まだ春の鼓動を知らない
「だから、僕もあなたの力になれたら嬉しいなって」
同じ顔から吐き出された言葉は、ひどく輝かしいものに思えた。僕の口からは零れ落ちてくれないやわらかな形をしたそれは、彼女に優しく寄り添ったのだろう。
そんな言葉を聞いて僕はどうしたらいいのかわからず、一瞬、目の前が真っ暗になった。けれど、一方で僕は鮮烈な激情を脇に抱えた。僕と同じ姿形の彼はとても素直で、話に聞く理想の堀川国広なのに僕ではない。その場所は僕がいたいと願う場所だ。
彼女の力になりたいのは僕だって、僕だって。
--僕の方が!
今までのことをすべてかなぐり捨てた。自分勝手で、また主さんを傷付けるかも知れない。それでも呼ばずにはいられない。その手を取って笑いかけたいのは、あなたの堀川国広は僕なのだと。証明するように腹の底から声を吐き出す。
「主さんッ!!」破裂するような声が彼女の元にまで届いたようで、呼ばれた本人は驚いたように目を丸々と見開いていた。
僕はその様子にも構っていられず、勢いをそのままに繋がりを断ち切るよう二人の間に身を滑り込ませた。繋がれた指先が離れ離れになったことに、安堵する自分を見付けてまた胸の奥がぎゅうっと騒ぎ出す。
「ほ、堀川国広……?」
訳がわからない、何故ここに? 僕の名を呼ぶ主さんの声にはそんな色が含まれているのがよくわかった。せっかく他の堀川国広と、本来の僕らしい僕と話をしていたのに、何故。そう思われているのかも、という考えが過って唇を噛む。
頭の中を駆けていくのは、走馬灯のような情景。必死に手を伸ばしてくれた主さんの指先の形、喜びを形にしたような体温、そばにいて貰えたらと願ってしまう香りとか、花がほころぶように主さんが笑みをくれたこと、とか。
過ぎ去っていくものが腹の底、胸の奥から迫り上がってくる衝動に変わっていく。それを必死に堪えた。歯の根が軋むほど、奥歯を噛み締め瞼を目尻に押し付けた。
「堀川」
鋭利なものを携えた瞳で、追い付いた清光くんが僕を呼ぶ。わかっている、ここに来る前に話したこと、決意したことは胸に刻んだんだ。
それに、僕の直感が告げている。今まで逃してきてしまったこの機会を、兼さんや清光くんたちが繋いでくれようとしたものを、今また、逃してはいけない。この人を、逃したくない。
そのために、今まで与えられてばかりだったものを、自分の手で生み出さねばならない。
「僕は、」
くちびるが震えてうまく言葉を作れない。それでも、主さんを見失わないように、今度こそ自分が逃げ出さないよう瞳に映す。
すると彼女はハッとしたように息を呑んだ。するすると黒目が動き、僕から視線が逸らされた後に一度、強く瞬く。僕と同じように震えたくちびるは、言葉を形造ることはなかったけれど、その代わりに、たどたどしくも主さんは僕の指先に触れた。
ギクリと体が強張ったのが自分でわかった。おそらく、彼女にも伝わったはずだ。けれど、一瞬の躊躇はあれど、彼女は歩みを止めなかった。緊張と焦りで冷えた指先が主さんの熱で溶かされほどけていく。
じんわりと指先から広がる熱は、今まで一番欲しくて、どうしようもなく怖かったものだと気付く。僕は主さんのこのあたたかさが、とてもいとおしく、とてもこわかった。はじめて触れた、顕現したあの時、受け止めきれない濁流に飲まれたような想いを抱えた。自分の根本を揺るがすほどのまばゆい感覚は、未熟すぎた僕には大きすぎた。
けれど、今は。あの頃の僕と何も変わっていないかもしれない。けれど、変えたくないものができた。
「僕は……っあなたの前では、うまく……話すことすら、できない」
あの時、抱きしめ返すことすらできなかった。あの時、素直にありがとうと言うことすらできなかった。
今この時、ほんの少しだけでも歩みを進めて、消えかけていた細い繋がりを握り直す。柔らかくあたたかい感触はひどく小さく、弱々しく感じる。強く握りしめたら、ぼろぼろと崩れてしまいそうで、余計にこわくもなる。
主さんはそれを払拭するように、指先を先ほどよりも力強く握る。その手に背中を押され、それが話して欲しいと言われているようで、やっと次の言葉を紡げる。
「家事をこなすことも、人の形でうまく振る舞うこともできない癖に……刀としても、自分自身を上手く振るえるか分からない」
あの時から、何もあなたに返せていない僕だけれど、それでも、
「あなたを、主さんを、たくさん傷付けて苦しめてしまった僕だけど」
主さんはただひたすらに、指先を握ってくれていた。僕はそれを逃さないように、逃げ出せないように指先を絡め取った。
今まであれだけ出そうと思っても出なかった言葉が、我先にと言葉になろうとしている。
「僕は他の誰でもなく、あなたの刀でいたい。あなたの堀川国広は、ここにいる僕だけで、僕だけが、いい」
口にするだけで胸が苦しくてたまらない。心臓がずくずくと重たく疼いて、主張しているのがわかる。
僕は、本当に、こんなにもあなたに焦がれています、と。主さんのためになにかできることが欲しかった。こんな僕が顕現したことで、あなたが喜んでくれたのかどうか、ずっと気になってしょうがなかった。
「だから、ごめんなさい。主さんが、もう彼と縁を結んだかもしれないけど、僕は、僕は……っ」
「……え、ちょ、ちょっと待って!」
今まで静かに言葉を受け取ってくれていた主さんが飛び起きるように遮った。さっき僕が飛び込んだ時と同じくらいの様子に、今度は僕が驚きに身を固めた。
「私はこの本丸の堀川さんに、堀川国広と仲良くするにはどうしたらって相談しに来ただけで、縁を結ぶって……?」
「……え?あの、僕の主さんへの対応が、その……酷かったから、他の本丸の堀川国広と交換だったり、刀解されるのかと、」
「そ、んなことする訳ないでしょ!?」
酷く困惑した主さんの様子が僕にも移る。僕の想定していた状況からだいぶズレている。ぐらぐらと揺れる内心をそのままに、僕をこの場へ導いてくれた清光くんの方を振り返る。
なんで、どういうこと? 目だけで問い掛ければ答えはすぐに返ってきた。
「俺は、"主が他の本丸の堀川に会いに行った"ってことしか言ってないけど?」
にんまりと歪められた口元に、騙されたことに気付く。いや、騙されてすらいなかった。僕が勝手に勘違いして、感情に任せて飛び出した。今度はさっきとは違う意味で走馬灯のように今までの出来事が脳裏に過った。
サァっと血の気が引いていき、すぐに後を追うように頭に血液が集中していくのが分かる。すごいや、"血の気が引く"って、こんな感覚なんだ、と頭の片隅で逃避した僕が呟いた。本来の僕は、それどころではない。
「じゃ、じゃあ……僕は、酷い、勘違いを……?」
主さんがこの場所に訪れたのも、堀川国広と共にいたことも、僕の想像していた理由などとは程遠い、優しい意味合いを持っていた。
頬がカッカと発熱して、僕だけ火の中にいるようだ。くちびるはわなわなと震えるし、さっきまでは見ることができた主さんの顔も、直視することができなくなった。なんていう失態、また僕はやってしまったのだ。
「堀川国広」
逆立った気持ちを撫で付けるように、名を呼ばれた。この場にいるふた振り内、僕が呼ばれたのだと認識できる声色。
視線を上げれば主さんが、今まで見たことのない表情でこちらを見ていた。新たなその表情にまた、心臓が駆け出しそうと躍起になっている。ぐっと押さえつけて、視線を返した。
「勘違いさせて、ごめん。でも……私の堀川国広は君だけだから。今までも、これからも」
やっと来てくれた、私の堀川国広、だよね。いろいろな色を混ぜ合わせたような表情だった。そこに乗った色を全て判別できるほど僕は人を理解できていないけれど、その中に安堵と喜びが滲んでいることだけはわかった。僕も、多分同じ色をしている。
「違うんです、そんなの……僕の方が。ごめんなさい、たくさん酷いことを。でも、本当にあなたの刀になれて嬉しかったんだ、本当に」
うまく繋がらない言葉を抱えながら、ひとつ吐き出す度に視界がじんわりと滲んでいく。それが涙で、自分が泣きそうになっているのだと気付くまでに少し時間が掛かったし、酷く驚いた。涙を流すのは悲しいからだと思っていたのに、今の僕には一欠片の悲しみもなく喜びとか、嬉しさしかない。それでも涙は滲むんだって初めて知った。
胸の内で暴れまわる熱に動かされるように、自然に体が動いていた。やっと、あなたに伝えたかったことを伝えられると、思う。
「ありがとう、主さん。僕は、あなたの刀でいてもいいですか?……そばに、いてもいいですか?」
「……もちろんだよ。どれだけ待ったと思ってるの、ばか」
あの時にできなかったこと、主さんのあたたかな体を腕の中に閉じ込めた。今までが嘘のように滑らかに動いた体、重たく引きずっていたものが消え去った事を知る。ゆるやかに加速していく鼓動にも、不安定で掴めない心の内にも、見知らぬ揺らぎにも、今はもう不安はない。
触れた部分から灯されるやわらかな熱が、頑なに凍りついていた僕自身を溶かし寄り添ってくれるのだと、しっかりと認識できる。
きゅうっと腕に力を込めれば、主さんのあたたかさが身の内に入り込んだような錯覚すらした。心臓がきゅうっと締め付けられる感覚にくらくらする。はじまりの時から僕が持っていた感覚の、気持ちの、鼓動の意味がどんな言葉で表されるのかは未だにわからないけれど、それでも。
「主さんの元に来られて幸せです。……多分、その言葉で合ってると思うんだ」
僕と同じ声が笑みで空気を揺らし、彼女の初めての刀がいつまで引っ付いてるんだと声を荒げた。それから、今まで一番聞きたかったあなたの笑い声が耳元でやわらかく響く。
これからは自信を持って言えると思うんです。僕は主さんの脇差、堀川国広だって。