あなたを想えば冷える爪先
おかえりを伝えるのが照れくさいことがある。
毎日本丸の誰かに向けて口にしている言葉でも、特定の誰かへの言葉になって、溢れそうな想いがあったなら。
清光が長期の遠征で本丸を空けている。本丸に顕現して長いし、練度も高いから部隊長として頑張ってくれている。だから、信頼もしていて難易度の高そうな遠征も任せられるというもの。
けれど、それとこれとは別の感情が私の中に生まれているのはひどい矛盾だった。
清光と私。想いを伝え合ってから、こんなに長いこと顔を合わせないのは初めてのことで。たかが一週間、されど一週間。
でも、そんなことで会いたいと喚くほど子供にはなりきれなかったし、帰ってきた清光に一番に飛び付けるほどかわいい女の子にもなれなかった。だから、清光に会えるのはきっと遠征が終わった次の日だ。
おかえりって言って思いっきり抱きつくのは、ちょっとだけ難しい。
胸の中で一日ごとにカウントダウン。それを時計の短針がひとつ進むごとにするようになってしまった。あからさまにしょんぼりしている私を見かねてか、朝ごはんを隣で食べていた乱ちゃんがちょっと困ったように笑う。
「そろそろ、桜が満開になるみたいだよ。主さん」
少しでも元気になってくれればいいなという気遣いが見えて申し訳なく思いながらも、テレビに映るお天気お姉さんとお兄さんを見る。そうして、はた、と気付いたのだ。
——たまたま、うちの本丸には大きな桜の木があって。
——たまたま、朝のニュースで桜が満開になるという話を聞いて。
——たまたま、明日は清光が長期遠征から帰ってくるから。
おかえりを、伝えるのが照れくさいことがある。
それでも顔を見て伝えたいから、わざわざ用事を作って会いにいこうと思う。
「ありがとう、乱ちゃん!」
「んん、僕そんなすごいこと言った? ふふ、でも主さんを元気にできちゃったなら、僕も嬉しい」
「なったよ。とっても元気になった。今日も一日頑張るねっ!」
乱ちゃんは、私がこんなにも勢いをつけて元気になるなんて思ってもいなかったらしく、目を丸くしていた。けれど、その後は嬉しそうに笑ってくれた。それこそ、花がほころぶみたいに。
芽吹いて花を携えた桜が開くみたいに、私の気持ちもぐんと身を保たせてその時を待っている。
◯
春の夜は、まだ夏に呼び掛けていない。ひんやりとした縁側に腰掛けて桜をぼんやりと眺めていた。天気予報の通り、満開になった花は夜の空が明るいのではないかと思わせるくらいに広がっている。
寒いな、と思って手のひらを合わせた。ほんのりとしか残っていない熱を分け与えあっていれば、頭上から待ち望んだ声が聞こえた。
「な、んでこんな時間にこんなところにいるの、主!」
ひどく焦ったように目を丸くしたのは、待ちに待った刀だ。清光は、赤い花だけじゃなくって、桜まで似合っちゃうなんて罪なやつだなと思った。
「桜がね、満開になるって聞いたから。見ようかなと思って」
「見ようかなって……別に明日の朝でもよかったでしょ。なんで夜にこんな、」
「朝にも見るけどさ。いつ散っちゃうかわからないし、いいでしょ、夜桜」
ここで待っていたのはね、清光を待っていたんだよ。とは言えなかったけれど。安定がしょげていた私を見かねて、嬉しい情報を教えてくれたのだ。
呆れたような顔をしながらも「清光はいつも、桜の木の前を通って主の部屋の様子を見てから帰ってくるよ」と教えてくれた。
知らなかった事実に浮かれた私をよそに、安定は「ちょっと粘着質じゃない? あいつ」とゲンナリしていた。
すき、の気持ちの前ではそんなことは喜びに変換されてしまう。自分の部屋で待たなかったのは、瞬きよりもはやく清光に会いたかったからだ。
「すっごい冷えてるじゃん」
私の指先を、誰にも見つからないよう隠していた宝物のように握った。低血圧そうな清光の手のひらは存外あたたかい。
「俺、遠征帰りだし、お風呂もまだだし、あっためてあげたりできないんだけど」
「え? いいよ、ぎゅっとしてくれても」
はい、と腕を広げてみれば、猫目をまんまるにした。薄いくちびるが少しだけ開いて、また閉じた。少しだけ腕が上がって、私を囲い込もうとしたのに、それは最終的に手首を掴むだけにおさまった。
「あー、もう。すぐそうやって無防備になる」
こんなタイミングでやめてよね、と怒ったように言うので笑ってしまった。私がちょっと体を冷やしただけで、てんやわんやになる清光がいとしい。こんなことで清光のいろんな表情を見れるっていうなら、役得だと思う。
でもそれは清光にとってみたら叛逆の意志以外のなにものでもないから、余計に怒らせてしまうのだ。
「そんなことする主は、こうだ!」
「わあっ!」
抱きしめる代わりにと、マフラーで簀巻きにされてしまった。首から鼻までぐるぐる巻きになった姿は間抜けではないだろうか。
それでも、ふわふわと清光の香りに包まれているから、まんざらでもないのは秘密にしておこう。小さなやりとりすら胸にはらはらと積もっていく。
「これは……あったかいです」
「そうでしょ。今度からはそれくらい重装備できてもらわないと困るから」
「えー努力はするけどさ……その時はまた清光があっためてくれるんじゃないの?」
「……だからさぁ……ああもう、そうだよ!? そうだけどさぁ!」
そういうことじゃないんだけど!と震える清光をおかしく見守った。腹いせみたいにぎゅぎゅうとマフラーの先が引っ張られて、幸せな苦しさが襲ってくる。
この短い時間で、一緒にいなかった一週間の寂しさが、正しいなにかで埋められた気がした。満たされたなって、自信を持って言える。
マフラーの拘束を抜け出して、やっと言える。あのね、清光、
「ん?」
「……おかえり」
清光は面食らったみたいな顔をして、それから私の全部をまるっと理解してしまったようにやわらかな吐息を漏らした。こつりと、おでこが私のおでこにぶつかった。
「ただいま、主」
間近に見えた瞳がうすらと細められた。いとしい、が色になったらこんな色なのかなと思う瞳だった。見つめられて、瞳が色濃くなったのがわかる。
頬が清光の手のひらで包まれて顔が上に向けられたら、行き着く先はひとつしかない。薄いくちびるがくっついて小さく音を立てて離れた。
「冷たい。やっぱり、次からはあったかくして待っててよね」
もう全然冷たくも寒くもないよ、と思う。清光は私に火をつけた放火犯だ。見つめられるとぎゅっと胸が痺れてどうしようもなくなる。このしあわせな苦しさは永遠に続いてほしいと思う。
おかえりを、伝えるのが照れくさいことがあっても。どんどん大きくなる清光が好きだっていう気持ちが花風にさらわれないように。
どうかこれからも、ぎゅっと抱えて伝えていけますようにと、願ってやまないのだ。
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かりすまいのほたるさんへ。いつもありがとう〜!