ほらもうあとはきみが頷くだけ - 03
彼女のことを考える。すると、春のようなあたたかさが胸を満たしていくことに気付く。けれど、彼女が不在であった先日までは、どこかが欠けていくような過ぎていった秋とやってきた冬が鎮座するようだった。
そして、こうして顔を突き合わせて過ごせば、その時間は初夏を迎えたような眩しさに満ちていく。
俺にとって、は巡っていく季節のすべてを包含したような人間なのかもしれない。
朝陽に瞼を刺激されて目を覚ます。寝覚めがいいなと思っていれば、横でが身じろぎした。
結局、に爽やかな起床を伴った朝は訪れなかったと言っていい。
「なんでキィニチはそんなに元気そうなの……」
そう悔しそうに呟いて、また微睡の中に意識を沈めていく。布団をかけ直してやり、目元にかかった髪をそっと払ってやるとむにゃむにゃと言い始めたので自然と笑みが落ちていく。
元々の体力の差はあるだろうが、昨夜彼女に伝えたことは事実だった。の顔を見て、触れたところからふっと体が軽くなっていた。病は気から、という言葉もあるが、現金だなと自身に呆れるほかない。
寝顔を無条件に晒しているを見つめるのもそこそこに、身支度を整えてそっと部屋を出た。
向かった先の宿屋で、俺が扉を開けるより早く見知った顔が大きく体を伸ばしながら外へ。そして、こちらの顔を見るなり、空はかぱっと口を開けて呟いた。
「やっぱり!」
「やっぱり?」
「はキィニチのところにいる、ってことだよね?」
まあ、ここで俺と出会すのだから、察しのいい相手であれば話は見えてくるだろう。空はそちらにあたる。
「ああ。は一応、宿に帰ろうとしていたんだが、俺が無理やり引き留めた。まだ寝てるから、俺が伝えにきた」
「そっか、なら良かった」
「悪い、心配をかけたか?」
「そりゃ、いつも自分より起き出すのが遅いのに、いなかったらどうしたのかなって思うよ」
「ナタに着いてからずっとそわそわしてたから会いにいくのかなとも思ってたし、理由は想像がついてたけどね」と空が続けたので、半ば強制的に自宅へ彼女を留めたことへの罪悪感が募った。バツが悪くなって「すまない」と言えば、カラッとした笑顔で「ぜんぜん」と返された。
「キィニチは、今日とか明日は予定があるの?」
「いや、ちょうど詰めていた依頼が終わったところだから、予定はないな」
「そっか。じゃあ——」
空は、に言伝をすると、もう一眠りすると言って宿屋に帰って行く。の所在がわかったことで、さっきよりもゆとりのある歩調が見て取れた。
その後、帰りがけに家の前で声をかけられ、伝達士から手紙を受け取った。からの遅れてやってきた知らせだったその紙面には、しっかりと「もうすぐナタへ帰る」との言葉が残されていた。一番に知らせようという気持ちが、文字から見て取れる。なるべく感情が乗らないように強がって文字を綴った自分とは違い、の手紙はわかりやすい。当の本人にそのつもりはないだろうが、俺の希望を叶えようとしてくれていた結果が見えて、誤解が解けていく。
手紙でのやり取りだって、もちろん悪くないとは思う。だが、こうやって気を揉む羽目になるのはいただけないと感じる。
部屋に戻ると、が揺れた空気に気付いたのかゆっくり瞼を押し上げた。
「おはよう」
「おはよう……」
ぼんやりとした返答と緩やかにこちらを向く視線、目を擦る仕草が生まれたての仔竜のようだ。それから、先ほどの空の言葉を思い返し、このやりとりが日常と化しているだろう空とパイモンが羨ましくなる。
「ちょうどさっき手紙を受け取った」
「あ、まだ受け取ってなかったんだね。返事が来てなかったから、どうしたんだろうって思ってた」
「悪いな、依頼続きで家に戻っていなかったから、受け取れていなかった」
「それは全然いいよ。でも、今回は偶然会えたからよかったけど、もっと早めに会う日取りを約束しとけばよかったね」
偶然、とは言うが、実際には誰かの努力や行動が下地になっていることがある。今回であれば、が懸木の民の依頼を受け、夜に集落の中に出てきてくれたことがそれだ。何事も繰り返し、積み重ねること。
ただ、その積み重ねや運の重ね合わせのようなものは、不確かだ。本当であれば、確実なものが欲しいとも思う。
どこにいてどんな人間となにをしているのか。友人知人が多く、人の心の隙間にするっと知らずうちに入り込んでいる。例えば璃月の仙人だとか稲妻の流浪人だとか、数えればキリがない。心配がないのかと言われると、否定することはできないから。
「そうだな。だが本音を言えば、手紙のやりとりや約束なんてなくても、毎日の顔を見たい」
「えっ」
「だがそれは、今の段階ではの旅の枷になるとも思っているから、いつか、考えておいてくれ」
全てぶちまけてしまえば、案外爽快な気分だった。羞恥心なんてかなぐり捨ててしまえば、それを拾ったの方がくちびるを結んで驚き、耐えられないというような顔をする。
「う、うわ、え? キィニチ、自分が言ってることの意味わかってる?」
「いつかお前と一緒に暮らしたいと言ってる」
「うわ! 知ってる? それってオーバーキルって言うんだよ」
何度目かの悲鳴を繰り返して、が今度こそ指先から顔までうっすら肌を蒸気させる。欲深くなっているのがわかる。羨ましいと思ったものを、自分も手に入れたいと思う。
陽が昇り、朝の光に照らされた寝顔を見られること。いつかそれが俺だけの特権になればいいと願っている。
◯
「そういえば、空から言伝がある」
体力の差をひしひしと感じてしまう早朝、をとうに過ぎた時間。さっきのキィニチの爆弾発言を受け、全身から火が出そうになっているからシーツの中でも冷たい場所を探し求めていれば、キィニチが思い返したように言う。
瞬きをする。旅の仲間の名前が、なぜ今ここで?
「というか、え、空? 伝言?」
「ああ。昨日約束しただろ、空とパイモンに伝えるって。はうちにいて、まだ寝てるって伝えておいた」
なんだその「あいつ俺んちいるけど?」みたいな、全ての流れを察してしまうような言葉は。もっと、飾ってほしかった。言い訳をして欲しいと伝えたはずなのに、あまりに簡潔すぎやしないか。
私たちの関係性については周知の事実だけれど、その内情をすべて曝け出すのはあまりにも。身近な人間に知られたくないこともあるだろう。
「何その言い方、ひどい!」
「お前が、空たちに言い訳してほしいって言ったんだろう」
「ちがうよ! いや、違わないんだけどそんな率直な回答じゃなくて、〝散歩してたら偶然会って部屋に寄ったら寝ちゃった〟とか、そういう感じのフォローを期待してて」
「ある程度の予測を立てられる人間に、下手な言い訳をする方が後々恥ずかしいんじゃないか? アハウだって気付くようなことなんだ」
キィニチにそう言われてハッとする。アハウがいなくなったのって、そういう!? カッと頬に熱が灯る。昨日から今日にかけてのこの展開を、アハウが事前に予期していたとなると、話が違ってくる。アハウにさえ気を遣われている(のかどうかは定かではないが)のだから、パイモンはともかく、空が気付かないはずがない。
顔の上でクク竜が燃素を捏ねているのかもしれない。そのくらい肌が熱い。
「二人にあわせる顔がない」
「空は、何日かここでゆっくりしたらどうか、と言っていたが」
「数日じゃこの恥ずかしさは消えないよ!」
「なんだ、じゃあ帰らないのか?」
く、と喉を震わせて笑うキィニチに対して反感を覚える。悲鳴のような情けない声が出た。
「キィニチのせいじゃん!」
「なら、ずっとここにいればいい」
さっきから立て続けに与えられる衝撃に、毎回受け身が取れずにいる。真剣な瞳はまっすぐ私の方を向き、その言葉に嘘偽りはないと告げている。けれど、私が返事をする前にふっと笑ったキィニチは「冗談だ」と軽やかに言うのだ。
「……冗談なの?」
「冗談にしなくてもいいが、困るのはじゃないか?」
「それはそうなんだけど……ちなみに、冗談にしなかった場合、どうなるの?」
「そうだな」
ふむ、と考えるそぶりをしたあと「が次に旅立つ時、泣き喚いて駄々を捏ねるかもしれないな」と真面目な顔で言うので堪えられずに笑ってしまった。キィニチがそうする姿は現実味がない。
「まあ、冗談だ」
「どれが冗談!?」
「泣き喚く方だな」
「えー……でも、泣き喚いて駄々を捏ねるキィニチ、ちょっと見てみたいよ。ちょっと待ってて、想像してから回答するから」
「想像するな」
「それに、そんなことを判断材料に入れるな」と眉を顰めて、額を小突かれた。大した威力はないその指先に対して大袈裟におでこを押さえて倒れ込んでみる。興が乗ったのか、キィニチがそのあとを追いかけてきたので、二人してまたベッドの上に転がることになった。
白い陽射しが窓から射し込んで、布団にくるまった私たちを照らしている。あたたかな朝は、どこか幸福に満ちている。
「そういえば、まだ言ってなかったな」
「なにを?」
「おかえり、」
それは、キィニチの先ほどの言葉を冗談にせず、希望を現実にいつかは落とし込んでいきたいという表明に思える。ここは帰ってきていい場所として私に明け渡されていて、私もいつかはキィニチに「おかえり」を言うのだろうかと想像する。
「うん。ただいま、キィニチ」
旅の終わり、目に映してきたすべてについて、手を握りながらもしくはこうやって布団に包まりながらでも聞いてほしいと思う。
朝起きたらいちばん最初に「おはよう」を言い合って、一緒にご飯を食べて、依頼をこなしたり友人に会ったり散歩に出かけるのもいいと思う。それでも最後は、温度を分け合いながら眠りにつく。
そうすれば、いつでもきっと未来はしあわせに満ちていると信じている。日常はいつも隣にあり、寂しさもまたその一部だと、いとおしく思える時がきっとくる。