源氏兄弟と秘密のポッキー



 今日はポッキーの日、というものらしい。
 一年に一度、“1”の数字が並び立つこの日を、この時代の人間は菓子を食う日に定めたらしい。突飛なことを考えるものだな、と感心する。まあ確かに、あのサクサクとした生地、その上に硬めにコーティングされているチョコは美味かった。
 主と、みなに隠れて食べ比べをした時のあれは格別だった。「あんまり本数ないから、みんなには内緒だぜ!」と笑った主に頬が緩んだのを覚えている。数少ないものを分け合う対象として選ばれたこと、嬉しく思う。
 しかし、みなに隠れて食べたものだから、兄者にその美味さを伝えられていなかった。ならば、今日この日に、ポッキーというものの美味さを兄者とも分かち合いたい、と俺は思うのだ。

「うーん」
「兄者、そんなに悩まずとも食べればいいだろう。これは美味いのだ」
「うーん、だろうねぇ」
「……あれ、兄弟揃ってなにやってんの?」

 縁側にて、兄者へポッキーを勧めていれば、俺にポッキーを教えた主がやってきた。首を傾げてこちらへ近付いてくる彼女に、兄者は瞳を細め口元を緩め問い掛ける。

「ああ、主、今日は何の日か知っているかい?」
「疑問に疑問で返すのよくないよ!」
「ふふ、君なら答えてくれると思っているからね」
「調子いいな……えーと、ポッキープリッツの日でしょ?さっき他のみんなも騒いでたよ」
「うんうん、よく知っているね、いい子いい子。ほら、いい子だからこっちへおいで?」
「ああ、主。こちらへ来たらいい、共に食べれば更に美味いと言っていたのは君だったな」

 美味しいものは、誰かと一緒に食べれば更に美味しくなるよ!という持論を、以前ポッキーを食べた時にも展開していた。そして、なるほど確かに、彼女と食べるものはより美味しく感じられる。
 質問への返答がないままにされたことに、少し口を尖らせながらも彼女は導かれるままに兄者と俺の間に座った。左右に首を振って兄者と俺の様子を伺う様は、どこか訝しんだ様子がある。対する兄者も、何か不満があったのか、少しつまらなさそうな表情を浮かべている。

「……で?何してるの?」
「菓子丸がね、ポッキーを教えてくれたんだ。大層美味しいらしいね、これ」
「兄者ッ!!菓子丸とは誰だ?!」
「え?君のことだよね?ポッキー丸?」
「もはや日本語ですらなくなっているぞ兄者……」
「膝丸だよ、髭切……ポッキー丸て……でも、そうそう、ポッキーは美味しいよ~」

 俺の名前を盛大に間違えた兄者は、それを意に介していない様子でポッキーを見つめている。わざととしか思えない間違え方をされて、俺も憤りを感じるというものだが、ここまでさらっと流されてしまっては深追いすることもできない。このことに関しては根気強くいくしかないと、俺は覚悟を決めている。
 そんなことを考えている俺よりもポッキーが気になるらしい兄者は、一本を手に持って、じっと見つめている。その姿に「食べないの?」と問いかけられている。

「食べたいんだけどねぇ、食べ方がわからないんだ」
「は?食べ方?食べ方とかなくない?」
「ありゃ、主は食べ方がわかるってことかい?教えて欲しいなぁ」
「……え、なんか怪しい。膝丸、髭切に何話したの?」
「いや、特筆して伝えたこともないが……」

 ポッキーに食べ方も何もないだろう、という彼女の視線はもっともで、俺も同じ気持ちだ。兄者に何か思惑があることだけはわかるのだが、読み切れない。そして、確かに怪しく、嫌な予感だけがする。
 ひっそりと話していた俺たちを裂くように、兄者はポッキーを突きつけた。主の、口に。

「ごふっ」
「ふふ、二人だけの秘密なんて駄目だよ。悪い子だね、鬼が出ちゃうよ」
「あ、兄者!ポッキーは口に突っ込んでは駄目だぞ!」
「おや?それは悪いことをしたね、失敗失敗、でも、そうやって食べればいいんだね」
「しっ、ぱい失敗じゃないから!危ないし!髭切の方が悪い子だよ、ダメ絶対!」

 口に突っ込まれたポッキーをサクサクと咀嚼し終わった主が小さな子供を叱るように言う。兄者は至極満足そうに、そして悪びれずに「ごめんごめん」と言った。これだけ気持ちの籠らない謝罪も珍しい気がするな。
 憤りを体で表現しだした主を宥めるように、というより、餌付けをするように追加のポッキーを携える兄者は、やはり反省などしていないようだ。今度は緩やかな動作で彼女にポッキーを咥えさせた。しょうがない、とでも言いたげな様子だが、口にチョコの味が広がったのだろう、彼女は満足そうな表情になった。単純でかわいらしい。

「ふふふ、おいしいかい?」
「……兄者、兄者は食べないのか?俺は兄者にも食べてもらいたいのだが」
「ん?うんうん、今から食べるよ。ね、主、食べてもいいよね?」
「……ふぃふぃんじゃない?」
「じゃあ、いただくよ」

 その言葉の直後、俺は驚くべきものを目にし、嫌な予感が的中したことを知る。「今から食べるよ」その言葉を深く考えなかった、いや、考えるべくもないと思っていた。俺の間違いだった。
 今から、“主が咥えているポッキーを”、食べるよ。情報が省かれすぎた文章に俺は頭を抱えたくなったと共に、頭がカッと熱くなって、サッと冷えた。肝も冷えた。

「いやぁ、ポッキーも食べられて、接吻もしていいなんて、ポッキーゲーム万歳!」
「あ……っ兄者ァァァアアッ?!」
「……は?」

 状況を説明するならばこうだ。シャクシャクと順調に食べ進められていたポッキーは長さでいえば半分ほどになっていた。それを兄者が、パクリと咥えてしまった。根元まで、寸分の狂いなく。するとどうなるかと言えば、主の、唇まで兄者の唇が届くことになる。
 ちゅ、と余韻を残す触れ合いの証。満足そうに笑う兄者、我慢するすべもなく腹から声を出す俺、呆然とポッキーを失った口を開く主。訳がわからない状態が出来上がっていた。

「兄者、な、何をしているんだ!」
「ひ、ひ、ひ髭切何してんだ!ば、え、あ、ばか?!」
「何って、ポッキーを食べたんだよ?」

 了解はとったと思うんだけど、とのほほんと言う兄者に頭が痛くなった。そういうことじゃない、そういうことじゃないんだ! 
 なんと言っていいかわからない、形容しがたいものが胸の中に渦巻いている。頭を抱えれば、過るのは先ほどの情景だ。ポッキーを、共に食べた彼女と兄者。それが過るとなぜだか、どうしようもなく胸が騒つく。彼女と俺の内緒が形を変えてゆく。
 俺の眉間に皺が寄っていく様を見ていたのだろう、兄者は軽やかに笑って俺に言った。もちろん、俺よりさらに憤っているだろう、彼女の手を搦めとるのも忘れていない。

「膝丸、君もしたいならそうすればいい。“誰かと一緒に食べるものは美味しい”って言ってたのは、この子なんだから」
「な、なっ……」

 ポッキーの日、は、こんな日だったんだろうか。呆然とする俺と主に、追い打ちをかけるように兄者は言葉をするすると口から吐き出していく。吐いた言葉の代わりにポッキーを吸い込んでいく。ああ、確かに美味しいねぇ、と言いながら。
 兄者が俺の名前を正しく呼んだこと、主が俺の前で兄者と共にポッキーを口にしたこと、そして兄者の言葉。俺がそうしたいなら、そうすればいい。全ての事柄がぶつかり合って、俺の頭の中を正常に動作しない状態に作り変えてゆく。体の中が熱くなったり、冷えたり忙しい。

「っ主、」
「ちょ、まっ、ひざまる、落ち着くんだ、しかもこれポッキーゲームっていうレベルでもなっ」
「はーい、主、ポッキーだよ」
「んぐーーーーむっ!!」

 先ほどの突っ込む、という方法はとっていないが、ポッキーを咥えさせられた彼女は口で叫べない代わりに目で叫んだ。ヒーーーー!と目が言っているが、俺も、君と一緒に食べたいんだ。
 少し、いや、かなり戸惑いはしたが、結局かぶり付いた俺を見て、兄者が薄く笑ったのが目の端に引っかかった。口の中に甘いチョコの味が広がっていく。あの日、二人で内緒にした味を上回るものが、胸に広がる。ポッキーは理由だ、彼女と俺たちが内緒を共有するための。
 笑う兄者の声を聞いて、ああ、全部知っていたのだ、と思った。ポッキーがどんなものかも、主と俺が二人の秘密だと言っていたことも、共に食べると美味いのだ、と言っていたことも。自分の兄ながら恐ろしいが、ふと考える。主と兄者、そして共に自分が秘密を抱えられるならば、俺にとっては願ったりなことなのではないだろうか。と、浮かされた頭で思った。

「うんうん、三人一緒に食べると美味しいねぇ、ポッキー。こうやって食べたことは三人だけの内緒だよ。また来年もこうしよう」