うそつきの美学



 髭切は、私をよく怒らせる。掴み所はないし、たまに怖いし、すぐ物無くすし忘れるし。近侍にしても、髭切の気分次第で引っ張り回されたりする。
 けれど、彼は私を悲しませることだけはしないのだ。少なくとも、私はそう認識している。


「うわぁ、やられた」

 しとしとと雨が地面を叩いていた。本丸から久々に実家に顔を出した帰り道、現世と本丸までの道のりを繋ぐ境目にて。私は雨に降られていた。
 本丸は現世とは隔離された空間にあるため、向こうが晴れでもこちらはわからない。現世の天気予報しか見なかった自分を責め立てたい気分だ。折りたたみ傘くらい持ってこいよ! 私!
 とは言っても、そんなことをしても現状は変わらず。困った。このまま帰るのは流石にまずいし、傘を買いに行くにしても店に行くまでにずぶ濡れになりそう。どうするかなぁ、どこか時間潰せるお店とかでもあればいいけど、と息を吐いた時だった。
 トントン、肩を細く叩かれて振り返る。そこには、小首を傾げふんわりと笑みを湛える私の近侍がいた。

「やぁ、主。迎えに来たよ」
「……え?髭切?!」
「ありゃ、どうしたんだい?そんなに驚いて。鬼でも出たのかい?」
「出てない、出てないけど……いや、だって髭切、ここの場所よくわかったね?」
「ふふふ、うん。繋がっているからね」

 嬉しそうに笑う髭切に「ああ……そうね……」と適当に返す。先日、繋ぎ直したという“赤い糸”とやらを辿ってきたらしい。でも結局のところ、私には見えない訳なので本当に繋ぎ直されたのか、むしろ最初からあったのかも怪しいところだ。このやりとりも、だいぶ使い古されてきたので返事が適当になるのも致し方ない。
 でも、ちょうどよかった。傘無しで帰って、みんなにドヤされるのは勘弁願いたい。優しさからくる言葉だと分かっていても、雷付きだとやっぱり怖いしね! さて帰ろうか、そう思ってから気付く。髭切の腕やら後ろのポケットあたりをぐるりと見回してもない。無いのだ。傘が、髭切がさしている傘しか。嫌な予感がして、口を開く。

「……ところで、傘が一本しか無いけど」
「ありゃ?」

 私がいつも使っている傘はそこには無く、黒い少し大きめの傘が一本だけ。男性用だ。ぐーぱーぐーぱーと、髭切はその手に持っていたであろう傘の存在を探して小首を傾げる。かわい子ぶったって無駄だぞ……! お気に入りの傘だったのに!

「まじか!あーもう!誰だよ、髭切に迎え頼んだやつ!」
「しょうがないなぁ、色んなところに寄り道したからね。きっと、傘に足が生えたんだ。行きたいところに行ってしまったんだねぇ」
「行ってしまったんだねぇ、じゃないわこの忘れん坊!」

 ぼすぼすと髭切の胸を叩いても、何ともなさそうに彼は笑う。しかも悪びれもしないし何だこのやろう! あの傘はちょっとお給料が良かった時に、清光と乱と選んだやつだったのに!
 私が喚くように言えば、少し考えたらしい。ふむ、と一つ頷いてから、髭切は私の手を強く引いた。拍子に、大きめの黒い傘が揺れて雫を地面に落とす。私を傘の中にすっぽり収めてしまってから帰り道の提案がされる。

「うんうん、じゃあ、僕が通ったところを通り直して帰ろう」
「自分の来た道覚えてるの?覚えてるように思えないんだけど!」
「うん?大丈夫だと思うけど」
「どうかなぁ」
「信用がないなぁ、よしじゃあ行ってみようか」

 語尾が跳ねそうな声で髭切は出発を告げる。ゆっくりとした足取りで、私が傘からはみ出ないように気を遣ってくれているらしい。そういうところはフェミニストというか、なんというか。あとは物忘れさえ直れば、膝丸も私も喜ぶんだけどなぁ。そんな気持ちを込めて、視線を送っても彼は涼しい顔で微笑んでいた。


 まず最初に辿り着いたのは、三人並んだお地蔵さん。三人に視線を巡らせて「やぁ」と言う髭切に何が見えているのかは聞かないことにする。私もお辞儀をしたけれど、傘はない。
 次はとても大きな木の根元、名作アニメの森の主でも住んでいそう。何もいない場所に向かって「ありゃ、そんなところにいると濡れてしまうよ」なんて言うから、本当に森の主がいるのかもしれない。けれど、そこにも傘はなかった、しかも髭切はここで何してたんだろうか。その次は猫の溜まり場、その次は寂れてしまったバス停。あと、川沿いの橋、晴れていたらもっと綺麗なんだろうなと思うような、花畑とか。
 それから、少し道を逸れた場所にある茶屋にも寄った。随分いろんなところに寄り道をしながら迎えに来たもんだと思う。お団子を摘みながら「茶屋にも寄ったの?」と聞けば、「うん?」と首を傾げられた。うん?じゃない。寄ってないならなぜ来た! もちろん傘の忘れ物はなし、なんたってここには髭切は寄らなかったから。
 結局、傘は見つからなかった。本当に足が生えてどこかへ行ってしまったんだろうか。付喪神がいるなら妖怪だっているかもしれない、唐傘お化けになってしまったんだろう。肩を落とす。

「本当、どこに忘れて来たのさー」
「うーん、どこだろうねぇ」

 その話題にもう興味はありません。みたいな顔をする髭切が子憎たらしい。そりゃあんたの傘じゃないけどさ。失くしたのはあんただよ!
 一定間隔で髭切の横腹を小突きながら、帰り着いた本丸。小突かれることの何が嬉しいのか、彼は終始口元も瞳も緩ませたままだった。たまに仕返しのように突かれたりもしたけれど、何にしても奴は楽しそうだった。
 玄関に入って髭切がゆっくりと傘をたたむ。パタパタと床に雫が跡を残していく。そんな小さな音を消すかのように「ありゃ、」と横から声がして、彼を見遣る。その視線の先には傘立てが、その中には私の傘がしっかりと刺さっていた。え? あれ? 本当に? 唐傘お化け? 自分の持ち物がお化けになったかもしれないけれど、失くなっていないのはやっぱり嬉しくて声が跳ね上がる。

「あ、あった……!」
「むむ、足が生えたからちゃん自分で帰って来たみたいだね」
「髭切より帰巣本能ちゃんとしてるんだ……」
「僕がよく迷子になるみたいな言い方はやめてほしいなぁ」
「いや、よく迷子になってるでしょ!」

 自分の胸に手を当てて思い出してみて! ついでに、自分の弟の名前とかも思い返してから呼んであげて欲しい。迷子になったことも、膝丸の名前もイマイチ思い出せないらしくて、髭切はうーんと唸った。
 そんな風にしていれば、バタバタと床をふみ鳴らす音がした。私たちの騒ぐ声を聞きつけて、足早に膝丸がこちらにやってきた。髭切と私、二人の間で視線を行ったり来たりさせてから口を開いた。彼は安心したように笑う。

「なんだ、兄者。主を迎えに行ってくれていたのか」
「うん、そうそう。近侍だからね、務めを果たそうと思って」
「てっきり、俺はまたふらっとどこかへ遊びに行ってしまったのではないかと肝を冷やした。傘も一本しか持っていなかったものだから」
「……ん?」
「ありゃりゃ?」

 傘も、一本しか、持っていなかった? おやや、なんだかおかしいぞ?そう思い、ぐるりと勢いを付けて髭切を振り返る。すると、「バレてしまったねぇ」なんてにこにこと笑顔を湛えてこちらを見ている。本当悪びれないな!
 お化けは傘じゃない、この男が吐き出す言葉たちだ。一言言ってやろうとすれば、言わせるか!と阻止するがごとく、髭切は私の頬を摘んでもにもにと揉みだした。柔らかい指先に私は何も言えなくなる。

「怒らない怒らない、ね。ふふふ、ちょっとデートしてみたかったんだ、許して欲しいなぁ」

 今度は晴れている時に行こうね、なんて呑気に言うこの優男に、私は絆され始めているかもしれない。赤い糸効果か? 嬉しそうに笑う髭切から逃げ切れないような気がする。もうダメかもしれない。