ありあり触れたい




 急ぎ足で真夏がやってきたような日だった。雨続きの日々をはねっ返すように照りつける太陽の下、畑当番を黙々と進めていく。雑草を抜いて、今日の夕食に使う分を収穫して、水をやって。
 こんな日に畑当番なんてツイてないぜ! なんて兼さんは言っていたけれど、僕は少し浮ついた心持ちでいた。
 理由はふたつ。しっかりと役目を果たせているなと思えること。それと、もうひとつ。


 じわじわと頭から太陽に侵食されていく心地がする。インナーも、脱いでくればよかったかな。首筋や頬を伝って、汗がいくつも流れた。手の甲で拭っても、意味がないくらい。
 夏日の対策でかぶった麦わら帽子は直射日光から僕を守ってくれているから、暑さは幾分かマシだと思う。ううん、もしなにも効果がなくたって、この麦わら帽子をかぶること自体が僕をふわふわとした気持ちにさせている。

「おーい、堀川くん、終わったー?」
「あ、主さん。この辺りはだいたい終わりました」

 収穫カゴを抱え大きく手を振りながら、主さんがこちらに向かってくる。手を振るたび、陽射しを受けた彼女はきらきらとまわりに光を振りまいた。
 今日は急ぎの仕事もないからと、主さんも畑当番を手伝ってくれていて、僕とおそろいの麦わら帽子が主さんの頭の上で彼女を日差しから守っている。
 「堀川くんは、麦わら帽子が似合うと思うんだよね」と言って、本格的に夏が始まる前にふたつ買ったものだ。おそろいにしよう! と言った笑顔もまたぴかぴかと弾けていた。楽しそうでいいんだけど、また長谷部さんに怒られないかな。無駄遣いがすぎます、って。
 そんなことを考えつつも、ふたりだけのお揃いに、僕は浮かれていたのだなと思う。だって、怒られてしまうかもしれないって思ったのに、それを口にしなかった。(そして案の定、お小言をもらった)
 なんだか、主さんのとくべつをもらっているようで、認めてもらえているようで嬉しかったんだと思う。たぶん、そう。
 ぼんやりと思い返していた僕の元に辿り着いた主さんは、カゴの中の戦利品を誇らしげに手にとった。「今回のトマトは前のより赤い」「変な形のきゅうりがあった」「とうもろこしって粒外すの結構難しいよね」くるくると移り変わる話題と表情を見ていると、畑当番をやってよかったと思える。体の内側からもじんわりと熱がにじんで、なんだか焦ったい。
 主さんのことはいくら眺めていても飽きないなと、しげしげと見つめていれば髪に隠れた顳顬あたりが少し汚れている。きっと、汗を拭うときに土が擦れたんだと思う。

「主さん、そこ、汚れちゃってますよ」
「え、ほんと? ……こっち?」
「うん、そうそう。あ、もう大丈夫、取れてます」

 ありがとう、暑いから汗がね、と彼女はすこし恥ずかしそうにした。けれどそれも一瞬で、今度は逆に僕の顔を主さんが見つめてくる。そうされると、なんだか、少し居心地が悪くて居住まいを正す。

「そういう堀川くんも、ついてるよ。頬っぺた」
「ええ、本当に? 恥ずかしいな」

 違うよ、そこじゃなくて。ああ、もっと汚れた! 見当違いな場所を擦った僕に、主さんがからから笑う。目のふちをやわらげて、しょうがないなと言うようにこちらに手を伸ばす。するりと、僕の頬を滑った主さんの指先。
 どっ、と体が内側からなにかが暴れ出したと思った。なんてことはない、ただ汚れを拭ってくれただけなのに。主さんの指は、夏にやられた僕の頬より少しひんやりとして、やわらかだった。

「はい、取れましたー!」
「あ、ありがとう、ございます」

 彼女はいたずらに成功したように、無邪気に笑った。あはは、私たちふたりとも泥だらけの汗だくだね。
 実際その通りで、体のあちこちがどろどろだ。なのに、さっきよりも、一際まぶしい。

「それじゃあ片付けて休憩にしよう! タオルとお茶、貰ってくる。堀川くんは涼しいところで待ってて!」

 いいですよ、主さん。それなら僕が行ってきますから。
 そんな風にいつも通り、口に出せればよかったのに。僕の体はぴたりと固まってしまって、主さんが駆けていくのに追いつけない。
 まるで、人の身を手に入れる前のよう。けれど、春の嵐のように暴れる心臓が、それを否定する。大きく息を吐いてゆっくりと瞬いても、まぶたの裏の閃光は消えない。


 最近いつも、主さんが笑うとぴかぴかと光が爆ぜる。金平糖のような光をまとって、きらきらして見えた。最初は小さな、線香花火のような細やかさだったのに、今はどうだろう。
 ううん、本当は薄々気付いていた。陽射しなんて関係なく、僕の視界で主さんが特別にひかる理由。ありふれた、けれど僕にとって特別なたったひとつの理由。
 頬があついのも、胸が苦しいくらいどきどきと早鐘を鳴らしているのも。夏のせいなんかじゃないことを、僕は。