きみの唯一の死因になる



 リドルは浮き足立っていた。
 傍からするとそうは見えないかもしれない。いや、むしろ本人ですらも気付いていないかも知れない。けれど、確実に普段の彼とは違っていたのだ。

 今日は、"なんでもない日のパーティ"を執り行う。その名の通り、何でもない、特別な日ではないこの一日を祝うパーティ。祝日でもなく、誰の誕生日でもないこの日。
 今日のために、リドルはいくつもの準備を手ずから行った。今度こそ失敗などしないようにトレイに教えを請いながら、大きなイチゴをたっぷり載せたタルトを焼き上げたり、自ら会場の装飾をしてみたり、白い薔薇を艶めくような赤色に染めてみたり。
 "なんでもない日"のためのパーティを謳っておきながら、リドルにとってこの一日は特別なものとなっていた。そのことに彼は気付いてすらいなかった。それもそうだ。ハートの女王の法律を誰よりも重視する彼にとって、それに背くことは何よりも重い罪となる。気付くわけにはいかないのだ。

 そんな矛盾を抱えているなど露知らず、リドルはナイトレイブンカレッジの敷地を闊歩していた。理由は簡単だ、ひとり、この"なんでもない日"ではなくなってしまったパーティに招待したい人がいるのだ。



 リドルはその人をすぐに見つけることができた。
 監督生とグリム、それから同寮の一年生たちとともにいなくとも、彼女のことをリドルはすぐに見つける事ができる。その姿を視界に入れれば、不思議と鼓動が跳ねた。
 授業終わりだろう、荷物を抱えながら歩く後ろ姿に声を掛ける。とくりとくりと進む鼓動が、喉の奥に引っかかったようにして彼の言葉を遮ろうとするので、なんだか不恰好な声が形作られたような気がした。

「あ、ローズハート寮長、こんにちは。なんでしょう」

 振り返った彼女はひとつ会釈をして瞬いた。
 ひとつ、また跳ねる。

「き、今日は我が寮で"なんでもない日のパーティ"を行うんだ。誕生日でないなら、キミもどうかと思ってね」

 「もちろん、監督生とグリムも招待している。だから安心して来るといい」と付け加えるのも忘れてはいけない。事前の準備は万端なのだ。
 自信あり気な言葉の羅列とは裏腹に、その端々は震えていた。リドル自身、なぜはっきりと言葉を形作ることができないのか不思議ではあった。けれど、その疑問を自身に投げかける前に、がその行動にストップを掛ける。
 まっすぐにリドルを見つめていた瞳は徐々に下がり、くちびるからは「あー……」と気まずげな音が薄く伸ばされたように這い出ている。

「今日、ですよね……」
「……どうしたんだい? 言いたいことがあるなら早くお言いよ」

 心臓の淵をざわざわと撫でられるような嫌な心地がリドルを襲う。早く言えと言いながら、その先を一生聞きたくないような気持ちにすらなった。
 来たくない、と言われるだろうか。彼女が以前出席したパーティで、タルト作りに失敗し悲惨なものを提供したことなど、嫌な記憶がリドルの脳裏を過ぎった。

「あの、」

 が言い辛そうにそっと口を開く。その瞬間が、ずうっと続くかと思うほど、リドルにとっては居心地が悪かった。

「お誘いいただいたのはとても嬉しいんですが、私、今日が誕生日なんです」
「……………は?」

 たっぷりとした沈黙を落とし、ようやく捻り出した言葉は空気を多く含んでいた。パッと、脳内で考えていた何もかもが離散する。
 言葉を吐き出しながら、彼の頭はなんとか元の処理能力をわずかに取り戻した。なんでもない日のパーティ、今日、誕生日。それは、誰の?

「今日が、誰の、」
「今日が、私の、誕生日です」
「今日が、……キミの誕生日だって!?……そうならそうと、なぜ早くお言いにならないんだい!?」

 カッと血が頭に登る心地に背を預けながら、リドルは二つの点で憤りを隠しきれなくなっていた。
 ひとつは、入念に準備したパーティに彼女が来れないのだという事実。
 ふたつ目は、……こちらが最も重要だ。彼女の誕生日だというのに、自分がそのことに気付きもしていなかったこと。知りもしなかったこと。
 なぜ、と問えば、彼女はけろりと言って退けた。

「え、いや、聞かれなかったので」

 彼女の答えは簡潔だった。
 としては、今日が自分の誕生日だと言って回ることなどできなかったのだ。教えない理由もないが、教える理由もなかった。
 特に、ひとつ上の先輩にあたるリドルとは所属する寮も違えば、履修する授業も異なるのだから、タイミングがなかった。

「行けないことは、すみません。でも、嬉しいです」
「来れないのに、なぜキミが喜ぶんだい」

 不服を隠しきれず、リドルはぶっきらぼうに問い掛ける。

「誘ってもらえたから。オンボロ寮で誘われてないの、私だけだったので」

 堪えられない、というようにくちびるを緩めたに嘘はないように見えた。
 けれど、リドルとしては得心がいかなかった。

「招待に手間取ってしまったのは謝るよ。けれど、僕がキミを誘わないと思われていたなんて」

 心外だと眉をしかめる彼を見て、はすみませんと口にする。謝りながらもむくれる姿を見ると、年下のようだなとリドルに対して思った。
 けれど、これはリドルに非があるのだ。なんていったって、彼女を誘う一歩を踏み出せず、この日までズルズルと来てしまったのだ。
 監督生とグリムは先に誘いを出してしまっているのだから、勘違いされてもしょうがないことだった。

「けれど、残念だね。今日は僕手ずから、イチゴのタルトを焼いたのだけれど」
「……今度は塩と砂糖、間違えてないですか?」
「キミも存外失礼だね……今回はトレイに手伝ってもらったんだ。失態は繰り返さないよ」

 けれど、今回彼女がこれを口にすることはない。つやつやと真っ赤に主張するイチゴが溢れそうなタルトも御役御免だ。
 リベンジとしても、それ以外の想いとしても、彼女にも口にしてもらいたかったのだが。女王の法律を目の前に、リドルはくちびるを噛んだ。
 すると、突然閃いたようにが声を上げた。その顔は喜色に満ちていて、今度はリドルが瞬く番だった。

「あの、もしよければなんですけど、今晩うちの寮に来ませんんか?」
「オンボロ寮に?」
「はい! 自分の誕生日に、自分で誘うのも恥ずかしいんですけど……今日、二人が誕生日会をしてくれるんです。なので、寮長もよかったら」

 「嫌じゃなければ、用事がなければ! あ、でも忙しいですよね!?」と目の前でくるくると忙しなく言葉を並べるを見て、息を吐く。
 嫌なわけがないし、むしろこれは。胸の内に重く燻っていたものがサラリと拭われた感覚。そして、新たに胸を満たし、締め付ける何かが生まれ出てしまった。この感覚がなんなのかリドルはわからずにいる。

「いや……そうだね、お邪魔するよ。誕生日の本人に招待を受けて、行かないというのも失礼だ」
「え、嫌だったらいいんですよ……」
「……嫌じゃないと言っているだろう」

 彼女の前だと、素直にイエスを言う事がひどく難しいものに感じるのはなぜだろう。そっぽを向きながらしか、その答えを返せなかった。
 けれど、はそんなことを気にした素振りも見せず、素直に喜んだ。「やった!」という言葉ひとつで、鳩尾のあたりがむず痒く揺れる。

「それじゃあ、夜、オンボロ寮で」
「わかったよ。タルトは切り分けて持っていくとしよう」
「寮長の力作、楽しみにしてますね」

 いたずらに笑う。それからはたと気付いたように、彼女はリドルに顔を寄せ口を開いた。こっそりと秘密を受け渡すように。

「みんなには内緒にしてくださいね」

 大勢来てもらっても、お構いできないので!と、言って踵を返した彼女が風を揺らす。
 あまりにも近くでそれが揺れるものだから、リドルは息を詰めた。鼓動が駆けていく。

(……疲れているのだろうか)

 挨拶もそこそこに駆けて行ったを見送り、心中で呟く。忙しない日常の中でも、休息は取るようにしているのに。なぜだろうか。
 走って行くなんて、マナーがなっていないよ、といつも通り咎めることすらできなかった。
 考える素振りを見せながら、リドルは自分の足取りがひどく軽いことに気付いた。けれど、その理由については終ぞ気付けないままなのだ。

 なぜ、リドルが彼女をすぐに見つけられるのか。
 彼が廊下を歩き、寮に向かう間。授業の選択教室に向かう間。そのいずれもの間でリドルは、一重にの姿を探している。
 なぜ、リドルの胸中がこれほどまでに揺り動かされるのか。
 本来ならば容易に見つけられるであろう答えを、彼はきっとどれだけ手探りしたって探せないだろう。今まで出会ったことのない、知識だけでは辿り着けない答えだから。

 彼女こそ、リドルの"なんでもない日"を破壊していく大罪人なのだが。彼はひとつも気付いていないけれど。
 リドルは浮き足立っていたのだ。