気持ちのあまさ
さすが初期刀、というべきか、清光くんは即座に解決策を提示してくれた。
夜、部屋でそれぞれ自分の時間を過ごしている所に、僕らは突撃した。最初、突然やってきた僕らに、清光くんと安定くんは何があったのかと目を白黒させていた。けれど、すぐに部屋に招いて「なに?なんかあったの?」と話を聞くかたちをとってくれた。ことのあらましを話せば、清光くんはううん、と唸った。
「んーー、まあ、初めて人の形をとって、慣れなくて困惑するってのはよくあるよ」
「なんだ、やっぱりそうなのかよ」
「兼定だって、最初はワタワタしてたじゃん……それに、主は俺たちと違って人だし。実際、元は刀の俺たちが、持ち主と同じ形をとるっていうとどうもね。どう接していいか分からないっていうのも、無いわけじゃないよ」
「……清光くんも、最初はそうだったの?」
「いや、俺の場合は……」
懐かしむように瞳を細めて「俺の時はふたりしかいなかったし、状況が全然違ったからなあ」と言った。困惑している暇もなく、お互いぎこちなくもやり繰りしていくしかなかったらしい。大変だったよ、今考えればほんと、しんどいくらい。そう言いながら、肩を竦めてみせた。
それでも、その唯一の時間を持てたことを清光くんは大切に胸にしまっているらしいことは見てとれた。自慢げにしている訳でも、あからさまにそんな様子を見せる訳でもない。ただ、清光くんの赤い瞳が優しげに目元をなぞったから。本当に主さんのことを大事にしているんだなと思った。
はじまりの刀、この本丸の苦楽を全て知っている一人と一振。清光くんの胸に灯るあたたかい想いがこちらにまで伝わってくるのを感じ、僕の胸はまたきしきしと音を立てた。こんなにもやわらかいものなのに、何故か棘でも生えているかのように僕を突く。その違和感に、咄嗟に胸元の服を握り締めた。
「ま、でも、昔は昔。今は今じゃん。こんだけ刀がいれば、いろんな性格のやつがいるよ」
「顕現された刀の気質とか主によって、僕たちの性格も変わるらしいしね」
「そ、だから、ある程度人の体に慣れたら、割と恒例行事みたいになってることがある」
「……お、それってもしかして」
兼さんが清光くんの言葉にすぐに反応した。「たしかに、それが手っ取り早いよな」と言うように兼さんと安定くんはうんうん頷いている。
清光くんはそんな二人の様子と、一人だけ付いていけていない僕の顔を順繰りに見て、自信ありげに唇の端を片方だけ吊り上げた。
「堀川国広を近侍に任命しまーす」
「いえーい」
「ま、そうなるよな!」
清光くんに僕の名前が呼ばれて、それと同時に安定くんが僕の腕を持ち上げた。僕が立候補しているような、そんな風に見えるだろう。実際のところは、どうしてそんな話になっているのか全く理解できていないのに。
きょろきょろとみんなを見回しても、三人とも頑張れよ!とでも言うような笑顔だ。詳細の説明が欲しい。
「ま、待ってよ、近侍って重大な役目なんじゃ……」
「まあ、そうだな。重大だが、だからこそ普段はみんな代わる代わるやる。ただ、新入りが入ってきた時には、主に慣れるため、お互いのことを知るためにも一定期間近侍をやるんだよ」
「とか言って、兼定、このこと忘れてただろ」
「うるせーな、新入りなんて久方ぶりなんだ。仕方ねぇだろ!」
そうか、だから兼さんと話している時にはこの話は出てこなかったのか。納得しつつ、靄がかかるような心の内に眉を顰める。
これは絶好の機会だ。名目の通り、主さんに慣れるための機会。今までの非礼の数々を謝って、僕がこの本丸の一員として、彼女の刀として役に立てることを伝えられる。
ただ、その今までの失礼な態度を思い返すと、本当に僕はやれるんだろうかと、その機会に影が差す。また同じようなことをしてしまったら、ううん、学習能力がないわけじゃないんだから。気を張っていれば、きっと。
「とにかく、堀川は近侍をやること。明日までは俺が片付けとく書類があるから、明後日からかなー。主には明日、うまく伝えとく」
「……ありがとう、清光くん」
「なに、その顔。大丈夫だよ、堀川なら。お手伝いなら任せろ、でしょ」
「堀川、堀川、主はね、おやつとか好きだから、あげたらすぐに機嫌良くなって許してくれるよ」
食い意地はってるから、だから大丈夫だよ。僕の自信のない表情を見て、それぞれが僕に励ましを手渡す。締め括るように、「シャキッとしろよ!」と兼さんが背中を強く叩いた。激励だ、嬉しいけど、でも、ちょっと痛い。
活路が見えた。みんなの優しさとその道筋に、雨が上がるような清々しさを感じてお礼を言う。
けれど、なんでだろう。みんなが照らしてくれた彼女への道のりに乗り出すことは、まだ少し怖くて。なにか、僕の知らないものが、踏み出そうとするその足を影から引っ張ろうとしているのがわかるから。
それでも、少しでも、彼女とうまく話せる確率を上げておきたいと思った僕は、安定くんの言った通り、お菓子を作って持って行こくことにした。みんなにお願いしているばかりじゃなくて、僕の得意なこと。本当ならばできることを。
主さんとうまく話せない。それは覆しようのない事実だ。でも、何か橋渡しとして、話題作りになるものがあればいいんじゃないか。最初は上手くいかなかった炊事も、最初以外は上手くやれているし。だから、この前歌仙さんに教わった大福を作ろうと思い立った。
思い立ったが吉日だ。みんなが僕を近侍に任命してくれた次の日、僕は炊事場の片隅を占拠した。大福を作って、主さんに渡して、「明日からよろしくお願いします」って、伝えられたらなと思う。
よし、頑張ろう。主さんや他の刀剣たちがお腹を空かせて炊事場を覗く前に、さっさと作ってしまわないと。歌仙さんたちと作った手順を頭の中で一度さらって、作業に取り掛かる。まずは餡子を炊かないとね。
「あれ……堀川?」
「っわ!……安定くんか、よかった」
「何してるの?あんこ?」
「うん、そう。昨日安定くんが、主さんは甘いものが好きだって教えてくれたから、作って持って行こうかと思って」
小豆を煮ていれば、安定くんがひょっこり現れた。お腹が空いてここを訪れる人もいるかとは思っていたけれど、いささか早すぎる。昼ご飯もしっかり食べていたはずなのに、と首を傾げれば、僕がいたから入ってきただけらしい。
安定くんの話から、大福を作ることにしたんだと話せば、口元をやわらかくして頷いた。それから、きらきらと瞳を瞬かせる。
「大福、いいな、僕も食べたい。すごくいい匂いがしたから見に来たんだ」
「そんなに匂いする?……ばれちゃうかな?」
「いや、大丈夫だと思うよ。僕は近くを通ったから気付いただけだし、主はさっきすごい勢いで部屋に走って行ったから、こっちには来ないと思う」
「それに締め切り間際の書類があるって清光が言ってたから、解放されるまで時間かかると思うよ」と安定くんは呆れたように言った。そうか、それなら、おやつ時まではここは安全地帯だろう。
煮立った小豆の硬さを確認して、煮汁を捨てる。面白いのだろうか、安定くんは興味深そうにその様子を見ていた。それから、さっきとはまた少し違った様子で口元をゆるゆるにさせていた。まるで、雛の成長を喜ぶ親鳥みたいな、安心を表すそれ。そんな表情を横目に見ながら小豆を別の鍋に移して、水と砂糖を加える。そこで、安定くんは「あ、」と口を開いた。
「主はすごく甘いのが好きだよ」
「あ……そうなんだ。じゃあ、うんと甘くした方がいいよね」
そうか、主さんは甘いものがそんなに好きなんだ……そうなんだ。みんなから聞く、僕の知らない彼女がたくさんいる。みんなは知っているのに、僕は、知らない。そんな思いがむくむくと僕の胸の内に根を伸ばす。
「うん、その方が喜ぶよきっと、……?堀川、眉間、詰まってるよ」
「え、あれ?」
安定くんに指摘されて表情を緩める。緩めることができるということは、だいぶ険しい顔をしていたらしい。どうしてだろう。そんな表情で美味しいものが作れるわけがないのに。
「食べてくれる誰かが喜ぶ顔を思い浮かべながら作るといい」そう、歌仙さんが言っていた。今回で言えば、主さんが喜んでくれる表情を思い浮かべて作ればいい。脳裏にまた最初のあの笑顔を思い浮かべれば、胸がぎゅうっと締め付けられた。うんと甘くしたら喜んでくれるだろうか、一度置いた砂糖をもう少し増やそうと手に取る。甘くした分だけ、それ以上に、彼女が喜んでくれればいいと思う。
「ん、おお、上手くできてるじゃねえか!」
「……本当?主さん、食べてくれるかな?」
餡子を作り終わって、餅生地に包み終わった時分に兼さんもやってきた。餅生地を丸めていたら楽しくて、思った以上の個数になってしまった。まあ、基本食べ物は多く作った方が美味しいって言うし、いつもいろいろなことを教えてくれるみんなへの差し入れにもなればいい。
主さんへの差し入れを渡しに行こう、と思うまではよかった。けれど、あれだけ決意を固めたふうにしていても、僕は結局「僕が主さんに直接手渡す」という部分で怖気付いていた。美味しい、大丈夫、きっと話ができる。本当に、話ができるよね、話ができるかな? 積んで叩いて固めていった即席の自信は、すぐにほころびができてしまう。
そのほころび一つすら、今の僕には恐怖の対象になってしまって。情けないと思いながらも口から飛び出したのは他の誰かを頼る言葉だった。餡子と気持ちがたっぷり詰まった大福が入った紙袋を、ずい、と兼さんと安定くんへ差し出す。
「……ううん、やっぱり無理だ!兼さん、安定くん、お願い!」
「えっ」
「だぁあっ!それくらい自分で渡せ!」
「それが出来たら、僕だってそうしてる!」
「でも、僕らが渡したら、元も子もなくない?」
「お前、他のことはもっと卒なくやるだろうが!安定のいう通り、お前が渡すからこそ意味があるってことくらいわかってるだろ」
「……そんなこと……」
そんなこと、わかっているのだ。元々の自分の性質上、難なくこなせることだ、本来ならば。けれど、この本丸に降り立ったその時から僕の体は思い通りには動いてくれなかった。
誠意を見せるのならば、相手に伝わるように自分が行動しなければいけない。当たり前とも思えるそれが、胸の内に引っかかる。あたたかいのに、もどかしくて質量の大きなものが、堰き止めるように、僕を前に進ませてくれない。どうしても僕は自分から行動を起こせずにいた。
その機会、好機は何回でもあったと思う。でもその度に僕はそれを逃し、潰してしまっていた。それは最初に彼女と出会った時であり、彼女が調理場に来た時であり、手合わせでふと目が合った時であり、毎朝挨拶のために声をかけてくれる時であり、数え切れない機会を僕は。
言い淀み黙り込んだ僕に、兼さんはしょうがないとでも言うようにひとつ溜息を吐いてから話し出した。
「まあ、なんだ。渡す時に一緒にはいてやる。ただし、それは自分で渡せ。主だって喜ぶと思うし、そんなにネチネチ根に持つ人じゃねえよ、阿呆だし」
「……うん、そうだね」
彼女との絆や仲の良さを漂わせるその言葉は僕に勇気を与えたし、けれど逆に仄暗い気持ちも腹の奥からぶくぶくと湧いてくるのが分かるのだ。人の体を得てから、僕はこの仄暗さに振り回されてばかりいた。その証拠に兼さんのカラッとした笑顔に、僕は曖昧に笑うしかなかった。
そんな情けない僕を見て、そこまで不安なら、と兼さんが贈り物の量を増やすことを提案してくれた。でも、もう大福は増やす訳には、もともと多いし……と困惑すれば、兼さんは「ちげえよ!」と吼えた。「菓子は、まあいい。ついでに別のもんも渡してみりゃいいだろ」との言うので僕は首を捻った。
まだほとんど外に出たことない僕に何かできることがあるとしたら、この本丸の中で用意できるものだけだ。えっと……別っていうと、何が用意できるだろう?と周りを見渡す。ちらりと窓から覗いた、鮮やかな色にハッとする。
「……花、とか?」
「あ、いいんじゃない?主が花を贈られてるところなんて見たことないし、喜ぶかもよ」
そういうことならば、と安定くんは荷物持ちを申し出てくれた。花を摘んでくる間、縁側で待っているからと言う彼をありがたく思いながら袋を手渡す。
袋を受け取って自信ありげに頷いて、それからじい、っとそれ見下ろす。その様子が微笑ましくて、緊張が少し抜けてしまった。そういえば、最初から大福が美味しそうだと言ってくれていた。
勇気付けてくれたことなどのお礼も兼ねて「いくつか食べていてもいいよ」と言えば、安定くんはぱあっと目を輝かせた。
「主にあげる大切な贈り物だもんね。僕が味見しつつ、必ずや他の奴らから守りきってみせるよ」
「お前が一番危ないけどな」
「全部は食べないでね?ちゃんとあげられる分は残しておいて欲しいな」
「もちろん、任せてよ」
いい表情で言いながら袋を大事そうに抱えてくれたので、大丈夫かなと思いつつも僕らはお花探索へ向かったのだ。
「急拵えだが、まあいいだろ」
「うん、こんなところがあるなんて全然知らなかったよ」
「ま、俺も偶然見つけただけなんだがよ。知ってるやつもほとんどいないと思うぜ」
鍛錬場の裏手、誰にも気付かれないようにひっそりと咲いていた。誰が世話をしている訳でもないのに、花たちはとても綺麗に咲いている。
それを僕の都合で摘み取ってしまうのは少し心苦しい。顕現したての僕より、きっとこの花たちの方が長く頑張って生きて、花を咲かせているのだろうに。けれど、僕が前に進むためにも、ごめんねとありがとうを胸に抱きつつ花を摘み取った。この綺麗な花に見合うくらい、僕も綺麗な形で彼女に気持ちを手渡したい。
「……あれ?なんだか、声がしない?」
「ん?おお、縁側あたりが騒がしいな。安定か?」
花を摘み終わって鍛錬場の裏から戻ってみれば、なんだか縁側あたりが騒がしい。兼さんと顔を見合わせて覗いてみれば、清光くんに安定くん、それに主さんが楽しそうに話しているのが見えて、心臓が震えた。
ま、待ってほしい。たしかに、これから大福も花束も渡しに行こうと思っていたけど、向こうから来るなんて。いつ、どこで、は自分で決められるものだと勝手に思っていたけど、決心するしかないらしい。大福は安定くんが持っているし、花束はここにあるんだから。
力が入りそうになる指先に、意識を巡らせて花の茎を潰さないように気をつける。大丈夫、準備もしたし、今回はちゃんと話をしようって、自分で決めたんだから。
「国広、気合い入れろよ!」
「う、うん……うん」
兼さんが肩に手を置いて励ましてくれる。その手から、兼さんの強い心が僕に移ってくるようで頼もしく感じる。それに、言っていた通り、渡す時は一緒にいてくれるようだ。
緊張で固まる体をほぐすように、僕は肺いっぱいまで息を吸い込んだ。弾むような心臓の音を近くに感じる。一度瞼を閉じて、開く。刀の形でならできないその動作、暗闇から光に移り変わるその瞬間を知ること。僕は兼さんの相棒で、土方さんの脇差で、主さんの刀なんだから、何も怖がることなんて、ない。
「ちょうどいいところに!」
僕らが頭一つを建物から飛び出させていると、清光くんがこちらに気付いた。それから主さんもこちらを見て、大きく手を振ってくれた。大丈夫、大丈夫。そう念じながら、呼んでくれている三人のもとに向かう。咄嗟に、花束は後ろ手に隠す。あからさまに、今から渡しますよ、なんて、悟られてしまったらと思うと、顔に火が付きそうだと思ったから。
まっすぐに彼女を見ることはできないけれど、逃げ出していないだけで及第点だ。でも、近付く度に、胸が震える。
「あ?なんだ、俺たちのこと探してたのか?」
「そうそう、堀川国広にお願いがあって探してたんだ」
ぼ、僕? キョトンとしながら、兼さんの方を見れば、いい機会じゃねえか!とでも言いたげな顔と出くわした。兼さんにとってみたらそうかもしれないけど、僕にとってはそう思えないよ! 今までの失態が、心の奥底から浮き上がってくる。やけに質量がある癖に、浮かび上がるのは早いなんて、厄介すぎる。
兼さんの目が、早くしろと言うので、僕は視線を主さんの方へ恐る恐る戻していく。彼女の表情は明るい。久しぶりにちゃんと絡ませた視線に、僕の心中はしっちゃかめっちゃかだ。嬉しいのか、怖いのか、辛いのか、恥ずかしいのか。四方八方に胸の内から飛び出しそう。
「明日から、近侍をやってもらえないかなって」
明日から、近侍を。その言葉で、清光くんを見れば本当に世話がやけるよね、というように肩を竦めた。安定くんは嬉しそうに、本当に嬉しそうにまた一つ、新しい大福を取り出した。安定くん、それ、ちゃんと残ってるよね?
清光くんは表情こそ揺れていないものの、瞳は薄っすら細まって。安定くんは感情のままに、瞳を緩めている。たぶん、兼さんも同じような顔をしているだろう。
「どうかな?少しずつ慣れていってもらえたら」
主さんがゆっくりと確かめるように言葉にして、手を差し出す。そんな、答えなんてもう最初から決まっている。彼女の笑顔が僕の胸を、きゅうっと締め付けていく。その手を僕は取りたくて。
彼女の刀なんだから僕もきっと、彼らと同じような表情になれる。だって同じ志を持って過ごして、また同じ主さんの元で過ごすことになったんだから。
心臓が千切れそうなくらい締め付けられて、呼吸が止まりそうだ。けれどそれに反して、ゆっくり、表情を緩めていける。そして、僕の本当の気持ちをやっと形にできるんだ。後ろ手に持った花束を少し握って、主さんにちゃんと向き合った。
僕はこの時、初めて彼女の前で笑顔を作れたと安心していた。安心していたんだ。
「無理に決まってる」
だから、忘れていた。踏み出そうとするその足を、引っ張る何かを。じわじわ僕の体を乗っ取ろうとしている重苦しい暗いもの。
言葉が勝手に口から出てしまって、僕自身が一番動揺している。主さんの瞳が大きく見開かれて固まって、どんどん瞳に水の膜が張っていくのがわかった。もう、だめだ。
それが引き金だった。弾かれたように僕はその場から飛び出した。
どうしてこうなったんだ? 心の中で問い掛ける、動かし始めてしまった足は止まろうともしない。頭と心と体が全部バラバラの動きをしている。
体は勝手にだが、身軽に動いてくれているし、頭も割と冷静に働いている。でも、心が、胸の真ん中あたりがやけに重くて、息苦しい。心臓が重さを増してどんどん落下してしまっているかのようだ。人間の体は難しい、訳がわからない。なんでこんなことになっているんだろう。
おい国広!と後ろから兼さんの声と足音が追いかけてくる。ごめん、みんな。せっかくの機会だったのに。ごめんなさい、主さん。こんなはずじゃ、なかったのに。
足は止めない、止まらない。ぎゅうっと拳に力を込めれば、手の中にあった花の茎が愚図ついた音を立てた。