赤い糸の悪魔



 髭切という刀はとても不思議な男だった。人を寄せ付けないような雰囲気を纏っていたかと思えば、柔和な笑みで惹きつける。それが現実味がない存在に思えて、少し怖くなる。まあ、刀が人の形をとっていること自体が現実味のない話なんだけれど。
 そんな彼が本丸に顕現したのは刀剣たちもだいぶ集まってからのことで。「さあ、主!兄者だ、顕現を!」と語気を強くしながら刀を差し出したのは膝丸だった。追い求めていた自分の兄が見付かったのだ、それは嬉しいだろう!と私もその気持ちに応えようと早急に顕現した。

「君が今代の主で………ありゃ?」

 顕現して第一声を途切らせた彼は、影を落としそうな程に豊富な睫毛をしぱしぱと何度も上下させた。私の姿を上から下まで見ながら。何回か往復させた視線、それからガン付けるように睨むもんだから、負けるもんかとこちらも視線は逸らさない。相手は神様だ、けれどこういうのは最初が肝心だから舐められちゃ駄目だ!という意味のない気概を私は発揮した。怖いもの知らずにも程があると自分でも思う。
 何故かわからないけれど、一触即発な空気。それをぶち壊してくれたのは、兄者顕現に打ち震えていた弟、膝丸だった。誉を取った時の如く花びらを散らせながら彼は大声で言う。

「兄者!!会えて嬉しいぞ!!」
「ああ、雛丸。僕も会えて嬉しいよ、元気にしていた?」
「俺の名前は膝丸だ、兄者!」
「ん?ごめんごめん、秀丸だね」
「兄者!!!!」

 私は何のコントを見ているんだろう。物覚えが悪いというよりは耳が悪いのでは?と思いながら、二人を見遣る。髭切は先ほどの睨むような視線を溶かしてしまって、優しげな笑みを浮かべている。
 刷り込むように膝丸が自分の名前を言っても、結局髭切は一度も正しく呼んでやることはなかった。もはや耳が悪いわけでもなく、ただ遊んでいるだけな気もしてきた。
 それでも膝丸は、明日にはちゃんと呼ばれるかもしれないと期待に胸を膨らませている。私はその可能性は限りなく低いと思う、でも言わないでおく。キラキラとこれからの「兄者がいる生活」に浮かれている彼に現実を突きつけるのは居た堪れないから。かわいそうな弟である。
 「それでは本丸を案内するぞ!」と髭切を先導する膝丸を余所に、髭切は私の方にくるりと向き直った。なんだ、まだやんのか! 喧嘩なら買うぞ!と思っていれば、彼は先ほどの鋭い視線なんてケロリと忘れてしまったように私の頭をポンポンと撫で、

「ふふふ、これからよろしくね。主」

 にっこりと笑顔を浮かべたのだ。その笑顔が本物かどうか、私は未だに判断できずにいるのだ。


「兄者が?それはないだろう。君のことはよく話しているし」

 髭切の二面性のようなものに、私はほとほと困っていた。というか、ちょっと怖がっている。喧嘩なら買うぞと意気込んでいた割に、自分でも弱っちいと思う。でも、毎度繰り返される彼の意図のわからない行動は私の気持ちをぐいぐい嫌な方向に引っ張っていく。膝丸に話をしてみたものの、彼は首を捻るばかりだ。
 髭切は顕現した後、この本丸通例行事として近侍を務めてもらった。本丸に馴染むための手っ取り早い手段である。普段の彼は穏やかで、あんな不躾な視線を寄越したりしない。むしろすす、と私に寄ってきては緩やかに口元を綻ばせる、その様子は優男である。
 けれど、ふと、たまにあるのだ。例えば庭に出た時、例えば万屋に連れ立った時、例えば政府の会合に出席した時。
 私の指先を見つめて、その後そっと視線を外す。そして、どこか不機嫌な顔をして自分の手を覗き込むのだ。何かを探すように彼は手のひらと甲を繰り返し見続ける。何も見つからなかったのだろう、諦めたようにふいっと顔を背けて何処かへ行ってしまう。

「なんなんだ……」
「俺にも分かりかねるが……だが心配することはない。むしろ気に入っているくらいだ」

 膝丸の言葉を信じないわけではないけれど、と唇をひき結んだ。まあ、普段は平気だし気にしないようにしよう。それが一番だ。
 けれど、それが嘘のように解消されたのは演練に彼を連れて行った時である。その日当たったのは何度か会ったことのある先輩の審神者さんだった。

「今日はよろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしく頼むよ」

 演練を始める前の通例となっている握手をして、自分の刀たちの元に戻れば髭切は瞳をこれでもかと覗かせていた。月みたいな色の瞳がなぜか喜色に濡れていく。
 その日、髭切は類を見ないほどの勢いで相手の刀剣たちを薙ぎ払った。双方がポカンとしてしまう程に、一方的にそれは終わる。「す、すごかったねぇ」と相手方が言うので、私は呆然としながら謝罪とお礼を言うことしかできなかった。ずっとニコニコと笑顔を消さない彼に、私は胸騒ぎしか持ち帰ることができない。なんかこわい。

「主、主。ねぇ、」

 本丸に帰ってくるやいなや、彼は私との間にある虚空を斬るように刀を一度振った。ぎょっとする私。それから、それはそれは晴れやかな顔をしてこちらにやってくる。私からしてみれば、何してんだあんた!という気持ちになってしまう。何もないのに刀振り回すと危ないでしょ! 言って聞く刀でもないけれど、無闇に刀を振り回してはいけません。
 側にやってきた髭切は私に顔を寄せ、こつんとおでこを合わせた。唐突なことに対応できない私に、彼はにこやかな表情を作り、何かを掬うような仕草をした後人差し指と中指で

「ちょっきん」
「は?」
「うふふ」

 何かを切ったように見える。ハサミに見立てた彼の指が空中で何かを切ったように。とても満足そうに笑う髭切の意図が分からず、後ずさる。

「な、何してんの?」
「いやあ、今日はいい日だねぇ。相手が誰だかわからないと切れないから」
「ちょっと、」
「見付けるだけじゃなくて、ちゃんと切れたし。良かった良かった」
「良くないんですけど!ちゃんと説明してもらいたいんですけど?!」

 こいつ怖くない?! 切るって何切ったの?! 私の頭の中はパニックである。けれど、誰かに、何かに危害を加えた訳ではないと思うから少し安心もしている。だって、今まで髭切はほとんど私と一緒にいたのだから。誰かを傷付ける隙もないだろう。
 私の混乱を他所に、髭切はぽややんとしたいい笑顔を携えながら近付いてくる。やっぱなんかこわい。

「僕はね、みんなには見えないものが見えているみたいでね」
「見えてないもの?」
「そう。うーん、分かりやすい言い方で言えば“運命の赤い糸”なんて言葉を君たち人間は使うかな?」
「…………は?あ、赤い糸ぉ?」
「おや?もしかして、信じてない?まあ、それでもいいんだけど、君のが……誰だかわからないやつに繋がってたから、切ってしまったよ」
「きってしまったよ?」
「うん」

 自本丸にヤンデレ属性を入手した! テッテレー。無機質な音楽が頭の中を流れていく。そんな厄介な属性いらん……全然いらないよ……私がそんな表情を表に出しても髭切は変わらず口角を上げている。嬉しいらしい。
 私はまじまじと自分の小指を眺めてみる。自分の小指の先からぷらん、と垂れているであろう赤い糸。私にはそれが見えないけれど、切られてしまった行き場のない糸の先があるのだろう。なんて事してくれんだこいつ。本当にあるかもわからない架空の話ではあるけれど、私はその先に繋がっていた運命の人を失ったらしい。先輩だったらしいけど。別に恋愛感情もなかったけど。
 ていうか、まずなんで切ったんだこいつ。疑問をそのままぶつければ、逆になんでそんな事聞くの?みたいな顔で返された。最初から説明してほしい。「うーん?あんまり伝わってないのかな?」と首を捻った後に、彼は自分の秘密を打ち明けるように耳に唇を近付ける。

「君のやつ、僕に繋がってないからなんだか面白くなくて。そりゃ刀に繋がっていたらそれもそれで驚いちゃうけど」
「えっ、でも髭切、そんなに私のこと好きじゃないんじゃないの?」
「ありゃ?誰がそんなこと言ったんだい?むしろ気に入っているくらいなんだけど」
「まじか」
「でもねぇ、だからこそ嫉妬なんてしちゃうとほら、鬼になっちゃうから」

 私の頬を両サイドからぶにぶにとやりながら笑う。それから「……解決策をね、思い付いたんだよ」とゆったり話す髭切は楽しそうだ。好かれていたらしい、膝丸の言っていたことは本当だったのかと少し思い返してやめた。目の前の彼に集中しないといけない気がしたからだ。
 楽しそうにしているのはいいことだ、でもなんだか、胸がざわざわと騒ぐ。ゆっくりとその細い指先を近付けてくる髭切を交わすように距離を置く。

「待ってよ主、繋ぎ直すから。そんなフラフラした状態じゃあ、おちおち寝てもいられないから」
「待って、え?待って、誰と繋ぎ直すの?」
「ん?ふふふ」
「笑ってる場合じゃない!」
「まあまあ、僕が鬼にならないためにもほら、繋ぎ直そう、主」

 こっちに来い来いと、髭切は手招きをする。その仕草がまず怖い。こいつが鬼になっても怖いけれど、繋ぎ直されてどうなるのかも怖すぎる! そんな気持ちに急き立てられ、私は見えない糸を、見えないなりに手繰り寄せて脱兎のごとく駆け出した。後ろから「ありゃりゃ」なんて声が聞こえるが構ってなんかいられない。

「主はよほど僕のことを鬼にしたいんだねぇ」

 クスクス笑いが聞こえる。後ろは振り返るな! 前を見ろ! 振り返ったらすぐそこに髭切の顔が……とかありそうで怖い。やめて。
 後を追ってきている彼は、太刀なのに中々の速さでこちらに向かってくる。そりゃそうだ、刀種がどうだと言っても、その前に男と女である。しかも、普段体を動かしている男と然程運動していない女である。こんなことなら短刀との鬼ごっこくらい付き合っておけばよかった。
 そんな地獄のような追いかけっこの末、わかった真相は髭切が呟いたこの一言に尽きる。ほんとこわい! 超こわい!

「さて、繋ぎ直そう?と言ってはみたけど、もう繋ぎ直してあるんだ。さて、繋ぎ直したのはいつでしょうか?」

 事後報告にも程がある。勘弁してほしい。