とろり、いちばんぼし - 01



 神様はずるい。人間を設計するなら、心の中にふと生まれた恋にも愛にも、消費期限を設定して欲しかった。そうすれば、もしかしたらとか、本当は、なんていう砂つぶのような可能性に縋らなくて済んだ。
 すでに終わりきっていると知っていて、それでも手の中にぎゅっと握り込んだ気持ちがどれだけ惨めで熱く残るか神さまはきっと想像したこともない。
 そこですうっと気持ちが消えてくれたなら、未来は明るく星のように光ったと思う。
 ——でも、そんなものはどんなに望んだって私の体には搭載されていないんだから未来はどん詰まりだ。あーあ、ふざけんな人生!


 幼馴染に恋愛感情を抱くなんて、少女漫画の中だけにしてほしい。
 暇を持て余した蘭ちゃんに呼ばれた私はディナーという名目で恋愛事情聴取を受けていた。もちろん、お代は蘭ちゃん持ちで。なお、竜胆は仕事のようで。
 とは言っても、頭を抱える私を見て蘭ちゃんはケラケラと笑っているだけ。昔からのお決まりの流れ。警戒色の三つ編みから、瞳と同じ色のオールバックに髪型を変えてからもそれは続いて。
 いっそ「兄のオレから見ても脈ねェからやめとけ」とか「ハンシャと恋愛とかマジで言ってンの?」とか鼻で笑い飛ばしてほしいのに、そんな優しさを蘭ちゃんは持ち合わせていなかった。幼馴染だとしても、蘭ちゃんのやさしさは割り振られない。
 ——竜胆が好き。ずっと昔から変えられないその事実は、日を追うごとに胸をじくじくと痛ませる。
 ハー、とひとしきり笑い終わった蘭ちゃんがグラスを手に取る。

「毎回進展なさ過ぎてウケる。いい歳して不器用すぎねェ?」
「うるさいな。しょうがないじゃん、拗らしてんの!」
「オマエ、それ自分で言う? 別に恋愛したことないワケでもねェのに」
「そりゃ、そうだけど。そうなんだけど!」

 彼氏を作ったことはある。何度だって。竜胆が学校で一番と噂の美少女と付き合った時も、モデルのような美人の腰を抱き六本木を歩いていた時も、クラブで「こいつらが主役だ」と射すネオンの下で美女とキスをしていた時も。私にだってしっかり、私の手を引いてくれる人はいたのだ。
 それでも、竜胆を好きでいたことを思い出すのは、古ぼけた写真を引っ張り出すのと同じようなことだ。箱の底にしまい込んで忘れられそうになっても、一度視界に入れてしまえば、春が一気に芽吹くみたいに色付く。
 他の誰かへの想いで覆い尽くそうとしたって、うまくいった試しがない。誰かを好きになれるかも、と思っても誰かが私の古びた箱をつついて存在を突きつけるから、その関係が長続きしたことがなかった。
 想いの終着点を探したい。あたらしい始まりを手繰って、今度こそ真っ直ぐに見つめあえる人と一緒にいたい。見つめ続けることに、諦めを覚えている。

「なに、チャンは口説いてくる男の一人もいないワケ?」
「……ノーコメントで」
「ハア?」
「こわい声出すのやめてよ! まだ口説かれてはいない、はず」

 この灰谷兄弟と幼馴染というだけで、まるっと一般人の私は、反社会的勢力とは無関係のよくある一般企業に勤めていて。職場には男女ともにいろんな人がいるから、よくしてくれる人の一人や二人いるだけで。
 これは竜胆とのことにも当てはまるけれど、身近にいる人との関係を変えるのは不安だし、リスクが大きい。リセットボタンを押してまっさらな状態に戻れるわけもないんだから、いろんな意味で慎重にもなる。
 動揺した私へ呆れたような視線を寄越す。カチャン、と蘭ちゃんのシルバーが音を立てる。

「つーことは、男はいるワケ」
「仲良くしてくれる人は、まあいるよ」
「……ソイツと付き合わねェの?」
「まだ、わかんない。でもこのままじゃ結局、今回もダメになるんじゃないかって思うから、困ってるんじゃんーっ!」

 ヤケクソでお高そうなフィレ肉にナイフを入れた。あらくれの気持ちをなだらかにする前にさくっと切れてしまうので、蟠る気持ちはそのままに。
 お肉は美味しく、口の中からとろりと消えていく。私の気持ちも一緒に滑らかに胃に落として消化してほしい。
「竜胆の前でもそうやって騒ぎ立ててみりゃいいじゃん」
 人間の唇って、こんなに綺麗に弧を描くんだな。そう思わせる蘭ちゃんは、こんな悩みなんて抱えたことはないのかもしれない。

「それができたらこんなに拗れてないよ」
 そんな思い切った行動ができるのは、無謀な人間か自分にしっかりと自信のある人間だけだ。そう、蘭ちゃんや竜胆みたいな。
「えー、そういうもん?」
「そういうもん」
「ふうん」

 聞いてきたくせに、興味がなさそうで笑えてくる。蘭ちゃんといると取り繕わなくていいから楽だと思う。
 だからこそ、自分のダメなところもじわりと滲んでくる。

「……でもね、」

 ゆっくり瞬く。何度も思った。ここに辿り着くまでに、何度も。
 竜胆から定期的に来る連絡、たまにご飯に行く時の軽口。案外幼い笑った顔。穏やかな空気、あんな仕事してるくせに身近な人間には優しいところ。
 彼女の話をするときに瞳に宿る熱の色。きれいな女の人と誰もが知っている六本木の高級ホテルへ消えていった後ろ姿。その人の肩を抱いて頬に口付ける仕草のこと。寄せては返る波のように、瞼の裏で比べてる。
 私はその感触を知らないのに、竜胆がそんな時にどんな表情をするかは知っていて。

「もう、さすがに潮時なのかなあ、とも思うんだよね」

 そういうのって、流石にもう辛いんだよなあ、って。
 視線が刺さる。ひどい顔をしているのかもしれなかった。竜胆とは来たこともないホテルの高層階から望む、ダイヤを砕いたような夜景。そこに映る表情はいびつで不釣り合い。

「……こんなんだと、いつ横から掻っ攫われるかわかんねェなあ」

 視線を外して言う蘭ちゃんは意地悪だ。私が他の女の子から竜胆を奪えた試しなんてないのに、そんなことを言って追い詰めてくる。
 でも、これが私の欲しかった言葉なのかもしれなかった。諦めどきだよ、って言外に。私以外の女の子でその席はもう、ずっと先まで埋まっているんだって。
 知ってる。昔からずっとそうだった。蘭ちゃんも竜胆も、そうしようとしてもしなくても人を誑かすのがうまくって嫌になる。
 そう、テーブルの端でうるさく鳴り続ける蘭ちゃんの携帯だって、どうせ女の子からの熱烈ラブコール。竜胆の携帯も、同じように鳴ることを私は知っているのだ。