誰かが呼んでいる。

 小さく、期待するような、でも少し怖がっている、そんな声に呼ばれているよう気がしては薄く目を開けた。
 その隙間から入り込んでくる光は、夜のそれとは違い彼女の瞳をチクチク刺した。薄っすら開いた瞼に覆われていた瞳は未だにぼやけてまわりを認識できない。ただ、ぼんやりと闇の中に浮かぶ明かりだけが見えた。
 そういえば、昨日はパソコンをつけたままだった気がするぞ、と彼女は瞳と同じくらいぼやけた頭で考えた。刀剣乱舞をやっていて、そうしたらウトウトしてきてしまって。パソコンから流れる「はぁぁ、眠いよなぁ」なんて声に「そうだね、私も眠いよ……」と思ってそのまま寝た気がする。全て付けっ放しで、ものぐさか、と彼女は自身に毒づいた。
 けれど、それを思い返したことで合点がいった。そうか、呼ばれている気がしたのは画面の向こうにいる近侍が喋ったからに違いない。そう思い、は二度寝を決め込もうと布団を引っ張り上げた。いや、引っ張り上げようとした。

「ねぇ、

 布団を引っ張り上げようにも、どうにもこうにも布団が硬い。突っ張るようにその布地が引き攣るだけだった。思わぬことに「んぐ、」と声を漏らした時、それに寄り添うように聞き慣れた、けれど聞き慣れない声が耳元に落ちてきた。

「んーー……」
「おはよ」
「おは……」
「ふはっ、ちょっと何それ。あんたってだいぶ寝坊助だったんだ」

 は夢を見ているのかと思い、薄らと開いた目をゆっくりと閉じた。ほら、そうすればまた穏やかな睡魔がこっちだと手招きする。けれど、何だろうこの現実味を帯びた違和感、ぎしり、とベッドが鳴いた。
 ハッと彼女が目を見開けば、自分のベッドに腰掛ける人がいる。線の細いシルエットがそこに存在していた。その姿形はまるで加州清光その人で、かしゅうきよみつ?
 先ほど自分が思ったことはやはり正しいのだろうか?  これが、夢の中だって。は無意識に止めていた呼吸をゆっくり、ゆっくり再開させる。夢にしては、呼吸しないのは苦しかったし、彼女は一つも動いていないのに、ベッドは軋むのだ。
 やっぱり、違う。これは現実で、彼女の横たわるベッドに腰掛ける姿も、体を支えるようについた腕によってできるシーツの皺も、全ての目にそのまま映る事実であった。彼女は凍りついた。

「目、覚めた?」
「……え、」
「なに?まだ寝惚けてる?」
「いや、寝惚けてるとかじゃなくて、君、」
「俺?」

 清光の形をしたその人は、さも驚いたというような表情を作った。だからといって、それはの知ったところではなかった。そりゃそうだろう、にとってしてみれば、寝起きに男が自分のベッドに腰を置いていたのだ。それが、見慣れた姿だったからまだよかっただけだ。もはや、良かったのかどうかも曖昧なところではある。普通だったら叫んで逃げ惑ってもおかしくはない、と彼女の頭の中の冷静な部分は言う。その冷静な部分も、驚きに押されて少ししか働いてくれてはいないけれど。
 清光はというと、驚いた顔を作っていたのではなく、素直に疑問を持っていた。彼女はいつも自分を見てくれていたはずなのに、何を言っているんだろう? もしかして、自分のことなんて忘れてしまったとでもいうのだろうか。それは驚きというよりは、ショックと少しの違和感だった。
 けれど、が「えっと……あの、あれ?夢?」と呟いたことで、彼はすっかり理解した。それはそうだ、彼女にとって自分は画面の向こう側にいる存在。そんな簡単なことを忘れていた。そこで、思いの外、自分が舞い上がっているのだと清光はやっと気付いた。

「まあそっか、ちゃんと会うのは初めてだもんね。じゃあ、最初っから始めようか」
「え、はい?」

 仕切り直しだと清光は姿勢を正すと、ゆるやかに笑った。ちゃんと彼女にはこれが現実だということを理解してもらいたい。まずはそこから、くるくると目を回すように混乱しているをしっかり留めるように、彼女の手を取る。
 自分の名前を、ちゃんとに真正面から言える日が来るなんて、思っていなかった。燭台切じゃないけど、カッコよく決めたいと思ってしまう。噛み締めるように言葉を紡ぐ。

「俺は清光、加州清光。ま、結構長い付き合いだし知ってるよね」
「……やっぱり、清光……」
「そ、清光」

 は目の前のその人を信じることがイマイチ、できていなかった。だって、彼はいつも自分のパソコンの画面に映っている存在のはずだからだ。きゅうっと握り込まれている自分の指先は温かい、それが清光と名乗る彼の温度だとわかっているから、余計に混乱してしまうのだ。
 本音を言おう。もしこれが本当のことだったら、これ以上嬉しいことなんかないと思うのだ。なんていったって、は加州清光という刀のことをとても大切に思っていたからだ。
 でも、そんなことってありえるだろうか? 自問してみても、返ってくる答えはノーだ。

「信じられない?」
「……だってそんなことって、ありえないよ」
「でも、今俺はここにいるし、だって、俺が生きてるって分かるでしょ」

 彼はそう言いながら、唯一の光源であったパソコンをゆっくりと閉じた。ぱたり、暗闇が降りてくる。真っ暗闇の中でわかるのは、呼吸の音が二つ存在することと、の手を撫で付ける指先があたたかく、壊れ物を扱うかのように優しいことだ。
 夜目は効く方だから、清光にはすぐにわかった。の表情がぐらぐらと揺らいでいるのが、見えた。夢か現実か、境界線が曖昧すぎる。その境目で彼女はどちらを踏むか迷っていた。
 だって、と彼女は言い訳をするように胸中に言葉を落とす。自分に触れるその仕草で、この人は清光だと確信してしまった。なぜかと言われてもわからないけれど、そう、自分の中の柔らかい部分が言っているのだ。もしかしたらそれを願望と呼ぶのかもしれないけれど、にとっては夢でも願望でも相違なかったからどちらでもいい。
 あとひと押し、彼女のぐらつくような表情を見て、清光は自分が一番綺麗に映るように笑ってみせた。

「これは夢なんかじゃないからね」

 そう、夢が語りかけてくるからは現実がどこにいるのかわからなくなってしまうのだ。現実というやつを探す手がかりは、清光が笑ったことで暗闇に溶けてどこかに逃げていってしまった。