滲ませて、消してしまって
人と刀、所有者と所有物。過ぎていくものと残されるもの。その境界線を少しだけ踏み越えて、俺たちは今ここにいる。
刀である俺たちが、主人と同じ形をとって隣に並べることって、とても特異で、とても嬉しく、とても苦しいことだ。
本来、知らずとも良かったことを知ってしまう。体に傷が付くと痛いとか、朝起きる時が億劫だとか、誰かのことを思って胸が痛むとか。
本来、知ることすらできなかったことを知れてしまう。傷を手当てしてくれる手が柔らかいとか、ご飯の時に隣に並べることが当たり前だとか、誰かに思われて胸が満たされるとか。
そんな些細なたくさんのことが、降り積もって自分を形成するなんて考えたことがあっただろうか。自分たちを構成する要素は鋼のみ、と言っても過言ではないのに。
「清光くんも最初はそうだったの?」
あいつに聞かれた時、立ち止まって、歩いてきた道を振り返ってみた。主と俺だけだった本丸、初期刀と言えば聞こえはいいけれど、何もない一人と一振がそこにはいた。なりふり構っていられず、お互いに奔走していたのを覚えている。
たしかに、最初は俺もあいつみたいだったのかもしれない。人の形をとって、自分の主の隣にその身を寄せる。手に取られるだけでなく、あの人の手を取れる。その在り方の変化に、戸惑っていたのかもしれない。きっと、そうだったのだ。
ただ、俺の場合はその戸惑いに気付く前に、慣れてしまっただけなのだろう。最初から隣にいて、忙しなくすぎて行く時間。そして、過ごしてきた時間はその戸惑いを当たり前のものに消化してしまった。
その点では、俺は少しあいつを羨ましく思う。刀のままだった自分から、人の身を得た自分への変化をじんわりと体感できるのだから。
「無理に決まってる」
けれど、良いことだけじゃないのもわかっている。あいつの辛かったであろうところは、境界線が曖昧になって、無くなっていることにいち早く気付いてしまったこと。それがとてもあいつらしいと思う。脇差って、誰かへの助力ができる刀だ。だからこそ、まわりの気配や小さな変化すらいち早く察してしまうんだろう。そういうところも、らしいと思う。
顕現したてで何が何だかよくわからないまま、他でもない自分自身に振り回されている。それは確かに大変なことだと思う。悩んで解決に奔走していたのも知っている。だから、兼定だって安定だって他の奴らだって、あいつに手を差し伸べるのだ。
でも、それとこれとは話が別だ。だからって、この大切な一歩を踏み出すことすらしないで、逃げるなんて士道不覚悟。切腹もんでしょ。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
「ああ、うん。気を付けていってきなよ」
「主のお守りは任せとけって」
「私のお守りってなに!?私だって兼定のお守りくらい任せてほしい」
「誰のお守りだって?!」
出発を目前に、なんだかんだと言い合いを始めた一人と一振に溜息を吐く。そんなこと言い合ってる時点で、俺にとってみれば両方とも同じような感じに見えるんですけど。
兎にも角にも、このどんぐりの背比べのような諍いをおさめて、目的を果たしてほしいところだ。こちらだって段取りというものがあるんだから。そんな思いを込めてじぃっと主の方を見つめていれば、彼女はいち早く視線に気付き姿勢を正した。
これじゃ上下関係や主従関係なんてあったもんじゃないな、と少し唇を緩めそうになる。いや、でも今はそんな場合じゃない。飴と鞭の使い方は重要だ。
「はいはい、いってらっしゃい。帰ってくるまでに、仕事は片付けておいてあげるから。あっちの審神者さんに迷惑掛けないでよね~」
「うん、本当ありがとう清光。ちゃんと戦果を上げてくるから!」
「いや、戦場に行く訳じゃないんだから……」
「ううん、これは戦争だよ、もはや。堀川国広と私のふたりぼっち戦争……!」
「これだけまわりを巻き込んでおいて、ふたりぼっちとは聞き捨てならねぇな」
主はきょとんとして兼定を見たあと「たしかに!じゃあ全面戦争だ!」と笑った。そうしたのは視線の先の兼定が、言葉に反して不満げではなかったからだと思う。
たしかに、これはもう主とあいつだけの話ではなく、この本丸の問題なのだ。全面戦争なんて言い出すと、敵対しているように思えてしまうだろう。実際のところ、片方はもう大々的に白旗挙げてるようなもんなんだけどね。
「よっしゃ、気合いを入れていってくるとするか!」
「夕飯までには、夕飯までには帰るから、私たちの分残しといてね!」
「はいはい、変な心配してないで、とっとと行った行った」
呑気な声で夕飯の心配をして、あとはよろしく~なんて言いながら、意気揚々と進んでいく主たちの姿が見えなくなるまで見送った。小さくなって行く背中は、思っていたよりは頼もしく見えた。
近侍のお願いを断られた直後の彼女は、それはひどい顔をしていた。審神者会議の時に、あの同期の審神者さんと解決策に辿り着くまでの間、ずっと。兼定も安定も、俺だって、主のそんな顔を見ていたくないし、させたくない。
いろいろ考えてみた結果が今回の作戦な訳だが、いくら主が他の本丸の堀川国広と話してみたとしても、こっちの根本が変わらなければ意味がない。だから、もう少し俺たちの方でも手を加えてやろうという寸法だ。もちろん、主には内緒だけどね。
「さあて、あいつらの今日の内番はなにかな……っと、洗濯場か」
玄関先に貼り出してある当番表を見て、安定と堀川の名前を確認する。今週の近侍は兼定だったので、内番を上手い具合に組み替えてもらった。この二振を組ませたのはもちろん、今日の作戦のためだ。
主はもちろんだけど、あいつのことだって気に掛かる。あの日から、どんどん小さくなっていった背中を思い起こす。まるで、もうこの本丸のどこにも居場所がないんじゃないか、知らない間にいなくなってしまうのではないかと思わせるような姿。糸が切れた凧みたいに飛んでいかないよう、俺たちが糸を手繰るみたいに、手を引いてやらなきゃいけない。そのやり方が、ちょっと強引だったとしても。
そんなことを考えながら洗濯場に向かえば、清々しいくらい、白く汚れのないシーツが広がっていた。真っ白いその中に、その様子を作り出したとは思えないくらい沈んだ顔をしている奴を見つけた。その表情に反して手際よく、皺一つなく広がるシーツに堀川の性格が表れていた。
「……あれ、清光くん」
「やっほ、捗ってる?」
「あ、うん……まあまあ、かな。僕にできることはこれくらいしかないから、頑張らないとね」
やっぱり、よくない方向にどんどん向かっていると思った。暗い顔で口元をどうにか緩めた堀川に、俺は眉を寄せた。
そんな俺の表情をどう言う意味でとったのか、堀川は申し訳なさそうに視線を逸らして新しいシーツを手に取る。「俺も手伝うよ」と言えば、最大限下がった眉尻はそのままに、ゆっくりと小さく「ありがとう」が聞こえた。……さて、
「荒療治……だな」
本当、揃いも揃って世話がやけるんだから。
自分以外の審神者の本丸へ足を踏み入れることは初めてのことだったので、一度、門の前で足を止めた。倣う用に兼定も足を止めたけれど、急かすような声は出さずに私を待っている。
一つ、深呼吸をする。肺いっぱいに満たされる空気は、いつもと少し違う場所に足を踏みいれようとしていることを自覚させた。霊力の質が違えば、本丸の雰囲気も変わってくるから、当然のことだと思う。でも不思議と優しい空気を感じて、私は決意を固めた。ちらりと兼定の方を見れば、自信ありげな表情で顎を引いた。うん、そうだ。クヨクヨしてなんかいられない! 夕飯までに帰らなきゃだしね。よし、いくぞ!
「こ、こんにちは……同期のです」
声をかければ、ゆっくりと出迎えるように門が開いた。その中から顔を覗かせたのは、私の横に立つ刀剣と同じ顔。和泉守兼定が出迎えてくれた。「おう、待ってたぜ」という声は兼定と同じなのに、少しだけ落ち着いているような気さえする。これが前に言っていた、「刀剣男士の個性」だろうか。
そんなことを考えながら、本丸に足を踏み入れる。入ってしまえばなんてことはない、普通の本丸だった。普通の、自分以外の審神者の、本丸。建物の形や庭の作り方、雰囲気はやっぱり少し異なって、短刀全員で鬼ごっことかしている様子もなく、ガヤガヤと賑やかな感じより優しくゆるやかな感じだ。
興味深々で周りを見回していたら、兼定から「落ち着きがなさすぎるんじゃねえか、主さんよ」と小突かれた。その様子にこの本丸の和泉守兼定が少し笑った。
「……あ、さん!いらっしゃい、お待ちしてました」
「う、うん。お邪魔します、お世話になります」
「あはは、そんな硬くならずに。いつも通りで大丈夫ですよ。堀川さんも首をながーくして待ってましたよ」
母屋の玄関先には、同期の審神者くんも待っていてくれた。仲がいいとはいえ、本丸に入れてもらうのは初めてだったので少し緊張していた私に、彼はやんわりと笑ってくれた。けれど、「堀川さん」の言葉を聞いて、再度私は身が引き締まる思いがした。
だって、この本丸の堀川国広にすら拒否されたら、私は「堀川国広」という刀剣に触れてはいけない女ということになってしまう。なんだそのトラウマ級のレッテルは。なんども意気込んで来たのに、いざ目の前にするとドキドキが最高潮である。それが顔に出ていたのか、審神者くんと和泉守兼定に笑われた。
「大丈夫ですよ。堀川さん、さんに会うの楽しみにしていましたし」
「いや、会ったら唐突に手のひら返されるとかあるかなって……」
「もし本当にそうなったら、国広と何かしら因縁があるんじゃねえかって心配になるよな」
「笑えない冗談……」
さあ、堀川さんは縁側でお待ちですよ、と言って、審神者くんはそこまで案内してくれた。一歩一歩廊下に足を踏み出す度に、私の心臓のリズムは足早になっていく。もはや、体の中で太鼓でも叩いてるんじゃないかレベル。
大小さまざまな波のように、私の心を苛む緊張感。それのせいでひぃひぃ言い始めている私を、誰も馬鹿にはしなかった。いや、大丈夫か?って少し笑われてたけど。でも、いつもはちょっとおちょくって来たりする兼定も、今回はしなかった。ただ、私の頭を一回だけ、ポンと叩いた。
「あちらで待ってるので、さん、どうぞ」
「えっ、どうぞって、一人で繰り出すの?まじ?」
「堀川さんが、“そういう話なら、二人の方が話しやすいんじゃないですかね?”っておっしゃって……あ、お茶のおかわりが必要なら後で持っていきますからね」
「堀川国広さんの気遣いがこわい……」
この本丸の堀川国広は、庭を見ながら縁側に腰掛けていた。背筋をすっと伸ばして、正装でしっかり待っていてくれる姿は、礼儀正しい彼のイメージそのものだった。時たま、お菓子とお茶の位置を気にしてみたり、服に乱れがないか整えてみたり、まだ来ないのかと、キョロキョロしてみたり。
なんだか、私を待っていてくれているような姿に、大丈夫かも、話せるかも、という思いが膨らんだ。いや、でもそういう風に思って、上げて落とされることを何回か繰り返した後なので、私はだいぶビビっていた。
すると、とん、と兼定が私の背中を押した。行ってこいと言うように、大丈夫だと言う柔らかいその手が私を勇気付けた。行こう、行くしかない、ここまできたら。女は度胸! さあ、行くんだ私!
「……こんにちは。はじめまして、審神者さん」
ええいままよ!と廊下の角から足を踏み出した。すると、気配にしっかりと気付いた彼がこちらを見た。視線が絡まれば、堀川国広は一度まん丸の目を見開いて、それから柔らかく表情を崩した。私が触れたことのないような表情、柔らかな声で、私に向けて、堀川国広は言葉を発した。
そんな、見たことのない、向けられることのない表情に、少し泣きそうになってしまう私がいた。