あなただけに揺れたい



 こんなこと、お前は知らないだろうけれど。
 ぎゅっとくちびるを引き結ぶ時がある。それは、草地に身を潜ませ機を窺う時だったり、炎神様の前に立つ時、獲物を目の前に大剣の柄を握りしめる時に。
 ——それから、が楽しそうに、嬉しそうに笑う時。
 彼女が隣に立って頬を緩ませると、どうしようもない気持ちになり全身にくまなく意識を巡らせる必要がある。それは俺にとって厄介なことではあるが、決して不快なことではなかった。
 ただ、探索を終え洞窟から出て朝日を見た時のようにまぶしく感じる。


 がウィッツトランを訪れる機会は多い。空とともに依頼を引き受けにくる、ということもあるが、その要因の多くは〝アハウに会いにくる〟というものだった。
 空やパイモンがアハウの発言や行動に気を揉む一方で、彼女は「生意気だけど、ちょっとかわいい」と言ってアハウを気に入っている。それこそ、ナタを巡る旅の中で新鮮な果物や上質な食材を手に入れる度に差し入れにくるくらいには。

「アハウ、今日はいいブドウを流泉の衆で見つけたから持ってきたよ。感想よろしく」
「お前はなかなか敬虔なやつだ! 見どころがあるぜ。どっかのバカにも見習わせたいモンだ」

 ——そうして、今日も。すこし離れた場所からとアハウの声がする。
 楽しげな様子にアハウが調子に乗ってしまうことも無理はない、と思う。身から出た錆ではあるものの、やいのやいのと言ってくる人間よりも自分を好んでくれる人間の方が心を許せるというのは自然な流れだと言えた。
 がここに来ることは、俺も好ましく思っている。だからこそ、その理由がこいつに占められていることは気に入らない、とも思う。

、いつも悪いな」
「キィニチ、ううん、こちらこそいつもお邪魔してます」

 そんなことはおくびにも出さず、ぐっと表情筋を引き締めることを忘れず、隣に並ぶ。まるい瞳がこちらを向き、やわく弓なりになる瞬間が好きだった。視線を独り占めにする、というのはこういうことを言うのかと、彼女の輪郭を辿った。

「なんだチビニチ! こいつが土産を持ってきたとわかるといつも飛びつきやがって。毎回毎回、オレへの供物を虎視眈々と狙ってやがる。なんて食い意地が張ってるヤロウだ!」
「お前にだけは言われたくない」
「なんだと! ふん、羨ましいの一言も言えない臆病者には——」
「アハウ」

 いつもよりも、ひどく硬い声が出たことに自分でも驚きを隠せない。どこまでアハウが感知しているのかは不明だが、さまざなことがこいつの口から露呈する可能性は潰しておかなければならない。

「ケッ! 揃いも揃ってこーんな逃げ腰じゃお先真っ暗だな。オイ、。こんな弱トカゲなんかやめといた方が身のためだ! こんなヤツよりも、この聖龍クフル・アハウがお前の魂をまるごともらってやろう」
「えっ」
「アハウ、いい加減にしろ」
の貢物はすべてオレに捧げられるべきものだからな。ハッ! ビビり爬虫類にやる分はねえ、指咥えて見てるんだなあ!」

 満足そうにぶどうを齧ったあと、怒りを煽るように尻をこちらに向け高笑いをしながら集落の奥へと飛んでいく。普段であれば、そのスピードを注意するところだが、周りに人も少なく危険はないので目の前のことに集中することにした。
 アハウの言葉は腹立たしくも的を得ていたし、そのなかに気になることがあったからだ。



 呼べば、俯き気味の彼女の肩がぴくりと跳ねる。悪戯がばれた子供のように、そわそわとした雰囲気が揺れている。

「……俺には、土産はないのか?」

 普段は口にしたことがないような言葉だ。冗談めかして言ったつもりだったが、思いのほか拗ねたような音が転がり落ちたので自分でも驚いた。
 実際、も同じような顔をしてこちらを見ている。まるい瞳が一回り大きくなり、自身を映していることにうっすらと優越を感じる。
 同時に、失言だったな、と口元を手のひらで覆うと、が夕暮れの実のように赤くなったり、ケネパベリーのように青くなりながら探るように口を開く。

「……キィニチ、あの、」
「すまない、冗談だ。今の言葉は気にしないでくれ」
「いや! あの、キィニチへのお土産は今回は持ってきてなかったから、今度なにかキィニチの好きそうなものがあったら、……持ってきても、いい?」
「……ああ。強請った訳じゃないんだが、からもらえるなら嬉しい」
「そ、そっか。ありがとう」

 やっと安定した顔色を取り戻したが嬉しそうに笑うので、また俺は極めて慎重に表情を作る必要があった。

「今の流れで礼を言うのは俺の方だろう。それに、アハウももらってばかりで対価を支払っていない」
「え!? いいよ、アハウにはプレゼントしてるだけだし」
「何事も代償が必要だっていうのは、前にも話したはずだ。アハウは受け取りすぎている」
「いや、違うの……これはアハウとの約束というか、だからもうすでに対価はもらってるというか、」
「約束?」

 ヒリついた声がまろびでたことは自覚していた。にもその温度が伝わったのか、慌てたように「そんな大した話じゃないんだけど、あの、うん」と希釈するように言う。
 けれど、その言葉でこの感情が軽減されることはなく、重く沈殿するばかりだ。事実、とアハウの間で、知らぬ間になにかしらのやりとりがあったのだろう。その程度がどうであれ。
 それは、あの龍の契約者としても看過できない、と理由をつけた。

「……俺には言えない内容か?」
「そ、そうじゃないんだけど……! 約束の内容は、アハウにお土産を持ってくることを条件にここに会いにきてもいい、っていう話!」
「言い淀むような内容には聞こえないが、他になにか条件があるんじゃないか? 例えば、……アハウがさっき言っていたようなことで」
「うっ」

 さっと色が抜けた表情は、肯定を示しているに他ならない。の視線が宙を彷徨う時間が長くなるほど、心の内に苛立ちが積もっていくのがわかる。さすがに魂云々の話ではないだろうが、それでも。
 情報を得ることにおいても、狩りにおいても、待つことの重要性は承知しているのに、それを蔑ろにしてでも答えが欲しいと気持ちが急いている。

「不当な契約に当たるのであれば、相応の対処が必要だろう」
「待って! まって、言うから……アハウとは本当にさっきの約束しかしてないよ。ただ、その約束を持ち掛けた理由にアハウが気が付いてたみたいで、そのことを口に出されたから焦っただけ、です」
「その理由に俺が関係しているから、お前はそんなに慌ててるのか?」

 とアハウの言葉の整合を確認して、それでも裏付けが欲しくて言葉を重ねた。アハウが言った逃げ腰の人間ふたりの正体と〝やめておけ〟という言葉の意味を。

「もう、わかってて聞いてるでしょ……そうです! アハウに会いにきてるのも本当だけど、会いたいのがアハウだけじゃなかったってこと!」

 やけくそになり言葉を綴るを見ていると、少しずつ心中が氷解していくのがわかる。あまりにも、都合が良すぎる自分に呆れてしまう。
 余裕のない、格好がつかないことこの上ないが、それは重々承知で確かめるようにもう一度だけ問いかける。正確な答えがの口から聞きたかった。ここまできて、自分から答えを出さない弱腰に、アハウに馬鹿にされてもしょうがないかと思うほどだ。

「ならアハウと約束を結んだことも俺のためだったと、思ってもいいのか?」

 頬にかかる髪を拾って耳に掛けてやると、夕暮れに色付く耳殻が見えた。触れることを拒まれずにいたことに安堵して、キッと睨まれたことにふと短く息を吐き出した。
 水の膜を張りはじめた瞳では怖さなど砂粒ほどもなく、むしろ獲物を狩る意欲が増すだけなのだとは気付いているのだろうか。

「なんで今日のキィニチはそんなに意地悪なんですかね、こんなの尋問じゃん!」

 半泣きになっているを見るのははじめてで、うるんで熱を溜め込んだ表情はこちらを煽るのに十二分の威力を発揮している。
 こんな些細なことで自身が揺らぐことが信じられず、けれどこれはそういうものなのだと、と出会ってはじめて知った。相手の一挙一動に振り回され、じりじりと心が端から削られていくものなのだと。

「……余裕がなかったからな」
「キィニチの余裕がなくなることなんてあるの? そうは見えなかったけど、……なんで?」
「友人が、あの邪龍ととんでもない契約を結んだんじゃないかと、気が気じゃなかった」
「うっ……それは、ごめん」

 素直に謝られてまうとバツが悪い。俺が感じたすべてを知らしめたいという気持ちと、できるだけ知らずにいてほしいという気持ちがせめぎ合っている。
 けれど、がいくつもの問い掛けに答えてくれたのだから、こちらだって返さなければフェアじゃないだろう。悪足掻きはここまでだ。

「半分は本当だが、残りの内容には若干誤りがある」
「えっ半分なんだ。どこが誤りなの?」
「友人、の部分が誤りだな」
「……え、私ってキィニチの友達じゃ、ないってこと……?」

 があまりにも生気の抜けたような声と表情をつくるので、今度こそ頬の筋肉が弛緩した。逆には俺の表情を見ると、先ほどの顔色は放り投げて驚いたように瞬いていた。

「キィニチが笑ってるの、はじめてちゃんと見たかも」
「……そうか?」
「うん、いつも顔を合わせる時は難しい顔してるなって思ってた。ちょっと無理してるのかな、って」

 はっとした。の前ではずいぶんと気を張っていたので、見抜かれていたことへの羞恥が襲ってくる。ずっと知られたくなくて、繕っていたはずなのに。
 けれど同時に、知ってほしかったのだとも思う。彼女のせいで、彼女のおかげで心揺さぶられているのだということを。同じくらい、が心中を乱す理由になりたいとも。

「たしかに、の前では取り繕ってはいた」
「やっぱり私だけ友達の枠から外れてるってことじゃん……」
「ある意味、そうだな。だから答え合わせをさせてくれ。言っていなかったが、……俺はのことが好きなんだ。だから、今までは友人だったがこれからは違う関係になりたいと思ってる」
「…………え?」

 真っ直ぐにと視線をあわせれば、じわじわとまた夕暮れの実のように色付いていく。そのなめらかそうな頬に言い訳をせずに触れてみたい、と思う。
 くちびるが言葉を作るのが待ち遠しく、急かすように名前を呼べば羞恥と怒りと嬉しさが混じったようにしながら潤んだ瞳で睨みつけられた。

「あんなに詰め寄っといて、今更そういうの、ずるくない!? 答えなんて分かりきってるくせに!」
「悪いとは思っているが、の口から聞きたい。あと、アハウとの約束は破棄してくれないか」
「このタイミングでいろいろ素直になり始めるのやめてよね! それにアハウの件は別にいいじゃん。もう隠す必要も無くなったから、持ってきた時にキィニチにも会えるし」
「それだと、俺が嫌なんだ」

 ——ぎゅっとくちびるを引き結ぶ時がある。それはさまざまな時に当てはまるが、直近で言うならば今だ。がアハウを気にかけ、優先する時に。
 アハウに対して嫉妬している、なんてこと、今この時まではカケラも気付いていなかったのだろう。言葉にしてしまえば、今まで胸の内にしまい込んでいたのが馬鹿みたいに思えて、「え」と零して固まったに畳み掛けた。

「お前がここに来る理由を作るなら、アハウじゃなくて俺にしてくれ。正直に言えば、あいつが羨ましかった」
「なんか、随分積極的になったというか、素直というか、押しが強いというか……! なんで!?」
「……まだ、想い人からちゃんとした回答をもらっていないから焦ってるんだ。俺はのことに関しては臆病者、だからな」

 一歩を踏み出すことができず足踏みしていたことに関しては、アハウの言うとおりだった。勇気にも種類がある。今回はどうしてもすぐに賭けに出ることはできなかった。

「それを言うなら……キィニチのことに関しては私も臆病だったなと思う。でも、答え合わせしてくれたんだから、もらったものはちゃんと返さないと、だよね」

 覚悟を決めたようにがはにかみ頷いて、ゆっくりとした動作で俺の手を取った。じんわりと伝わる熱が、その動作が、同じ温度を持つ言葉が、俺の名前をていねいに呼ぶ。渡したぶんだけ返されるというのは、とても心地がいいもので、心底いとおしくなる。
 くるくると移り変わるありのままの温度を手渡されると、わがままに振る舞いたくなる。それが許された気になる。なんて、今更だろうか。

「俺もに会いにいく。だから、も、俺に会いに来てほしい。俺をお前の理由にしてくれ」

 そこかしこに潜む感情の温度を逃さずに、約束を抱えていたい。照れながらも頷く彼女の腕を引いて抱き締めれば、朝日のようにまぶしい光がぐっと胸に飛び込んできたような感触がした。


 ——のちに、ことの顛末を知り「の魂はオレのものだって言っただろうが!」と顔を真っ赤にして吠えた龍がいたことも、その言葉に大人気なくも反論して黙らせた男がいたことも。
 そんなことは、は知らずにいてほしいと思う。