春の伝播
キィニチから「相談したいことがある。依頼を受けてくれないか」と袋いっぱいのモラを差し出された時、私はザカンの屋台でブレイズ・ミートシチューを頬張っていた。
何秒か見つめたままでいれば、キィニチの口元がもにょっと緩む。珍しくも、どこか恥ずかしそうである。
「え、わたし?」
空とパイモンを見遣り、再度キィニチに視線を戻すと彼はしっかり頷いた。な、なんだって。空ならともかく、百戦錬磨という言葉が似合うキィニチの相談に、私が乗れるとは到底思えない。
だかしかし。友人の頼みであればどうにかしたいと思うものだ。先を促せば、場所を変えたいと言うので、ブレイズ・ミートシチューを一気にお腹に収めることとなった。
「悪い。ゆっくりでよかったんだが」
「ううん、美味しかったからすぐに全部食べたかっただけ」
誇張である。「でも、キィニチは早く話したいって顔をしてたよ」と言うのは野暮な気がしたからだ。
散歩ついでに競技場下の谷へ赴き「それで」と促すと今度は素直に口を開く。いやに真剣な表情、重々しい口調は私を前のめりにする。
「ある人物について相談したい」
「ある人物……それって私も知ってる人?」
「ああ、その人の行動がやたらと目につくんだが」
誰だろう、怪しい動きをしている人物がいるのだろうか。特徴を聞くために顔を寄せるとキィニチのくちびるの端っこがくにゃりと緩み、けれど手のひらで隠されてしまうので表情の詳細を窺うことができない。
「それで、どんな人なの?」
「……美味しそうに食事をする」
「え?」
「あと、よく笑う。笑ってくれるとその日一日が満たされた気分になったり、胸の中心があたたかくなるような錯覚に陥るんだが」
「お、おお」
「俺は対価を渡せていないのに、この幸福な気持ちを受け取っていることになる。ただ、この対価がどれほどか、まだ量りきれていないんだ」
言葉を挟む暇なく、ぽろぽろとこぼれ落ちるのは告白のような言葉たちだ。全然悪人じゃない。ぴかぴか光るような眩い感情に目を細める。
キィニチ、それってさ。
「キィニチは、その人のことが大好きなんだねえ」
そうしみじみと頷いたら、キィニチは瞼をぐっと持ち上げて綺麗な虹彩を見せてくれる。まさか、という表情は数秒で明けてしまい、逡巡したあとはかちりとピースがはまったように「そうか」と呟いた。
視線が徐々に沈んでゆき、耳の端からじわじわと頬までが夕暮れ色に染まっていく。これは、はじめて恋を自覚した瞬間なのではないだろうか。キィニチの内面に触れるような瞬間を私が切り取ってしまって良いのだろうかとどきどきしてしまう。
「今の話はすべて、」
キィニチの唇がどこかむず痒そうに歪む。
「——お前のこと、なんだが」
キィニチの肌を侵攻してゆく赤い色はもう耳の端にとどまらず、ゆっくりと、彼の全身をくまなく埋め尽くそうとする。
「……えっ」
赤い色は留まらない。頬が彩られたキィニチが私をじっと見つめて、恐る恐る指先を掬ってくる。グローブのない冷えた指先から色めいた言葉が伝ってくるみたいで、跳ねる心臓そのままに心を飾り渡す言葉を探している。
さっきまで自分の中にあった感情が春の風に拐われたように一変してしまっていることに気付く。
現金ながらも、キィニチが笑ってくれたら嬉しいと、口を開こうとしているのを許してくれればいいなと思う。
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2025/03/16 HARU COMIC CITY 34
神ノ叡智24 祝星の寄る辺の無配のお話でした。
お手にとっていただいた方はありがとうございました!