花に祈るということ



「どうしたんですか、こんな遅くに」
「いえ……急ぎの用がありまして。遅い時間に申し訳ありません」

 ジェイド先輩には珍しく、笑顔の上に滲む汗がたまを作って頬を流れていた。
 夜半に差し掛かった時刻。もうすぐ日付も変わろうとしているこんな時間に、先輩がオンボロ寮を訪れるなんて珍しい。エースやデュースじゃあるまいし。
 驚きと心配が入り混じった気持ちでジェイド先輩を見る。だって、普段飄々として何事も楽しんでさらっとこなしてしまうような人が、額に汗を浮かべるほど焦ることってなんだろう。

「どうしても、さんにお渡ししたいものがあったんです」
「私に?」

 はい、と頷いて恭しく胸に手を当てる。いつものポーズなのに、なんだかまとう空気が少し違った。なんだか、緊張しているような。……あのジェイド先輩が?
 先輩が緊張するような出来事って何ごと?と私の方が緊張してくる。

「お誕生日、おめでとうございます」

 ジェイド先輩の後ろで星がちかちかと光ったように見えた。お誕生日、そう、今日は私の誕生日なのだ。
 エースたちには思いっきりお祝いしてもらったけれど、ジェイド先輩には伝えていなかったはず。好きな人に、面と向かって誕生日を伝えるのは、祝ってほしいと宣言しているみたいで恥ずかしかったから。

「フロイドが、さんの誕生日を教えてくれたんです」

 ぽかんと呆けていた私に、ジェイド先輩は困ったように、それでいて少し悔しそうに言う。

「カニちゃんに聞いたけど、小エビちゃん誕生日なんでしょ? おめでと〜」

 確かに、フロイド先輩は授業終わりにぽっと現れてそう言って帰っていった。ヌガーとかアメとか、そんなお菓子たちをいっぱいくれた。フロイド先輩がプレゼントをくれるなんて思っていなかったから驚いた。
 そうか。フロイド先輩が。お菓子だけじゃなくって、こんなサプライズまでくれるなんて、海のギャングじゃなくて天使なのかもしれない。今日限定だけど。

「あ……ありがとうございます!」
「事前に知っていれば、もっと盛大にお祝いさせていただいたんですが」
「いえ! わざわざお祝いに来てくれただけでも嬉しいですよ!」

 本音だ。まさかあのジェイド・リーチが、自分のために動いてくれるなんて誰が思うだろう。本気で喜んだ私の言葉は思いのほか大きな声で敷地に響いたので、ジェイド先輩に少し笑われた。

「いえ、一応プレゼントは用意しているんです」
「え!? マジですか、恐れ多い」
「気持ち程度の、ものですが」

 まぶたを伏せたジェイド先輩が、大切そうに差し出したのは花だった。星のような形で、月みたいに白い、かわいらしい花。
 きれい、と無意識にこぼれた。花束もきれいだし、それを差し出すジェイド先輩も。月が背中を押すように先輩の後ろで揺れている。

「ありがとう、ございます」

 花束を受け取って、きゅっと胸に抱く。茎が折れないように加減しながら、でも目一杯の思いで抱きしめてしまいたかった。

「……来年は、」

 こちらを見つめる先輩が、眉を下げつぶやく。捉えられないものを追うように、視線が私を辿る。

「いえ、その次も。もっと素敵なものを贈らせてください。けれど、今はこれが僕の精一杯なので」

 一歩、ジェイド先輩が私に近付く。いつもの人を食ったような笑顔はそこにはなくて。
 長い指先が、私の頬をなぞる。指先はひんやりとしていたのに、触れられたところから発火するみたいだった。

「これは僕の気持ちですので」

 もらってください、と念を押すように言う声は今まで聞いた中で一番やわらかかった。
 指定暴力団の面影はない。目じりがゆるんで、大切なものを煮込んだみたいな色の瞳が。まるで、私のことが好きだと言っているみたいで勘違いしそうになる。
 「では、おやすみなさい。良い夢を」と言ったジェイド先輩は、きっかり零時にオンボロ寮から帰っていった。


 翌日、錬金術の授業の終わりにクルーウェル先生に聞いた。あの花は、アングレカムという花らしい。さすが先生、なんでも知っている。
 あんな風に言われた手前、この花が持つ意味が、なんだか気になってしまって。ジェイド先輩がそんなことするワケないないと思いながらも、図書館に駆け込んで、花の図鑑を探した。
 やっと見つけた古びた本を指でなぞる。花言葉は、

「ずっとあなたのそばにいたい」

 ——気持ち程度のもの、これは僕の気持ち。
 あんなに念を押すように言ってきたのだ。まさか、と思う気持ちの方が強いけれど。
 僕の気持ちって、そういうことだと思っていいの? くちびるがむずむずと疼き出す。きゅっと力を込めないと、図書館なのに叫び出してしまいそう。胸のあたりがざわめいて、立ち止まっていられなかった。
 いただいた気持ちを動力源に、本は棚にしまいこみ駆け出した。今日はきっとラウンジにいる。まだ準備中だろう、迷惑かもしれないけれど、彼の口から本当かどうかを聞かないことにはおさまらない。

「ジェイド先輩っ!」

 モストロラウンジへ走る。額には昨日のジェイド先輩とお揃いみたいに雫が光る。
 ラウンジの外に出ていた先輩にめいっぱいの声で。私の呼び声の意味を理解したのだろうジェイド先輩は、眉を下げてはにかんだ。

「おや、……ばれてしまいましたか」

 いつ元の世界に帰るかもわからない私に、来年を、次を考えてくれたこと。アングレカムの花言葉。そばにいてくださいって、ワガママを言ってもいいのかな。
 きっといいんだろうな、だってジェイド先輩が昨日の夜、先に気持ちをくれたのだ。ジェイド先輩が花にのせた祈りを、今度は私が言葉に変えて伝えたいと思う。

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2022/06/30 ogaへ。お誕生日おめでとう!
花が咲く時期はツイステッドワンダーランドだとこの時期、と思ってください。