するり、と手のひらから溶けて消えたあたたかさで、目が覚めた。

「……っ清光!!」

 飛び起きて、自分の口から悲鳴の様な声がでたことに驚いた。夜がやってきた部屋の中で、ぼんやりと浮かんでいるのはパソコンの光。やっぱり、と思いは肩を落とした。
 やっぱり夢だったんだ、期待に寄せていた気持ちがすっかり萎んでいくのがわかる。夢だ夢だと思っていたくせに、実際に夢だと気付いてしまえば、なんとも悲しい気持ちになる。夢でも、いい夢だったと思っておくべきだろうに。都合がいい。
 付けっ放しとかズボラか、と思いながらのそりと動き出して淡く光るパソコンを見遣る。そしてすぐに目を見開くことになる。
 どういうことだろう。近侍はそこから姿を消しているのだ、なんで? バグ? 目を白黒させれば、視界の端にもう一つ、光源を発見する。

「……えっ」

 ほんの少しだけ開いたクローゼットの扉、そこからふわふわと誘うように漏れ出る光。なんだろう、気になって重い腰を上げてみれば、暗闇の中に点々と光が続いていく。本当だったら怖いくらいの暗闇。
 それは、清光が残した「追って来てくれれば良いのに」という気持ちのかけらだった。薄っすらと仄暗く、光が続いていた。そのかけらが、扉を閉めることを拒否しているように挟まっている。はごくり、と唾を飲み下すと少しの間考える。
 なんだこれ? 罠か夢か、もしくは怪奇現象か。後者なら、怖すぎて近付きたくないレベルだ。怖い話は興味本位で聞いてトイレに行けなくなるレベルで苦手である。でも、そんなことを思っているのに、少し安心するような気持ちになってしまう。その光は優しげに、所在なさげに揺れている。
 うううん、ととりあえず困ったように唸ってみる。ぼやぼやした記憶。夢か現実か曖昧なその場所で、自分が強く惹かれてしまう彼が、泣きそうな声で吐露した本音。あれは自分の都合のいい幻だったのか、全然わからない。でも、そんな記憶も、今も、夢幻だったなら? そう考えてから、目一杯息を吸い込んで、吐き出した。
 「好奇心は猫をも殺す」そんな言葉が頭をよぎりもしたが誘うような光や彼の本音を確かめなくていいのか? そんな気持ちに勝る自制心も持ち合わせていなかった。これはきっと夢だし、それなら。一歩踏み出してしまえば、薄っすらと続く光はこんなにも頼もしいと思えた。


「…………怒ってるよなぁ」

 そんな声が、小さく響いたのは暗闇を歩いて少し経ってからだった。淡い光はが見失わない程度に揺らめいている。辿り着いたのは古めかしい和室で、覗いてみれば見慣れた男が襖を抱え、頭を抱え座り込んでいたわけだ。なにしんてんだ、とは訝しく思う。

「何してんの?」
「みんなに怒られるにしても、気持ちの準備……」
「え、怒られるって、さっき話してた私のところに来たはいいけど勝手なことしちゃった!って話?」
「は?それ以外に何があんの?…………え、」

 ぱちくり、彼は切れ長な目を瞬かせた。しぱしぱと数回繰り返されるそれをは見つめる。この異空間のような和室に来てしまったことによって、夢と現実の境目がさらに曖昧になってしまった。夢なら、もうなんでも来いという気持ちにすらなる。特に、清光が浮かない顔をしているから、そんな気概も顔を出す。少し、気が大きくなったようにも感じる。
 それに、夢の続きだとするなら、清光はとした約束を破ったことにもなる。約束を守らないとか、針千本だぞ!と思っていれば、清光がわかりやすく狼狽えた。

「え、ちょ、は?…………なんでっ?!」
「それはこっちのセリフなんだけど!清光がいなくなったのがなんで!約束!」
「だ、だって、あんたは夢だって思うかと、」

 思って、と唇を震わせた清光は一緒に街を歩いた彼とは少し様子が違うように思えた。頼りなさげに下がった眉が彼の動揺をありありと語っていた。
 実際、の中で夢と現実の攻防戦は夢が優勢だった。そう思わざるをえないと言った方が正しいかもしれない。クローゼットの奥、そこは本丸でした。なんて、そんな現実をするりと飲み込めということが無理な話である。

「むしろ私はどこからどこまでが夢かわからないけど」
「全部、全部夢じゃないけど、」
「夢じゃないなら、尚更。なんでそんな顔してるの?さっきまでの頼もしい感じはどこにいったの」
「それは……」
「あのさ、会いにきたの後悔してる?私は、清光と会えて、夢でも本当に嬉しかった」
「っもちろん!俺だって!嬉しかった、ずっと会いたかった…………でも後悔は、してないって言ったら嘘になる。でも行かなかったらもっと後悔したとも思うけど」

 と一緒にいた時はその気持ちは鳴りを潜めていた。考えないようにしていた、自分以外の他の刀剣たちの気持ち。他の奴らだって、みんな同じように会いたかっただろうということ。奥の奥の方にそれをしまい込んでいた。
 けれど、この本丸に帰ってきて現実を突き付けられる。みんなの気持ちを裏切ってしまったこと。ひっそりとした本丸の夜が清光を責め立てているような気がした。
 そして、さっき彼女の部屋で口にした本音。言い逃げのつもりだったから、聞かれていてもいなくてもいいと思っていた。けれどどういうことか、は自分の目の前に今、存在している。嫌われてしまうかもしれない、そんな思考が彼の頭の中をぐるりと巡った。一番恐れていること。

「うーん、そっか」

 どんどん下に降りていく清光の視線に彼女は唸った。清光の話が本当だとしたら、本来は今日この日にはこの本丸の畳を形は違えど踏んでいたらしい。実際は、ずいぶん遅い時間での訪問になってしまった訳だが。
 もし、刀剣たちがみんな、清光と同じように、自分に会いたいと思ってくれているとしたら。なんというパラダイスだろう、と思いながら、もう解決策は手の中にあった。今、自分がここにいることで、解決されるんじゃないだろうか、清光の悩みは。
 微睡みの中で聞いた言葉が本当だと信じたい、今日一日過ごして、彼が彼女のことを特別に思っていることは明白だった。自惚れてしまいたい。自惚れついでに、自分の気持ちも彼に手渡してしまいたいという気持ちがむくむくと育つ。そんな置いて行かれる子供みたいな顔を、しないでほしい。
 「わかった」とがひとり言のよう呟いた。清光は伏せていた瞳でこわごわと彼女を見る。

「じゃあ、一緒に怒られよう」

 うん、それがいい。納得したように笑うに清光はまた瞳がこぼれ落ちそうなくらい驚いた。自分の目の前にいるこの人は何を言っているんだろう? そんなことが顔に書いてある。
 もし、これが夢であるなら、もうその方が都合がいい気がしていた。それなら言いたいことを言ってやろう、どうせ夢だし!とはポジティブに考えることにした。夢じゃないにしても、やっぱり言いたいことは言っておくべきだ。こんな機会はきっと無い。
 反して清光はどこまでもゆっくり沈んでいくような顔をしている。そんな顔はすぐに捨てちゃいなさい!

「あのさ、正直訳わかんない状態なんだよね、今。でも、これが夢なら言ってもいいかなって、言わないと損かなと思っちゃうから言うね」
「……何を?」
「……一日過ごしてもわからなかったのか!加州清光!私の一番が!誰かって!」
「え、」
「私は清光に会えて本当に嬉しかった。みんなにもそりゃ会いたい気持ちはあるけど、清光の気持ちが嬉しい。一緒にいられて楽しかった、恥ずかしかったりもしたけど、嬉しいことがたくさんあったよ。清光が優しかったりとか」

 一日を思い出すと、いつも過ごしている空間の中全てに清光が思い出されてしまう。一年に一度しか会えないのにそんな風にするなんて、酷いやつだなぁと思う。でも、彼が罪悪感と戦いながらも街の影に自分を残したいと思ってくれたことがとても嬉しかった。
 だからこそ、そんな顔をして一人で怒られようとすることには不満を覚える。彼だけが自分のことを特別に思っていた訳じゃ無いことをちゃんと、ちゃんと知ってほしい。なけなしの勇気だ、ここで使ってしまおう。

「私は、ちゃんと!前から、清光のことがすっ、」
「ま、待って!」
「むぐぅ」
「び、っくりした……あんたってそういうところあるよね」

 なけなしの勇気が清光によって差し押さえられた。彼の手のひらは塞きとめるようにの唇を覆ってしまう。ちゃんとした音にできなかった言葉が口の中でくるくる回る。
 息を吸って吐いてを繰り返してみれば、耳の奥でどくどくと鼓動が鳴る。はかなり緊張していたらしかった。それは清光も同じだったようで、つっかえていた息をゆっくりと外に逃がしてやる。繋がっている清光の手のひらから、どくどくと同じ音を聞く。夕焼けの中で感じた指先の冷たさは存在していなかった。

「ひょっひょ!」
「なに、今、余裕ないから静かにしてよね」
「お、おう……」
「あーあ、なんだかなぁ。なんでそういうこと言うかなぁ、嬉しくなっちゃうじゃん。期待しちゃうじゃん、酷いことばっかりしてるのに」

 「でも、」と言葉を繋いだ清光の瞳を覗き見る。ゆるゆると崩れていくのは、彼が防衛のために張った虚勢である。それが苦しそうな表情と一緒にポロポロ落ちていく。そこから現れたのは、飾ることがない清光の本音だったのだと思う。

「ねぇ、わかったよ、あんたの一番が誰かってさ」

 「ついでに、俺の一番なんて、もう最初っからわかってるよね」夕日の中で見たものとはまた違う、くしゃくしゃの泣き笑い顔がそこにある。薄く張った水の膜が、すぐにでも零れ落ちてしまいそうに揺れている。それを見て、も同じように笑うしかなくなってしまう。なけなしの勇気は功を奏したらしい。
 には優しいくせに、自分のわがままを通して、結果後悔すらしてしまうこの加州清光というわがままで優しくもある神様がとても愛おしくて。一緒に怒られて、一緒に謝ろう。だって、その傲慢な時間を享受して、嬉しかったから。

「ごめんね、一緒に怒られて」
「しょうがないから一緒に怒られてあげよう」
「ね、手繋いでて。そしたら、怒られても何て言われても大丈夫な気がするからさ」

 にしし、と悪戯っ子のように笑う彼は、他の仲間たちに悪いことをしたということをもちろん忘れてはいない。でも、手を繋いでいてくれるなら、大丈夫だと思った。ちゃんとみんなの目を見て、怖がらずに謝れる。この手のあたたかさは、すぐにどこかへ出かけて行ってしまう自信や勇気を連れ戻してくれる魔法の手だから。

「……私、勘だけど、みんな怒ってない気がするよ」
「いや、そんなことない。安定とかがマジで怒ってると思う」
「これも勘だけど、安定が一番怒ってない気がする。呆れてると思う」
「なにそれ」

 本当に、なんだかわからないという顔をする清光に笑みが込み上げる。だって、もし、あんな泣きそうな苦しそうな顔をいつもしていたなら、バレバレだ。この本丸の刀剣たちはみんな、きっと気付いていたんだろうなとは思う。
 それに元々神様は、往々にわがままだということを思い出すべきだ。みな知るべきこと。でも、それがとても優しくて、愛おしくてすぐに抱きしめて甘やかしてやりたいくらいになってしまう。握られた手で貝殻を作って、清光が緩やかに唇を持ち上げた。

「ね、。これからもちゃんとかわいがってね。それから、好きでいてくれてありがとう」

 その言葉に頷いて応える。こちらこそ、大切に思ってくれてありがとう。清光と、みんなと出会えてとても嬉しい。他の刀剣たちは、この場所でどんな風に生きているのだろう。それを教えて欲しい。
 早足になっていく心臓を抑えるように彼の手を握り、は本丸の廊下へ一歩踏み出す。彼女の神さまはその手をしっかりと包んで、それから甘えるように笑った。


-END-