正しくかわいく生きてゆこうね



 彼女の話は僕からしよう。

 僕らの主は、どこにでもいる女の子だ。朝になれば学校に通い、授業を受け、友達と遊ぶ。そして本丸に帰れば宿題を済ませて、夕飯をみなと食べる。とても素直で模範的な可愛い僕らの主。
 ただ一つだけ、他の女の子たちと違うところと言えば、彼女が審神者として小さな頃から僕らと一緒に歴史修正主義者との戦いに身を投じているということ。

 そんな彼女は、名をと言い、僕、歌仙兼定を初期刀として迎え入れてからもう十数年と経った。最初は僕の腰程しかなかった背丈も今はだいぶ大きくなったと思う。
 彼女の成長はとても早く、この間までは長めのスカートをはためかせては走り回っていたのに、今では高校生になっていた。本丸にいる間は審神者の礼服も小さいながらに着こなして、みなの指揮を取っていた。もちろん、着付けも近侍も僕が手助けしていた。何たって僕は彼女の初期刀だからね。
 そんな彼女の隣の特別な役目が、最近損なわれそうになっている。それが僕の頭を悩ませる最大の事柄だ。


「もういいよ!歌仙のバカ!」

 が大きく叫んだ言葉はこの本丸にはよく響いたが、みんな慣れたもので、またかぁと少し笑った。ただ一人、名指しで叫ばれた彼を除いては。
 畑当番終わりの加州と乱の後ろを、彼女はバタバタと奥へ駆けて行った。振り向いた二人の視界に映ったのはふわりと揺れる短いスカート。ああ、あれのせいか。彼らは顔を見合わせて頷いた。
 そしてその後、声を荒げて追いかける彼が目に入り、まずは乱が声を掛けた。

「主!待つんだ、主!」
「も~、歌仙さんまた主にお説教?」
「今度は何があったっていうのさ?」
「今日はまた一段とスカートを短くして、あぁもう雅じゃない!」

 拳をぶるぶる震わせるようにした歌仙に、二人は再度顔を見合わせた。やっぱりか、そうだと思った、けれど口にはしない。口にしたらしたで、歌仙は烈火の如く怒り始めるだろうからだ。
 加州にしても乱にしても、自分たちの主がファッションに気を遣っているのは喜ばしいことのため、歌仙のように怒る気持ちは持ち合わせていなかったのだ。なので、つい、の味方をしてしまう節がある。自分たちと一緒にあれやこれやと服を試して行く彼女がとても可愛らしくて。
 それに、そのスカートが短くなっていく過程に潜む内緒話を、彼らは知っているものだから、更に。

「そんなに怒らなくてもさ、主も年頃の女の子だし」
「そうそう!洋服にも気を遣って、お化粧も頑張って、最近すごーく可愛くなったよね?」

 僕、最近の主すごくいいと思うけど。口元に手を添えながら乱は上目遣いでウインクした。加州も同意するように首を縦に動かした。
 そもそも、歌仙は固すぎるのだと二人は思っていた。だから、気付けるものにも気付けないのだ。
 二人の言葉にかぶりを振って歌仙はまた拳を固くした。主がかわいくなった? そんなことは分かっている。昔からかわいいかわいい、自分たちの主なのだから。ただ、

「それでも、あれでは危険だろう?」
「そうかな?主はそういうところしっかりしてると思うよ?」
「そーそ、何たって歌仙に叩き込まれてるもんね」

 そう言われてしまえば、そうなのだ。彼女が幼い頃から共にあり、女性としてどうあるべきか伝えてきたのは他でもない歌仙である。何が危険で何が安全か、判断できないとは思っていない。
 息を吐く。それも、わかっている。でも、いや、だけど、けれども。

「それは、わかっているよ。けれど、現世の男たちはそうはいかないだろう」

 吐き出すように言う歌仙に、加州と乱はきょとんと目を見合わせてから、にやりと口元を歪ませた。その様に気付かず、歌仙は思いの丈を口からするすると滑らせてゆく。

「僕らは彼女に危害なんて加えるつもりは微塵もないだろう?けれども、現世の男たちは主に邪な目を向ける奴もいるだろう?!」

 耐えられない!とでも言うように歌仙は語気を強くした。彼は、のことになると本当に頭に血が上りやすい。加州にしても乱にしてもそれは相違ないけれど、歌仙は頭一つ分、それ以上に飛び抜けているのだ。その理由を彼は自分で掴めていないようだから、我らが主が頭を悩ませるのも頷ける。
 本当はもっと緩やかに、自分たちの速度で気付けばいいと思う。でもそんなことをしていれば、本当にどこぞの馬の骨に掻っ攫われるかもしれない。それよりは、少し早くても自分たちが背中を押したほうが良いのではないか? 二人は同じ思考の元、目尻を和らげて口を開いた。

「ねぇ、歌仙さん。僕らは主を慕っているし、とても大事だと思っている。でも、主に大事な人ができるのは嫌じゃないんだよ」

 その時は、多分寂しいけどね、と眉を下げて笑った乱の言葉を加州が引き継いだ。

「現世の男は危ない、確かにそうかも。でも、その中に主を大事にしてくれる人がいるかもしれない。主が大事に思う人も、いるかも」

 そう考えるとさ、主が今時の格好で現世にいるのはいいことだと思うよ。加州と乱の言葉が発した言葉に歌仙はずしり、と心臓が重くなった気がした。頭の中にと彼女が大切に思う誰かを描いていく、顔も見えない誰かに笑いかけるはとても幸せそうで。まさか彼女がそんな、自分の隣で笑っていた彼女は、どこに、
 どくどく、と耳のすぐ近くで心臓が早まるような音を歌仙は聞いた。体の真ん中から頭まで押し上げられるように血液が巡っていく。それを落ち着けるように、描いた光景を振り払うようにかぶりを振る。
 そんな歌仙の様子を見て、加州と乱はひっそりと笑う。全く世話の焼ける。そうしてとどめ

「ねぇ、歌仙さんがそこまで怒る理由って、どこから来てるの?」

 にっこり笑った乱の言葉に、その簡単な問い掛けに、ついに歌仙は頭がくらりと来て額を手で覆った。ゆっくりと、順序立てて問われているうちに自分の想いまでしっかりと整理されて答えに辿り着いた。
 濁っていた思考が、濾過されていくような感覚だった。最後に残ったのは一つの答え。自分が、彼女に対して何を想い、何を望んでいるのか。

「……まったく」

 自分は文系、審美眼には自信を持っていた歌仙であったけれど、灯台下暗しとはよく言ったものだ。自分で自分に呆れるよと歌仙は息を吐き、その気持ちに気付かせた二人も「本当だよね」と笑った。
 彼は自分の身の回りのことに関しては突出したものを持っていたが、自分のことに関してはすっかり後ろへ追いやってしまっていた。
 気付かなかったのも無理はないのだろう、と歌仙は独り言ちる。当たり前になっているものこそ、失ってから分かるのだから。完全な喪失になる前に気付いたことは、彼にとってはとても幸いなことだった。



「歌仙のばぁーーか」
「ほらほら、主、こんなところで隠れてても歌仙は見付けてくれないよ」
「だって、次郎ちゃん……」
「情けない声出しちゃって」

 歌仙を振り切り、が隠れたのは離れにある歌仙の茶室であった。逃げる道中で捕まえた次郎太刀も一緒に。彼女が彼を捕まえたのは、いい話し相手だと思ったからだろうが、体が大きい自分を連れ回していては見付けてくれと言っているようなものではないか、と次郎太刀は思う。
 茶室に入ってから、塞ぎ込んだように隅で膝を抱え歌仙への不平を口にしたに次郎太刀はああそうかと納得する。

 簡単なことじゃあないか。見付けてくれと言っているんだね、あんた。

 歌仙の茶室に隠れたのも、自分を連れ歩いたのも、全ては最後には歌仙に見付けて欲しいという思いからだということを彼は知って口元を緩めざるを得ない。
 涙を滲ませたような声を聞いてしまっては堪らない。次郎太刀はしょうがないねぇと言いながら、の整えられた髪をわしゃわしゃと撫で回した。その時、茶室の襖に陰が差し込んだが、次郎太刀は知らんぷりをして手を動かす。

「わっ、次郎ちゃん!」
「元気が出ないなら、酒でも飲むかい?元気になるよ!」
「未成年の飲酒はダメなんだって口を酸っぱくして言われてるから、だめ」

 誰に言われてるのかなんて、言わずもがなで、はまたしても気落ちした。一度すん、と鼻を鳴らして顔を上げた彼女の目元には滲んだ黒が残っている。最近綺麗に引かれるようになった瞼のラインが今は頼りなく途切れている。
 そのラインの先っぽが少し上向きに上がっているのも、頬に可愛らしく赤みを差したのも、厚みが出るように紅を引いた唇も誰のためなのか、この本丸のみんなが知っている。ただ一人本人を除いては。
 じっと次郎太刀を見つめた後で、彼女は息を吐き矢継ぎ早に彼に問い掛けた。

「どうしたら次郎ちゃんみたいに綺麗になれる?」
「どうやったら乱ちゃんみたいにかわいくなれるかな?」
「どうしたら清光みたいに、色っぽくなれるんだろう?」

 小さい頃から、隣にいたのは歌仙でいつでも自分のことを大切にしてくれていたと分かっている。他の刀剣たちにしてもそうなのは、十分に承知している。
 それでも、は大人というものに向けて自分が歩みを進めていると知った時、彼から向けられる優しい視線に耐えられなくなっていった。いつからかは分からない、けれど、自分が求め始めたものと歌仙が与えてくれるものでは決定的に感情の性質が異なっていた。
 だって、いつだって歌仙の中では妹のような、子供のような存在でしかないのだから。

「私、歌仙に大人の女の人だと思われたい」

 瞬いたのと、言葉を口にしたのは同じタイミングで、ぼろりと瞳から雫が落ちた。時を同じくして、襖が開いたのに先に気付いたのは次郎太刀だった。彼は戸惑うことなく立ち上がり、バチン、とウインクを一つしてやって来た彼と入れ替わるように外に出た。
 突然のことに驚き、目を丸くするに「主」と呼び掛けたのは他でもない歌仙だった。先の言葉を聞かれていたのでは、と思った彼女はびくりと身を震わせ「か、歌仙……」と言い淀んだ。視線を合わせられず彷徨わせた彼女を見て、ふと笑みを零し歌仙は口を開く。

「主、さっきは怒鳴って悪かったね。でも、やっぱり僕は君にそれは必要ないと思うんだ」

 先ほどとは違う、諭すような口調にそっとは歌仙の表情を伺った。その声色と同じように、彼は優しげな笑みを携えて目尻を緩めていた。その様子には気持ちを浮上させたが、反して胸がぎゅうっと詰まるような心地もした。
 また、自分は子供扱いされて往なされている。には必要ない、と彼はいうけれど、彼女にしてみれば今最も必要なものだった。歌仙の怒りを買う化粧も着丈も、彼女にとっては意味のあるもので、おいそれと戻す訳にもいかないのだ。
 彼の緩んだ目尻に差された紅い色が彼女の気持ちに拍車をかける。

「歌仙だって、瞼に紅を差してるのに?」
「僕のこれはいいんだよ」
「そんなのずるいよ、私だけだめなんて!いいでしょ、歌仙とお揃いがいい。私ももう大人なんだよ」
「……君は本当にしょうがない子だね」

 歌仙は言うなり、自分の瞼に乗せていた紅をぐっと強く親指に擦り付けた。それから聞かん坊になっている彼女の瞼に優しくその親指を滑らせた。滲んだラインの上に仄かに紅が宿る。

「ほうら、これで揃いだ。満足かい?」
「……歌仙、」
「あまり雅ではないけれどね。揃いがいいなら、これでいいだろう?それに、これには君の言うような色めいた意味はないんだよ」

 ふっと息を吐いてから、彼はの頬のラインを優しくなぞった。僕のこれは、魔除けの意味があるんだ、他意はないよ。と自分の紅の意図を伝える。歌仙が紅を引く理由は色付いた理由ではないのだから、もする必要がないだろう?と諭すように。けれど、彼女は納得しないように「でも、」と小さな声で言い淀む。
 歌仙とお揃いがいいという理由が使えなくなってしまった今、彼女は本当のことを言わざるを得なくなってしまった。目の前の彼のために、には必要なものだから。自分がただの女の子から、一段上に登るための魔法だから。
 そんな彼女を歌仙は急かすことはせず、ただが言葉を続けるのを待った。ここでいつものようにせっつくのが得策ではないことはもちろん、分かっていたからだ。言いにくそうに、けれど、ようやく決心がついたように引き結んでいた唇をが開く。「でも、」

「それじゃあ、大人には、なれないから」
「主は、どうしてそんなに早く大人になりたいんだい?ゆっくりでいいだろう?」
「……だって、私、歌仙にはちゃんと見てほしい。もう、小さい頃の私じゃないんだよ」

 ちゃんと、対等に見て欲しいの。面と向かって伝えられたその言葉に歌仙は一度息を呑んでから、その息を深く吐き出した。その吐息に、が不安げに瞳を揺らし、徐々に薄く水の膜が張って行く。ああ、やっぱり歌仙は私のことを子供だと思っている、それに困らせた。の顔にはありありとその言葉が描かれていた。
 そんなことはない、という言葉より先に歌仙はゆるりと彼女の髪を撫でた。次郎太刀がくしゃりとやったものが、綺麗な形に整ってゆく。
 不安げにするその表情も綺麗だと思う。文系の審美眼だ、間違いはないだろう。いつの間にか、こんなにも大きくなってしまった。彼女も、歌仙自身の彼女への気持ちも。
 瞳から雫がこぼれ落ちる前に、歌仙は「これは、僕も先程気付かされたのだけれど」と言葉を前に置いた。

「僕は、とうの昔から主のことはそう扱っていたのだけれどね」

 スカートの丈を直すよう喧しく言うことも、慣れていってしまう化粧の腕を疎ましく思うことも、学校帰りの寄り道で帰りが遅くなることを咎めることも、全て。その全てが、が大人になって行き、歌仙の元から離れていってしまうことを危惧したことから出た言葉だということを彼は気付いた。
 行き着く先は、ただ一つ。彼女が他の男の目に触れるということがただただ不愉快だという事だけだったのだ。今まで自分が大切にしてきたものを横から掻っ攫われるのはいただけない。

、君を他の男どもの目にあまり晒したくないと思っているんだ。だから、少しは僕の言葉も聞いてくれると嬉しいのだけれど」
「か、せん」
「大切に思っているよ、昔から。昔とは少し違う気持ちも多分に含んでいるけれどね」

 言葉と一緒に歌仙はに顔を近付け、囁くように言った。するりと優しく、頬を撫でれば、それだけで、何も言えず頬を染めては縮こまった。それを見て、悪戯が成功したかのように歌仙は笑い、やっと安堵した。
 ああ、僕らの、僕の主は変わっていなかった、と。昔から変わらぬ彼女のことを歌仙はとても愛おしく思った。


 次の朝、朝食の片付けをしながら、加州と乱、それに次郎太刀は昨日のことを思い返し口を揃えて言う。

「よかったよね」
「ほーんと、よかったよ。私なんか祝杯をあげちゃったよ」
「だから昨日の夜あんなに騒がしかった訳ね……でも、ああは言ったけどやっぱやだな」

 思い返すように加州が呟いたところで、その場にいなかった次郎太刀が「何を?」と問い掛ける。手短に、主に特別な奴ができたらって話、と伝えれば、存外不服そうな声が出た。それに乱が笑い声をあげた。

「そりそうでしょ!やっぱり、寂しいは寂しいし、自分だったらなぁ~とか思っちゃう」
「俺、歌仙でもちょっとヤキモキするもん」
「まあ、それを考えると歌仙でよかったと思うよ」

 どこの馬の骨かもわかんない奴よりかはねぇ!と言う言葉に二人が勢いよく同意したところで、そんな話が上がっているとはつゆ知らず、厨房の横をパタパタと駆けていく足音が二つ。
 厨房に「いってくるね!」と顔を出したにいってらっしゃいを届ければ、続いて歌仙が声を上げた。けれど、それは昨日よりもとても柔らかいもので、三人は顔を見合わせて笑った。

「こら、主。またスカートが短いんじゃないかい?それに、化粧も」
「そんなことないよ、気のせいだよ」

 はえへへと笑い、目尻を緩める。その瞼にはほんの薄く赤い色がのっている。歌仙とお揃いで、魔除けだと聞いたからと彼女は答えてスカートを翻す。
 そして、いってきますの言葉を本丸に響かせ、門をくぐった。膝の少し上で揺れるスカートとそこから伸びる足を忙しなく動かしながら学校へ向かう彼女を見て、歌仙はひっそりと笑みをこぼし、呟く。それは、あまりにも幸せな響きを伴って朝の喧騒に溶けた。

「君は本当にしょうがない人だね」


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音緒さま - 女子高生審神者と理解者な初期刀歌仙の話