青い夜のゆくえ
突き抜けるような蒼い空の下。
夜を越えやっとこさジャポンに到着し、飛行船から降りる際のことだ。
「お前の愚行には、ほとほと愛想が尽きる」
まきびしでも塗したんですか? と聞きたくなるくらいざらざらした声に呼び止められて、私はやっとクラピカが本当に怒っているのだと認識した。
いや、いやいや、それは嘘だ。正直、船内で一言も発しなかったところで、見当はついていました。
正直、怒るのなんて想定内。でも、約十二時間ほどの空の旅の間、一切口を開かないとは思わなかった。長旅なのに参ったよホントにさ!
でも、そんな怒りを買おうとも、今回の本案件について私は愚行だとは思わない。これは、みんなのやさしさと思いやりの詰まった行いだ。クラピカ以外はそう認識しているのだから、問い返すほかないというものだ。
「愚行とは……?」
「とぼけるのは普段の仕事ぶりだけで結構だ」
「エッ!? いやいつもちゃんと仕事してるでしょうが!」
「どうだかな」
吐き捨てるように言われた訳だが、与えられた仕事はきっちりこなしているはずだ。だからこそ与えられた「今回の余暇」というものだ。
実際のところ、暇などはない。ないんだけど……働き詰めの我がファミリーの若頭、クラピカをどうにか休ませるため、強行手段を私たちは取ったのだ。
作戦の発案者はセンリツ、そこにバショウやリンセンが乗っかり、もちろん私も大賛同。準備整い次第、すぐに決行の運びとなった。
作戦の内容はこうだ、「ここにいるとどうしても働いてしまうのなら、働こうにも働けない環境にしてしまえばいい」。クラピカときたら、寝ることも惜しみ、食事をないがしろにし、人と会話することすら疎かにする始末なので、構成員それぞれが気を揉むのだ。
「強制的に休みを取らせる、と言っても、自室に閉じ込めるだけじゃあダメだな」
「そうだね。多分、扉ブチ破って出てくるよ」
「修繕費もバカにならない。もう少し穏便な方法で頼みたいな」
リンセンがこちらを見ながら話しているのは気のせいだろうか。気のせいだ。
確かにちょっとクラピカを怒らせると屋敷内を破損することが多いけれども。私が逃げ回るので余計に被害が広がったりするけれども。気のせいだ。
昔はもう少し、クラピカも優しかった。そう、ハンター試験をともに受けていた頃なんかは、花も恥じらう少女を相手にするように対応が甘々だった。当社比だけど。時を経るごとに応対が雑になっていくなんて酷いにも程がある。
「いっそのこと、この国から脱出してバカンスとか。すぐには戻って来られないようにするのはどうかしら」
「体を休める、気持ちを休めるという意味でもいい案だ」
「問題は行先だよね。部屋に隔離と同じで、下手なところだとすぐに帰ってきちゃいそう」
「……お誂え向きの場所があるじゃあねぇか」
その言葉に、三人が瞬いてバショウを見た。彼は真っ直ぐに私を見て、ばちんと上手にウインクをした。正直言ってやめて欲しい。
誰もウインクに突っ込まず、三人ともがさきを促せば、少し不服そうにバショウが口を開いた。
「ジャポンだ」
ジャポン。久々に聞いた、馴染み深く自分に根付く響き。
バショウがこちらを向いていらぬウインクをした意味もわかる。その場所は、バショウや私の、故郷の名前だ。
確かに、「お誂え向き」だ。この国からは遠く、気候も緩やかで心身が休まる場所もある。それに、入国出国が面倒だという欠点が、今回は利点になる。
そう、今のジャポンに足を踏み入れるには、ある条件があるのだ。
ひとつ、ジャポン出身の人間と共にその地を踏むこと。
ふたつ、ジャポン出身の人間の許可を得て、その地に踏み入ること。
些細な例外はあれど、このふたつのどちらかをクリアすることが条件だ。出立もまた然り。
「あー、なるほど。今、ジャポンへ行くのも出るのも難しいもんね」
「そういうことだ。監視役も兼ねて、付き添いが一人必要になるっていうのがネックだが」
ふむ、とリンセンが頷く。
仕事は山ほどあるので、欠員はもちろん痛手だ。けれど、最近のクラピカの様子は見ていられるものじゃない。リフレッシュの意味も兼ねて、行ってくればいいと思う。バショウと、男ふたりの気ままな旅路にでも。
呑気にそう思っていれば「、クラピカを連れて行って来てくれ」と宣った。
「……え、私じゃない方がいいと思うけど」
「いいえ、。あなた以上の適任なんて、いないわ」
それこそ言い出しっぺの法則のバショウの方が適任でしょ、と強く思ったけれど、暇なく言葉を継いだセンリツに出掛かった言葉を巻き取られて口を噤む。
「それに、クラピカも喜ぶわ」
えっ、いや、それはどうだろう。私には、怒号と殺意が飛び交う殺伐とした旅路しか想像できないんですけど?
多分それ休まらないよ、絶対休まらないよ、私も休まらないよ! という、私の意見は華麗に滑り落ち、満場一致で彼らは柔らかに微笑んだ。
これ、厄介払いされてない? ねえちょっと?
◯
話を聞かない三人の説得に失敗した私は、山積みの仕事を根性で片付け、秘密裏に準備を進めた。
そして本日、記念すべきクラピカの初ジャポン上陸となったのだ。
出張だ! と嘯いて乗せた飛行船の機内で、離陸の直後に、ことのあらましは説明した。しばらくの間、私たちは物理的にこの国から出ることができないと。
「貴様は……ッ! ふざけるのも大概にしろ! すぐに降ろせ、私は屋敷へ帰還する!」
頭に血が上って爆発しそうに見えた。ここは空の上で、何をされようとも私にはどうしようもないのだ。クラピカだってそんなことは承知の上だろうが、吹き出す怒りの火は止められないようだった。
もう出国してしまった以上、クラピカが私無しであちらの国に帰還することは難しい。
「もし今ここから帰ろうとするなら、この飛行船を落とすか、私を亡き者にするかしかないワケよ」
どうする? と問えば、鬼をも殺すような形相でこちらを見た。これははじめて見た表情だった。めっちゃコワい。
クラピカの回答なんてわかりきっている。それなのにこんな聞き方をするのは卑怯だっただろうか。でも、何を言っても怒られることは必至なのだから、解決の手数は少ない方がいいに決まっている。
そう思って口にしたのだけれど、クラピカはそこからむっつりと黙り込んでしまった。そう、ジャポンに降り立つその時まで、まるっと全ての時間は共有されることはなかった。
「センリツたちの好意は痛み入るが、手荒すぎる」
まず、私の意見や予定を聞くという行動をとってくれてもいいのではないか、とクラピカはひどく呆れた顔をした。
入国を済ませてしまえば、クラピカの心も少しは落ち着いたらしい。
深くふかく、息を吐いたクラピカは彼の地を出立した時よりも疲れているように見えた。ほらやっぱ私の思った通り、クラピカの慰安旅行ではなく地獄の罵詈雑言ツアーになるだろう。
「ねえ、そのセンリツたち、の言葉に私の名前って含まれてる? 私の好意にも痛み入れ」
「お前のその厚かましさには痛み入るよ」
「私が求めていた痛み入ると意味が異なるな……」
「共に行動するのがだと思うと、仕事以上に気を張る結果しか見えない」
「ああ、それは私もみんなに言ったよ。多分、クラピカと私のふたり旅は相性が悪いよって」
聞き入れられることはなかったけど。
そう伝えれば、なぜかクラピカはムッとしたような、納得がいかないというふうな表情を浮かべた。なんで肯定したのに眉間の皺を増やされるんですかね?
一応、私としては最大限の気を遣っているつもりだ。ハンター試験からここまでの道のりで、ずっと一緒だったから気心はしれているけれど、そのおかげで容赦がないのもまた本当だ。
私としても、今回の件で彼の心労を増やすのは本意ではない。私では癒すなんて夢のまた夢、怒らせるのが関の山だ。
「……お前の今回の同行は不本意だということか?」
「え?」
問い掛けは、先ほどのトーンとは異なる質のものだった。
それに驚いてクラピカの方を見遣るけれど、視線はふいと交わることはなかった。
「なんでもない」
私がぽかんと瞬いている間に、むっつりと、低い位置を辿った声を引き摺りながらクラピカは飛行場の出口の方に歩き出した。慌てて後ろ姿を追う。
なんだなんだ、自分で言うのはいい癖にこっちが肯定すると怒るとか、とんだワガママボーイだ。あの顔面だからギリッギリ許される行為だ。
肩で風を切りながら歩いていく背中に声を掛ける。
「今回のこの旅行! 進んで手をあげた訳じゃないけど、楽しみにはしてたよ、私は!」
久々の故郷だ。もちろん楽しみじゃない、なんて嘘でも言えない。バショウだって来たかったんじゃないかな、私だけ悪いね、と思ったりもする。
それに、こうやってふたりで当てもなく旅をするのは、なんだか懐かしくて。マフィアに就職する前を思い出して、朝焼けを見たような眩さを感じたりした。クラピカの方はどうだか知れないけど。
けれど、もしかしたら彼も似たような気持ちなのかもしれない。なんたって、さっきよりも両の足はなめらかに地面を蹴り進んでいる。
「……さっきより足取り軽くない? 実は、結構乗り気だったり?」
「変わりない。……この国に滞在するしかないのならば、有益に使う方法を考えた方が遥かにいいと思っただけだ」
咳払いをして、感情を隠そうとしても図星なのが見え隠れするので笑ってしまう。声を抑えられなくて、ひと睨みされたけれど、露出した感情はとどまるところを知らなかった。
上機嫌の化身みたいに、にやにやと笑い続けていたら流石にクラピカから蔑んだ視線が投げかけられた。一瞬にして心変わりをさせてしまったかもしれない。この旅への向き合い方を間違えたと、彼は後悔しているかもしれない。
けれど、この地をふたりで踏んでしまったのだから、もうしょうがないと覚悟を決めてもらおうじゃないか。
さあいざ行かん! ジャポン周遊の旅へ。まぼろしのような、束の間の旅路へ。