「デートっていうの、したいんだけど」

 清光がに向かってそんなことを言い出しのは、夜が明けてカーテンの隙間から明かりが射してからのことだった。あれから、大分時間が経ってしまった。これは夢なんかじゃない、その言葉に彼女をゆっくり浸していくように清光は何度か繰り返した。
 嬉しさ半分恐怖半分の気持ちがどちらにでもすぐに倒れてしまいそうだった。だからだろうか、いくらかしてからはもうどちらでもいいや、と思いはじめた。彼女の中では現実の可能性が限りなく低いけれど、考えてみれば自分が気持ちを傾けている彼が目の前にいるのだ。それなら楽しんでみたもん勝ちでは、そんな考えがの気持ちを押し上げた。そう思ってしまえば、あとは気持ちに身を任せるだけである。

「デ、デートか……えっと、どこに行く?」
「んー……別にどこでもいい」
「え?どこか行きたいところがあるんじゃないの?」
「特にないかな」

 え、ないの?とが首を傾げれば彼は迷わずに頷いた。だって、と清光は心中で思う。彼にとっては彼女と一緒にいることが大切であって、場所なんて関係ないからだ。ただ、それらしいことと言えばデートをすることじゃないかと思い至っただけなのだ。彼がここにいる理由、それを満たすための思い付き。
 だから、別にどこでもいい。はにかんだ清光に心揺らされたは「デートに行こう!」という選択肢以外、用意することができなかった。あまりに、はにかむ清光が幸せそうに見えてしまったから。

「ねー、マフラー貸してくれない?コレじゃ寒いんだよね」
「あ、いいよ……これどう?」
「ん、ありがと」

 そうと決まれば、彼の行動は早かった。じっとしてなんていられない、と言うように立ち上がった清光はの身支度を急かした。まだそんなにデートに向いた時間ではない気もするが、そんなに言うならと彼女も身支度を整える。
 外は冬、清光のコートでは寒そうだと自分が持つ中で彼が着てもおかしく無さそうなものを貸してやって、彼女は思う。線が細い細いと思っていたのに目の前にいる清光は、ちゃんとした男の人だ……と意識させるような体躯をしている。細いことには変わりないけれど、肩幅も、背中も、画面越しに見ている彼とは異なって、なんだかドギマギとしてしまう。そんな自分を悟られるのは恥ずかしくて、は唇をきゅっと強く結んで、視線を逸らした。
 それから、自分のものでは首元が寒いのだと言う清光にマフラーも貸してやって出かける準備は万端となった。もふもふと質量のあるそれを首に巻きつけて、清光は「もこもこだ」と感触を楽しんでいる。

「お気に召したようで何より!」
「うん、これならあったかい」

 言いながら、トレードマークの尻尾毛もマフラーにしまい込んで、それから前髪をぐしゃぐしゃと雑に掻き乱す。目が隠れるくらいに下ろされた前髪は新鮮で、そんな姿を見れるなんて、夢の中とはなんて都合がいいんだ!とは思った。普段の加州清光とは違う人のようで、また心臓が強く音を立てた。
 靴を履いて、鍵を掛けて、それじゃあデートをしようじゃないかという時。先に歩き出していた清光が「あ、」と呟いて振り返る。それから彼はに向かって手を差し出した。

「じゃ、行こっか。ほら、」
「ん?」
「ん?じゃないから」

 の手を引き、割り込ませるように指先を絡め、清光は瞳を緩ませた。


 街はひっそりと息をしていた。時間も早いからか人はあまりおらず、その場所だけ切り取ってしまえば、世界に二人しかいないような錯覚にさえ陥る。
 それもあって、いつも通りの街並みのはずなのに、なんだか現実味がなくて瞬く度にきらきら光って見えた。それが、やっぱりこれは現実っぽい夢なんだとに思わせる。けれど、彼女はそれを口にしない。だって、もうどちらでもいい、どちらでも精一杯楽しむと彼女は決めていたからだ。
 隣を歩く清光は機嫌よく鼻歌まで歌い出しそうで、それがを嬉しくさせる。何をするでもなく歩く足取りはとても軽くて羽でも生えたような気持ちになった。

「ちょっと」
「ん?なに?」
「そんなに浮かれて歩いてると、転けるでしょ」
「……私、浮かれてる?」
「ふ、うん。足元ふわふわしてるよ」

 の足取りが軽くなればなる程、清光はきゅうっと指先に力を込めた。風船が飛ばないよう糸を手繰る子供のように彼はその手を緩めない。「まあ、俺もだけどさ」そう言いつつ、ゆっくり確かめるように彼女の手の甲をなぞる。骨と骨がなだらかに連なるそこはつるりとしていて撫でやすい。
 彼はとてもずるく、そうしてやってから逃げるように口元をマフラーに埋めた。自分でやっておきながら、少し気恥ずかしくて嬉しくて。それが滲むのを見られてしまうのは、かっこよく決まらない気がしたから。
 けれど、その気持ちも彼女の顔を見たら違う方向に転んでしまう。撫でた時のの表情ときたら目がまん丸くなって頬に赤い色が滲ませるのだ。それから彼女はこちらを見た。

「き、清光、くすぐったいんですけど」
「えー、俺なにもしてないよ」
「そんな風に言ってもバレバレなんだから。あと、マフラーに逃げるのズルイから!」
「じゃあ、もすればいいじゃん。鼻があったかーい」

 そう言って誤魔化してやれば、は喋りにくいからいい!とそれを拒否する。鼻の頭が寒さで少し色付いているのに気付いていないのかもしれない。えい、と清光が鼻をつまんでやればやっぱり冷たかった。
 その仕草に文句を言う彼女の口元は、言葉とは裏腹に楽しそうに歪んでいる。繋がれている手のひらのあたたかさ、それからこんな言葉の応酬に清光は少し、期待をしてしまうのだ。まるで、本当にと自分がお互い想い合ってるかのようにみえて、清光は胸の内がきゅうっと軋んだように思えた。
 初めて歩く、彼女が普段過ごす街並みは清光にとって何処もかしこも特別なものに思える。の中の普段という言葉の中に自分の影がたくさん残ればいいと思う。彼女が夢だと思っていても、街を歩く度に自分を思い出せばいい。
 ぐるりと隣街まで歩いて、戻ってくるその途中で、はふと、本当にこんな当てもない散歩でよかったのか?と、このデートの発案者に尋ねた。少しおしゃれなカフェに行きたいとか、自分が着飾れるものを見たいとか、そんな風なイメージを彼女は持っていたからだ。お昼だって、立ち寄ったパン屋で彼女が見繕ったもので済ませてしまった。もっと、ああしたい、こうしてほしいという気持ちがあったっておかしくない。だって、画面の中の清光はそんな風だった。

「いーの。あんたの暮らしている街を一緒に歩きたかっただけだからさ」

 鼻までもこもこのマフラーに埋もれさせて、彼は瞳を弓なりにする。慈しむように揺れる、紅い彼の宝石は怖いくらいにの気持ちをぐらぐら揺らす。その言葉にどれだけの、どんな気持ちが込められているのか、はわかっていなかった。そして、どれだけの威力があるのかということを、清光だってわかっていないのだ。


 普段彼女が行かないようなところまで余すところがないくらい、二人で歩き回って、そうすればもう陽も落ち始めていた。冬の日暮れは早い。けれどこれでも、風が春のにおいを一緒に連れ回しているから、だいぶ日が伸びた方だと思う。
 歩き回って、ゆるく馬鹿みたいな話をし続けて、少し黙って、また話してを繰り返す。自分の夢の中だからかもしれない、とは思う。夢はとてと都合がよくできているから。初めて清光と話をするはずなのに、いつもずっと一緒にいたような安心感をは感じていた。こんな夢なら、いつまでも続けばいいと思ってしまう。
 そんな家路の途中、まっすぐ伸びる線路沿いを歩いていく。夕日に照らされた線路をガタガタと揺らして電車が通り過ぎていくのを見つめながら清光は二人の間に沈黙を落とした。
 それからふと、清光が歩みを止める。繋がれた手によってもそれに倣うこととなり、それからどうしたのかと彼を覗き見る。「あのさ、」と目も合わせずに呟いたのは清光だった。

「ここもすごく良いところだけど、あんたのことを知ってる人が誰もいないところまで行ってみるのって、どう?」
「え?どういうこと……引っ越し?」
「ちょっと違うかな……駆け落ち?」
「駆け落ち?!それって、清光と?」
「……うん、そう」

 言いづらそうに、頷いた清光に瞬きを繰り返す。駆け落ち、そんな言葉が出てくると思わなかったからなのだが、彼女は返答に詰まってしまう。だって、あまりにも唐突で、現実味のない言葉。しかもそんな言葉を使われたら彼が自分のことをとても強く想ってくれているような、そんな気になってしまう。自分の都合のいい夢、なのに。嬉しくて。

「…………なんて。じょーだん」

 線路はまっすぐに続いていて、どこか終着点が無いようにすら思えた。辿ればどこまでも遠くに行けてしまうような、そんな気持ちにさえさせる直線。
 それを見ながら呟いた、少し震えを残したような言葉にも、彼の表情にも冗談の色は見えなかった。言葉を返せずにいれば、彼は冷えた指先で、の手を握り直す。
 清光は「冗談だよ」と重ねるように言って笑って、その表情をくしゃくしゃにしてしまった。どこか望むような影は、消えずにその横顔に埋まっている。