チョコレート・バスター



 主と僕の夢を話そう。例えば、冬の季節なら。美味しいもので溢れた部屋、外は寒く室内はあたたかい状態で、炬燵なんかに入りながらそれを味わい尽くす。そんな簡単で、とても難しい夢だ。
 あ、できれば、食べるのは二人がいいかな。主と二人なんて贅沢だし、みんなで食べるより取り分も増えるしね。これはどちらかと言えば僕の夢かな。まあ、僕の夢も合わせると叶うことって、まず無いんだけどね。

「今日は!夢の!バレンタインデーでーす!」
「いえーい!」
「安定、私たちはこの日を待っていたね。待ち遠しかったね」
「そうだね……日々美味しそうなチョコの情報を収集し、日々いろんなところに行ってはチョコを買い、そしてやっと食べれるんだね。待ち遠しかったよ」
「清光も歌仙もいないよね、寝たよね」
「うん。清光が寝たのは確認してきたよ。こっそり抜け出したし、他の部屋も静かだった」

 そう。そんな夢の実現がなかなか難しいのは、いくつかの難関があるからだ。キョロキョロしながら、難関の名前をあげる主。“難関”なんて呼称するのは失礼かもしれないが、僕らの夢に焦点を当てるとそういう言葉になってしまう。悪いとは思ってるよ? うん。
 なぜ難関かというと、二人とも僕らがよく食べることをよく思っていないのだ。本丸のお財布事情に影響があるからだ。お土産でもなんでも、この本丸の刀剣たちは彼女に貰ったものをとても喜ぶ。主がおいしいものが好きだからっていうのもあって、みんな舌が肥えた。
 例えば、「美味しいものにうるさい」というのをレベルで表現するとしよう。顕現したての時はグルメレベル0だったのに、最近はグルメレベルがカンストしつつある。そんなみんなの喜ぶ顔が見たくて、そして自分が美味しいものを堪能したくて、日々の食やお土産のレベルは高くなるばかりだ。値段も上がるばかりだ。そんなこんなで、この本丸の財布の紐をぎゅっと引き絞る歌仙さんと清光は僕らの動向を追っているのだ。
 でも、今日はそんな二人も撒いた。駄菓子から高級なものまで、揃いに揃えたチョコ。本丸の財政に影響が出ないように、少しずつ集めたチョコたちだ。今日僕らは炬燵に入って、これを堪能する。夢の叶う瞬間、

「でかした、安定ー!よし、じゃあ食べようか、パーティの始まりだ!」

 のはずだった。主が高らかに言葉を発した瞬間、僕は見た。僕の向かいで主の後ろ、しっかりと閉め切ったはずの襖が少しずつ開いていくのを。
 その隙間から、ゆっくりと、絶望と般若が混ざったようなものが覗いている。ホラーかよ。ちょっと誰か髭切さん呼んできてくれる? 鬼が出たから斬って欲しいんだけど、って。

「主と安定、なにやってんの……?」

 地獄から這い出してきたのかと思うような声で、清光が呟いた。絶望と般若を纏っていたのは加州清光だった。お前さっき寝てなかったっけ? 聞きたいが、麻縄でぐっと締めたかのごとく絞られた眉間と真白い顔が見えて言葉を止める。つまり滅茶苦茶怖い。
 振り返った主が「ヒィッ!?」といろいろな意味で悲鳴をあげた。“見つかった!”と“何その恐ろしい声?!”そして“顔怖くない?!”が混ざったような悲鳴だ。

「き、きよ、きよきの、きよみつ!いや、これは、なんでもなく……」
「きよきのって誰だよ、ていうか、こんな夜中に二人で何やってんの。ちょっと」
「えーっとね、これはちょっと作戦会議というか、栄養補給というか、趣味を堪能というか……」
「へー、誰にも言わずに二人っきりでかぁ、ふーん」

 低温で乾いた清光の声に主がしどろもどろで答えるので、しょうがないと僕は声を上げることにした。このままチョコレートを失うわけにはいかない!

「ちょっと待った!今回のこれは誰にも迷惑かけてないし、怒ることないだろ。普段とは違うし……バレンタインデーだしチョコは堪能するべきなんだよ。文句あるのか清光!」

 ビシリ、と指を突き付けて言ってやった。「あ、人を指差しちゃいけないよ、安定」と主が言うので清光からはずらしてやった。
 正直なところ、今回は僕らは悪いことは何もしていないのだ。地道に集めたチョコレートを食べようとしているだけ。本丸の財布はピンチになっていない。それなのに、チョコ没収の危機に瀕するのは勘弁願いたい。僕はチョコが食べたい。
 だから、真正面から清光に言った。主はああいう勢いの清光に昔っから弱いし。眉間にぐぐっと力が籠る。主と僕の食べ物への愛情は結構深いと思う。だから奪われるわけにはいかない! 僕は主とチョコが食べたい。
 じっと視線を合わせる。こうなったら根比べだ、という気持ちで僕は視線を逸らさない。すると、先に負けを認めたのは清光の方だった。さっきまでの表情が抜け落ちて普通に戻ったけれど、顔はもっと白くなったような気がする。なんというか、“無”みたいな顔だ。

「……いーや、やっぱもういい」

 「はい?俺元々興味なかったですけど?」みたいなテンションになった清光が素早く踵を返した。なんなんだそのテンションの落差! そう思ったが、僕はここであれ? もしや?と思った。
 主もハッとしたらしい。普段さほど見せない機敏さを見せ「待って清光っ!!」去り際の清光に飛びついた。けれど、流石にあいつの方が機動が高かったから、主の指先はかすりもしなかった。だがしかし、僕らの主は変なところで諦めがわるいので、再度清光に向かって手を伸ばした。
 そして掴まれる寝巻きの腰紐。これあれだ、時代劇ってやつで見る、アーレーってやつだ。布が擦れる音と共に腰紐はゆるゆると解けていく。
 そんなつもりではなかったのだろう、やってしまった主も主でギョッとしている。が、やられた側の清光がそれはもう倍以上にギョッとしていて僕は笑うのを我慢するのに必死だ。清光は必死に重力に従う腰紐を手繰る。でも、主も清光を帰すわけにはいかないと、それを手放さない。変な攻防戦が始まった。

「ちょっ?!」
「まって、ちょっと待って!話を聞こう加州くん!」
「ま、待つのはあんただよ!バカなの?!や、だからやめろって!」
「いや待てない!清光、何か用があって来たよね?そうだよね!?」
「いや何でもないし、用なんてないし、歯磨いてさっさと寝て!」
「じゃあ、その手に持ってたのは何だ!!私の食べ物センサー舐めないで!」

 確かに、清光の手に握られているものがある。深い紅い色に黒のリボンが掛けられているそれは大切な誰かへ贈るもののように思える。
 流石、物欲センサーならぬ、食べ物センサー。とか言いつつ、僕はそれが違うものへのセンサーだって知っている。名付けるならば「いつもとちょっと違う清光センサー」だ。主は細かい気持ちの機微を理解しているというよりは肌で感じている。そして、今清光を逃してはいけないと野生の勘のようなもので感じ取っている。それは、たぶん間違いない。
 さっき主が清光を見て「見つかった!」と思ったこと、僕が「今回は迷惑をかけていない!」と言ったこと、それに対するあいつのあの反応。これらを考えると、今回の清光来訪については前提が間違っていたと気付く。

「こ、これは」
「お前の用事はそれなんじゃないの?違うの?」
「もしかして……届けに来てくれたの?それ、私に?」

 僕と彼女からの追撃に、清光はたじろいだ。僕らがバレンタインデーを理由にチョコレート祭りを開催することを取り締まりに来たと思っていた。それがいつもの常だし、あんな顔で出てこられたら勘違いもするよなと僕は思った。まあ、もしかしたらそれもあったのかもしれないけど。
 こいつの本当の目的は、この大切に着飾らせた包みにあるだろう。パチパチと瞬きを繰り返す彼女に渡したい、主のためだけに用意した贈りもの。僕はため息をつく。そういえば、朝からそわそわした様子だったかもしれない。僕の心は真夜中のチョコレート祭りに占められていたので、気にする隙間がなかったけど。
 清光が不貞腐れたように呟いて目を伏せる。黒々とした睫毛が頬に作るのは影だ。

「……でも、あんなにいっぱいあるんじゃ、こんなのいらないでしょ」
「何言ってんの、欲しいに決まってるでしょ!いや、そう思わせちゃったならごめん。でもだって清光からのプレゼントでしょ?それは欲し過ぎる……」
「そ、そうだけど。あれだけあってこれも食べるとか、太るよ?肌も荒れるよ?」
「いい、ちょうだい。食べる時は食べて、他の時に摂生すればいいって言ってたの清光じゃん。食べたい」

 他の時にも摂生しそうにないが、主はその包みを受け取ろうと両手を差し出した。けれど、清光は頑なでそれを渡そうとはしなかった。あれだけ着飾らせて、受け取り体制万全な主を前にしてそうなるなんて、なにがこいつにそこまでさせるのか僕には分からなかった。
 すると、主は瞬いて少し考えを巡らせている素振りを見せた。それから何かを思いついたようで「あ」と口を開いた。餌を待つ雛鳥を彷彿とさせるその姿。清光は一度ぎょっとしてから、視線を上へやったり下へやったり、左右に転がしてみたり忙しい。それでも、自分のことを待っているんだとしっかり認識すると、綺麗に包装された赤い箱と格闘し始めた。
 普段どんだけ器用なんだよと言いたくなるくらいのやつなのに、主を前にすると割とこいつはかっこいい加州清光を保っていられないらしい。下手なことでは崩れないように、きっと気合いを入れて包装したのだろう。それが仇となって、焦る清光の指先では簡単には解けてくれない。
 口開けて待ってるって、どんな間抜けな顔をしているんだ、と思って主を見れば目尻が落っこちてしまっていた。少し恥ずかしげではあるけど、嬉しそうだ……ふぅん。さっきまで僕が独り占めしていたはずなんだけどなぁ、と少し妬ましい気持ちになる。そんなに嬉しそうにするならその気持ちを分け与えてもらえないだろうかと、彼女の横に並んでみる。
 「あ」と、彼女の隣で同じように口を開いて待ってみる。チョコレートを待つ雛鳥が二匹と親鳥一匹。これ、側から見たらすごい光景だろうな、と思って視線だけで主を見れば、彼女もこっちを見ていたので口元までゆるゆるになった。
 格闘の末、やっと開いた箱の中からは少し歪だけど、高級そうに見えるトリュフチョコレートが入っていた。一つ摘んで、主の口にゆっくりと放り込む。指先の紅が少し震えているような気がした。
 そして隣でチョコ待ちしていた僕を見て、こいつは顔を歪めながら雑に口に投げ入れた。扱いの差がひどい、が、優しくても気持ち悪いからこれでいい。舌の上に乗っかって、ゆっくりと溶けていくチョコレートは少し苦味があるけれどしっかり甘かった。

「お、おいしい……!さすが清光」
「うん、なかなかいけるじゃん」
「そ?ならよかった……え。ていうかなんでお前にまでやらなきゃいけない訳?これ主に渡すものなんだけど!」
「僕の口に入れて来たのはお前だろ!勝手に入れといて文句言うなよな」
「ハァ~~~?!口開けて待ってたからしょうがなく、しょうがなく!入れてやった俺の優しさ、形変わるまで噛み締めて寝ろ!」
「ボク、スゴイカンシャー」
「おーまーえーなーッ!」

 果てなく続くであろうやり取りを止めたのはもちろん彼女だった。「はいっ!ストップ!」掛け声とともに箱から二つ摘んで、僕と清光の口に放り込む。それから主も一つ。みんながみんな、口に含んだチョコレートが蕩ける様を堪能する。沈黙が広がる。まあ、言うのは不服だけどおいしいのは認めるよね。

「……ううう、おいし。改めてありがとう。でも、なんで?私、清光はバレンタインに興味がないもんだと思ってて……」
「ハァ?!なんでそうなるのさ、そんなこと一言も言ってないじゃん」
「いや、だって今朝もだけど、去年とかもチョコ渡した時とかあっさりしてたし」
「……そんな訳ないじゃん、あんたがくれてんのに」
「そーだよ、主。こいつ部屋帰って来てからやばっ、ぐふぅ」

 皆まで言うな!と脅すように清光は僕の口元を押さえつけた。ちょっと痛いんだけど。
 主が勘違いするのも無理はない。だってこいつ、あくまで「古株初期刀で、頼りになる加州清光でーす」みたいな顔でいっつもいるから、他の刀の前じゃあ、あまり主に引っ付いているイメージを見せない。だからだ、チョコレートをもらった時にもそれを表に出さなかった。
 でも実際は、部屋に戻って来て襖を閉めたと思ったら畳に突っ伏したからね、こいつ。桜もめちゃくちゃ舞ってたし、分かりやすいったらない。勘違いの火種はいつだって自分で蒔いてるぞ、清光。

「主、なんでもないから。嬉しかったから。だから、その、これも。俺は嬉しかったから、主にもそう思ってもらいたかったというか……うん」
「あ、そっか。バレンタインって、基本的に主は渡す側で貰わないもんね」
「そー、まあ、こんなにいっぱい部屋に隠してたなんて知らなかったけどさぁ」
「んんん、それは、うん。ごめんなさいだけどね!でもそっかぁ、清光いろいろ気にしてくれたんだね、嬉しい。ありがとう」

 「清光、チョコ嫌いじゃないなら一緒に食べよう?三人で食べても余るくらいあるしね!」なんて、たんと美味しいものを食べた後みたいにふやけた顔で言うのだ。ゆるゆるだ。ついでにその言葉を掛けられた清光の顔も同じだ。主の手前、抑えているだろう桜もちょびっと滲んでいる。
 ほら、やっぱりこうなった。僕の夢って叶う可能性低いんだよなぁ。まあ、チョコ没収にならなかっただけ全然いいんだけど。それに、もし僕が逆の立場だったら同じ顔をすると思うし、清光も然りだ。僕は懐が深いので、今の状況を歓迎してやることにしたのだ。


「ね、さっき清光がここに来た理由、なんでわかったの?」
「んー……勘」

 清光が膨大なチョコレートを見て、お茶を淹れてくると言って出て行った。僕らはその間、チョコを仕分け始めた。わささ、と多種多様なものを寄せ集めていたけれど、どうせ食べ比べるなら見た目も綺麗においた方がいいだろう、と清光が言い出した。あいつやっぱり見た目にこだわるところあるよな。
 作業を進めながら僕は気になったことを一つ聞いてみた。さっき、清光を呼び止めた時のことだ。

「ええ、やっぱり勘なの?本当に?」
「やっぱりってなんだ!えーと……勘だけど勘じゃないというか、例えばさ、安定と私って阿吽の呼吸感あるじゃん。それと似た感じで、清光とはツーカーの仲と言いますか」
「ふぅん、ツーカーかぁ」
「あと、なんかあの顔の清光って、こう、なんか」
「我慢してるって顔?」
「そうそう、自分は初期刀だし、我慢しなきゃって。大家族の長男みたいな」

 前に清光とご飯食べた時に、いろいろ話したから、今回もそうかなって思ってね。手元を見ながら言う主に、へぇと相槌を打つ。自分から聞いたのに少し色味のない返事をしてしまったかもしれない、と思った時にはもう口から出て行っていた。
 自然と口元が引き攣るし、視線が主から逸れていく。反対に彼女は手元を映していた視界をこちらに向けている気配がする。真っ直ぐ刺さってくる視線は、痛みよりもむず痒さを含んでいる。
 あ、これは「ちょっと様子の違う安定センサー」みたいなものが反応してしまっているんだと気付いた。誰かのことは笑えるが、自分のことだとこんなにも。耳の後ろ側からじわりと火照りが忍び寄る。主はそんな僕に息を溢すように笑って言った。

「安定も似てるとこあるけどね……また今度美味しいお店とか食べ歩こうね!」

 「さっき、“もういいや”って言った清光とおんなじ顔してるよ」と彼女が笑う。そんな感情の抜け落ちたような顔をしていただろうか。
 認めたくないが、清光と僕は似通っているところがあるらしい。例えば、少しでも主を独占したいだとか。自分に近しいやつが、彼女の隣にいると胸の奥の方が騒つくだとか。主が僕ら一振一振を見てくれている、そんな言葉でささくれた心の内が滑らかになってしまうだとか。
 胸の奥が小さな生き物に抱きしめられたかのようにきゅ、っとする。散歩に出ていた視線を主の方に引っ張ってきて「うん」としっかり頷けば、彼女は満足そうに声を漏らした。

「……二人して何ニコニコしてんの」

 三つの湯呑みを盆に乗せて帰ってきた。主と僕の間の空気を不思議がって首を傾げる清光。まあ、お前にも主と二人だけの話があるだろうけど、僕にもあるんだよ。そんな意味を込めて笑顔で頷いてやれば「え?なに、なんなのお前……」とちょっと引き気味に言われた。なんだ、やんのか清光!
 むむ、っと来た僕は集めた中でも変わり種の激辛チョコを清光の口に放り込んでやった。もちろん、湯呑みを机に置いた後のタイミングを見計らった。大和守選手! ないすしゅーと!の頭の中を弾幕付きで流れていく。僕、さすがのないすしゅーと! 清光選手、激辛チョコの刺激により悶絶。いえーい。主が「き、清光ーーーーっ!」と大袈裟に叫んだ。ちょっと笑ってんじゃん。
 僕の夢が一部分紛失したが、これはこれで嫌いじゃないしチャラにしてやろう、と僕は思うのであった。そう、僕は懐の広い刀だから。
 そして、騒ぎ過ぎたことによって他の刀剣男士たちをも呼び寄せてしまい、僕らの夢はほぼほぼ潰えてしまったのだった。まあ僕らに“秘密裏に”とか“隠密行動”っていう言葉は似合わないししょうがないよね。実際これはこれで、嫌いじゃないしね!