くんに恋をしている。


-------------------------
1万アクセス記念リクエスト企画
匿名さま - 堀川くんと創作刀剣女士の甘い話