よろこびを満たして
部屋に二つ敷かれた布団の一つの中で目を覚ます。瞼を上げれば、日差しが飛び込んできて自分が人の形を取っているのだと再認識した。眠りについて目が覚める、そんな、人としては当たり前というべきことが、顕現したての僕からすれば真新しい出来事だった。
時計を見れば、短針は六を指していた。普段ならきっと、お米が炊ける香りとかそういうのが漂ってくるんだろう。昨日のどんちゃん騒ぎの中で、燭台切さんが話していたことを思い出す。
「この本丸の朝ご飯はみんな揃ってなんだけど、大人数だから作るのも大変でね。堀川くんが来てくれたし、慣れたら手伝ってくれると嬉しいな」
確かに、この本丸には僕以外の刀剣は揃っているようだったし、大所帯も大所帯だ。昨日なんて歓迎会と銘打っているのもあって、とても豪勢な食事だった。人の形を得て、食事を摂る。刀剣男士に食事は必要なのだろうか?と最初は疑問もあったけれど、用意してもらった食事を口にしてみれば、そんな疑問なんて豪速球で投げ出せた。
とても、とても美味しくて。体に染み込んでいくような感覚と、もっと口にしたいという思い。これが美味しいってことなんだなと思った。こんなに美味しいものを、僕も作っていけるだろうか。いや、持ち前の器用さがあるし、お手伝いはお手の物だから大丈夫なはずだ。必要としてもらっているのだから、頑張りたい。
燭台切さんの話の通りだと、普段はもう食事の準備が始まっていそうだけれど、今日は昨日のお祭り騒ぎが尾を引いているのか、本丸の中はしんと静まっていた。身を起こして、体を伸ばす。血液が巡る感覚と関節から響いた音に、少し驚いた。
「……なんだ、国広。早いお目覚めだな」
「あ、おはよう、兼さん」
兼さんは起きあがって大きく欠伸をしてから、僕と同じように体を伸ばした。あー、と気怠げな声を出しながらも、そうすることによって体が起き出したようだった。そうか、自然に僕もやっていたけれど、そうすることによって人の体は眠りから這い出せるらしい。
「昨日はすごかったな、流石の俺もくたくただぜ」
「いつもはあそこまで賑やかじゃないってこと?」
「ああ、飲むときはとことん飲むのには変わりはねぇんだが……昨日は気合の入り方が違ったな。まあ、みんなお前が来て嬉しいんだよ」
「そっか……それはすごく嬉しい、なあ」
昨日の余韻がじん、と胸を占拠していく。このあたたかさはどこに溜まっていくんだろう。嬉しいことがある度に、こんな風に胸がぐっと苦しくなるんだから、心臓に溜まっていくんだとしたら僕の心臓は破裂してしまうんじゃないかって心配になる。まだ顕現して二日目なのに、心臓が破裂して消えてしまうなんてことになったら、たまったものじゃない。
何か僕もお返しができれば、この溜まったあたたかさを誰かに渡せるだろうか。僕がやれることといえば、刀として戦場に出ることと、やっぱりお手伝いだと思うんだけど。
「あのさ、兼さん。昨日あれだけ歓迎してもらったし、僕も早くみんなにお礼がしたいんだ。出陣したり、もちろんお手伝いも」
「ああ、もちろんお前にもいろいろやってもらうぜ。ただ、主からの言伝でまずは人の体と本丸に慣れることからって言われてるからな」
「主さんから……」
「まっ、今日はこの本丸の案内をするってことになってる。だから、明日俺が主に言っておいてやるよ。“国広が早くお手伝いがしたいって言ってたぜ”ってな」
「うん、ありがとう兼さん。さすが、頼りになるね」
「まあ俺もこの本丸に顕現して、だいぶ経ってるからな。それくらいはお手の物よ」
快活に笑った兼さんに僕も同じものを返す。人の体に慣れて、本丸にも慣れる。確かに、刀として主に扱われるのと、人の体で自分が刀を振るうのとでは勝手が違う。役に立てるようになる一番の近道は、主さんと兼さんが提示してくれている道筋なのだろうと思った。
それから、本丸の案内をしてもらうために顔を洗ったり身支度をした。僕は特別なことをすることもないからすぐに支度が終わったけれど、兼さんはそうもいかない。長い髪を纏めようと四苦八苦していたので、ここは僕の出番だなと思って申し出る。
「悪りぃな、国広」
「ううん、全然。これくらい、僕がやるよ。でも、今まではどうしてたの?」
「あー……今までは自分でやったり、清光やら乱がいじってきたりだな……」
「兼さん、そういうところあんまり器用じゃないもんね」
「いや、違ぇ。あいつらがやりたそうだからやらせてやってただけだ!まあ、あいつらは器用だからいいんだが、主がなぁ」
飛び出してきた“主さん”という言葉で、花が咲いたように笑う表情が脳裏に浮かんだ。昨日の雪崩のために、まだあまり話したことのない彼女。清光くんと乱くんは器用だけど、主さんは器用じゃないってことかな? 思い返していれば心臓がまた音を立てたので、驚いて兼さんの髪を変なところに引っ掛けてしまった。「イデッ?!」と声があがる。わ、ごめん兼さん!
「流石に、まだ人の体には慣れてないみたいだな」
「ごめんね、兼さん。そうみたいだね、もうちょっと上手くやれるようにするよ……と、できた」
「おう、ありがとよ。まあ、主の下手さに比べれば些細なことだぜ?あの人、細かいこと苦手なんだよなぁ」
そう言って、呆れたように言う兼さんの唇はまんざらでもないと語っている。下手でも、主さんにそうしてもらえるのが嬉しかったんだね。そう思って、穏やかな気持ちになる。それと、胸の中に少し軋むような違和感を覚えて首を傾げた。
「よぉし、本丸の案内と遅めの朝飯といくか。今日の動き出しは遅いが、当番のやつらもそろそろ支度をし始めてるだろ」
仕切り直すような声に、ハッと我に帰る。そうだね、案内よろしく、兼さん!と返事をすれば、満足そうに頷いた。
本丸の案内は着々と進んでいった。清光くんと安定くんの部屋や粟田口の大部屋を通り過ぎて、鍛刀部屋、手入れ部屋、お風呂にトイレ、歌仙さんの茶室、石切丸さんの祈祷部屋、鍛錬場、最後に炊事場を通って広間に着いた。広い、だいたいは覚えたけれど迷わないかなと思った。さすが大所帯を抱える本丸だ。
その後、二日酔いのみんなのために、優しさが込められた軽めの朝食をとった。お味噌汁はしじみらしい。二日酔いの時はコレなんだ、と燭台切さんが困ったように笑いながら話してくれた。覚えておこう。今日のご飯もとても美味しかった。
全員が食べ終わったのを見計らって、主さんが「ご馳走様でしたー!」と満足そうに言った。みんなも僕もそれに倣う。たくさんの刀と一緒に朝食を食べるということもあって、彼女との距離感は縮まっておらず、また視界の端っこに収めるだけに留まった。機会を作って、どこかで話せればいいなと思いつつ席を立つ。
「みんな、国広と俺は同室だろ?って言うもんだからよぉ……お前がいなかったから、部屋も広れえし落ち着かねえし……おい、何笑ってんだ国広!」
内番の説明を受けながら、僕が顕現する前のことを聞いていた。この本丸で、僕のことを待っていてくれてことが再認識できる内容だったから、また胸のうちにあたたかさが溜まる。まだ返せてないのになあ。
僕が必ず顕現すると思っていたから、兼さんの同室には誰もならなくて、兼さんは少し寂しかったらしい。そう僕は受け取った。「……あ?さ、寂しかった訳じゃねぇぞ!」と横から聞こえてきたけれど、知らないよ。清光くんも安定くんも、みんなすごく待っていてくれたんだということに、嬉しさと少しの申し訳なさを感じた。もう少し早く顕現できていれば良かったのにな。そう思った時、兼さんが再度話し出した。
「そんなこともあってだな、結構……主は責任っつーか……意気込んじまったんだ。“堀川国広を必ず顕現してみせる!!”つってな」
堀川国広所縁の地を巡るだの、加持祈祷を石切丸に頼むだの、顕現した資材の配分調査して統計出すだの、いろいろやってたぜ。それを聞いて、僕はさっき心の内に浮かんだ気持ちを投げ出して謝りたくなった。早く顕現していればよかった、なんて失礼な話だ。そんなに頑張って、時間も労力も使ってくれていたなんて。僕のためだけに?
申し訳なさと一緒に、倍以上の嬉しさが乗っかってきて、僕はもう駄目かと思った。
「確かに……俺たちはお前が来てくれるのを待ち望んでたからな。だから余計に嬉しいんだと思うぜ」
まあこれから沢山、あの人の役に立ってやれよ。うん、主さんの、みんなの役に立つよ。一日も早く、僕の心の中には誓いのようにそんな気持ちが浮かんでいた。それを誓約するかのように声に出した。
「お手伝いなら任せて!……僕、頑張るよ」
脳裏に映し出される彼女は、とても嬉しそうに頬を染めていた。顕現して嬉しいという気持ちを体現するような表情が、僕の許容量の少ない心臓をぐっと締め付けた。